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渓流編  --第8話--

フライの姿勢が魚を狂わす

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魚はフライのどの部分に最も魅了されるのだろうか。

フライフィッシングを始めて間もない頃、この釣りで最も難しいことと言えば、ドライフライを浮かすことだった。浮力を増すための撥水材、即ちドライフライ・ドレッシング或いはフロータントと呼ばれるものがなかったから、フライを水面に置いておくのに随分と苦労した。「日本の渓流ではドライフライはできない」と言われた理由の一つでもあった。フライを浮かすため、ハックルをできる限り厚く巻くようにした。と言っても、満足なハックルなど何処を探しても無く、毛バタキをむしっていた時代である。バイビジブルと言うフライに人気があったのも、その頃の状況を良く反映していたと思う。
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広河原の上の野呂川。1977年8月。

浮力の乏しいフライを使うと、最初は良く浮くが、直ぐに頼りなくなってくる。魚を一匹でも釣ろうものなら、フォルスキャストを懸命に行っても、平らな水面以外ではまず浮いてくれない。思い出してみるに、当時と今日の釣り方の最も大きな違いと言えば、フォルスキャストの回数だろう。フライを水面に浮かすためには、ピックアップしたら先ず数回フォルスキャストを行って、フライの水分を飛ばす。本来のフォルスキャストはそれから始まった。

こうしてかろうじて水面に浮いたフライを見ていると、魚の反応がフライの浮き方によってかなり変化することに気が付いた。同じフライでも、新品は魚が良く出るのに、一匹釣った後は浮いていても出方が悪くなるフライがあった。そうかと思うと、良く浮いている内は反応が悪く、辛うじて浮くようになると良く釣れる、全く逆のフライもあった。どちらかと言えば、浮きの良いフライの方が出方が良かった記憶がある。ただ、もともと今日のフライの浮き方とは違うから、良く浮いたと言っても、今日では当たり前の浮き具合と言って良いだろう。
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小滝川上流。1976年8月。雲霞の如きアブの大群に取り囲まれての記念撮影。

水面高く浮くフライ

水面高く浮いて流れるフライは視認性が良い。遠くからでも良く見えるし、波だった水面に浮かべても見やすい。また、水面高く浮くのは浮力が大きい証拠だから、複雑な流れの中でも沈まず、綺麗に流れてくれる。ドライフライにとって、これらの性能は欠くことのできないものだ。浮力が無ければドライフライの釣りは成り立たないし、浮いていても見えなければ、この上なく不自由である。渓流は水面が波立っている所が多いから、こうした性能が多くの場合に優先する。1970年代の前半、私もこの考え方にどっぷりと浸かっていた。渓流で釣ることは、即ちドライフライで釣ることを意味する時代である。魚が居るのに釣れないポイントを少しでも減らそうと思ったら、どんな流れでも浮いてくれるフライを手に入れることが先決であった。

浮力を飛躍的に増加させるフロータントが手に入るようになってからも、その考え方は変わらず、ひたすら浮力の高い、即ち水面高く浮くフライを巻き続けた。その結果、もはや浮力不足で困ることは無くなった。ところがそれまでの念願通り、フライが水面の上をまるでタンポポの種のように浮いた時から、この釣りを始めた頃に感じた、魚の反応の変化が再び気になり始めた。水面高く浮くフライを使うと、空合わせが増えるようになったのだ。魚の出る速度も速く、神経質な気がする。浮力が大きくて何がいけないのだろう。それでは浮力が乏しかったらどうなるだろうか。数匹の魚を釣った後、辛うじて浮いているフライに、魚は大人しく出てくるような気がした。しかし魚の出てくる回数が何となく減るような気がしていた。一体何がそうさせるのだろうか、その理由は判らずじまいだった。

逆立ちしたフライ

その当時、日本で手に入るフライフックはノルウェー製かイギリス製であった。私はフックの形が好きだったのと、強さを優先して、イギリス製のフックを専ら使っていた。強さと引き替えに重くなるのをカバーするのに、ハックルの量をできるだけ増やした。フライフィッシングを生み出し、ドライフライ発祥の地であるイギリスの文献を紐解くと、アップアイのフックに巻いたドライフライの写真が数多く目に入る。メイフライのアイが上を向いていることから、フックのアイも上を向けてあると言う解説に素直に納得したが、私はそういった解説よりも、出来上がったフライが下を向いているか、上を向いているかの違いの方が大きかった。つまり気分で選んでいた。気分だけでないとすれば、フライを巻く時、ハックルを目一杯巻くとヘッドのスペースが無くなる。その時、アイが上を向いていると、スレッドが滑り落ちない利点があった。
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フラットウィングを持ったテレストリアルを巻く時は、必ずダウンアイのフックを使った。

