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桂川編  --第95話--

大口

嬉しさと悔しさの入り交じった解禁日が過ぎた。私は山岳渓流のシーズンが始まるまで、桂川へ朝から出かけることにした。明見付近のようにシーズン初期から釣れる場所が他にも有るだろう。それを探すことが目的だった。その頃の私は忍野でマドラーミノーやウェットフライを使っておきながら、渓流ではドライフライ一辺倒であったから、釣れる場所と言っても、それはドライフライで釣れる場所を意味した。私は未だ桂川の全体像が判っておらず、明見のように忍野に近ければ近いほど早くから釣れる可能性が高いと信じていた。

新しい場所を探すにあたり、私は手始めに明見の橋から行けるところまで下ってみた。結果は惨憺たるものだった。桂川は下れば下るほど酷い状況で、それはもう釣り以前の問題だった。釣りをしていると突然川の水が赤くなったり青くなったりする。川岸に染色工場が有ったためだが、川底を覆うゴミの量も相当なものだった。ところが富士吉田の町外れまで降りてくると、水量は多いし水色も良くなっている。途中で多くの支流が合わさるためだが、その支流の水源が綺麗な湧水だったからである。
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傾斜が緩く芦の多い杓子流川。川の規模に似つかわないサイズのヤマメがシーズン初めから良く釣れた。

これは釣れそうだと思う間もなく川は突然水路のように護岸され、川沿いに歩くこともままならなくなった。仕方なく下流に向かって迂回すると、今度は水が無い。途中で取水されてしまったせいで、ほんの申し訳程度の水が川底を流れ、その周辺は再び夥しいゴミで覆われていた。諦めて更に下ると水量は明見付近の数倍にも増え、川底に綺麗な藻が生えていた。水は充分すぎるほどであったが、ドライフライを投げても反応が全く無い。慣れ親しんだ渓流と比べ、桂川は何から何までかけ離れていて、私にはその特徴が容易に掴めなかった。

本流は後回しとなったが、水の少ない沢に入ると昼間からドライフライで釣れたことから、支流の杓子流川とそのすぐ上流に流れ込む鹿留川には何度も足を運んだ。鹿留川は水温が低いので4月の中旬以降から入ったが、杓子流川はシーズン初めからドライフライに対し美しいサイズのヤマメが良く反応したため、そこを釣ってから忍野に向かった時期がかなり長かった。

余談だがその後何年か経って、日本の管理釣り場経営の先駆者であり、当時懇意にして戴いた新井福平氏が理想的な管理釣り場を造る候補地を探しておられることを知り、鹿留川の流域をご案内したことがあった。氏はそこを大変気に入られ、何年もの歳月をかけて自然を残した美しい釣り場を完成させた。我が国を代表する管理釣り場、ホリデーロッジ鹿留はこうして誕生した。
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マドラーセッジ

当時マドラーミノーは忍野で絶対と言えるほどの信頼を勝ち得ていた。しかし多くの人が使いすぎたためか、次第にその神通力が失せ、流したマドラーミノーを無視して平然とライズを繰り返す魚が珍しくなくなった。何とかしなければと考えあぐねた末、1973年の3月、私は一つのフライを完成させた。マドラーセッジと呼んだフライは、その名の通りマドラーミノーを大型のセッジスタイルに巻き上げたもので、マドラーミノーのボリュームを温存しながら、セッジのように水面を泳ぐことを狙ったパターンだった。

初めて使ったときからマドラーセッジは大成功を収めた。マドラーミノーから結び変えた一投目にブラウンが