このアップアイのフックに巻いたドライフライを持って、意気揚々と千曲川に向かい、初めてリーダーの先に結んで見た時のことだ。上を向いたアイに糸を縛ると、フライが跳ね返っているように見える。フックの先が外側を向くし、これで針掛かりするのか少々不安になったが、昔から使われているから大丈夫だろうと、そのまま使うことにした。ところがフライを流れに浮かべて見ると、見事に逆立ちしている。リーダーが上に向かって延びているから、水面でフライがどんな格好になるのか気になっていたが、悪い予感が的中した。もう一度投げてみた。すると今度は少し斜めではあるが、まともに浮いている。ところがドラッグが掛かった瞬間、ものの見事に逆立ちした。これは不味い。魚が出ても針掛かりしないだろう。 

私はフライを引き寄せ、しげしげと見つめながら考えた。アイでなく、シャンクに結べば大丈夫だろう。子供の頃から使ってきた釣り針は皆そうして結んだ。しかしアイを通さない訳にいかないから、一度アイを通してから結んで見よう。ヘッドをまともに作っていないのに、そのヘッドに結ぼうというのだから、すっきりとはいかない。それでも何とか結び上げたフライを投げてみた。すると今度は見事な姿勢を保って流れていくではないか。やった、大成功だと、たわいもないことに一人で喜んでいた。
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フライの浮き方や姿勢によって、魚の反応は明らかに変わる。

私は数メートル歩いて、その直ぐ上のポイントにフライを浮かべた。テール付きのブラックナットは、胸を張って流れを下ってくる。フライがまるで生まれ変わったようだ。堂々と流れていくフライを見ていると、その先の視界の片隅に茶色の固まりが映った。イワナだ。流下するフライに合わせてゆっくり浮上し、静かにくわえ込んだ。

足下でバタバタ暴れているイワナを見ながら、私は一人悦に入っていた。次のポイントにフライを投げると、期待に反してまたもや逆立ちしている。見ると、結び目が滑ってヘッドから抜け落ちている。ヘッドスペースがあまりに少ないために、糸が止まらないのだ。私はもう一度結び目をずらして見た。なんだか頼りないが、それでも構わず投げてみた。フライは横を向いて流れている。直ぐにピックアップして投げ直したら、今度は逆立ちしている。私はおもしろ半分にそのまま続けてみた。フライが尻尾を真上に向けたまま流れるのは、奇妙な光景である。それから暫く後、私は二匹目の魚が何時までも釣れないことが気になってきた。フライをつついたような出方が一度あっただけで、一匹もまともに出て来ない。
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フライの浮き方は流れ方にも影響を及ぼす。

アップアイとダウンアイ

指先で摘んだフライをしげしげと見ながら、私はどうしたものかと考えていた。ヘッドに結ぶのは良いが、滑らないようにするにはヘッドスペースをきちんと作らなければならない。そうするとハックルを巻くスペースが減ってしまう。ハックルの量を減らしたくなければ、テール側に巻く量を増やさなければならない。しかしそうすると針先が隠れるし、バランスが悪くなってまた逆立ちし易くなってしまう。ヘッドに結べないなら、ボディのどこかに結べば良いのではないか。なるべくヘッドに近いところで、ボディを壊さない場所というと、ハックルの直ぐ後ろ側ならどうだろうか。結び目からアイまで、リーダーはフライの真上を通るから、ウィングが生えていても、その間を通せば良いはずだ。
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ハックルの後ろを縛ると、アップアイのドライフライは安定した姿勢で流れる。
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クローズアップ。

この方法は大成功だった。ボディの上を覆うフラットウィングを持ったフライを除けば、全てのドライフライに使用できた。リーダーはアイの中を通るだけなので、リーダーとフライとが常に理想的な角度を保つ。アイに直接結ぶことにより、角度が安定しないダウンアイのフックより、水面を流れるフライの姿勢は格段に優れている。

-- つづく --
2001年05月06日  沢田 賢一郎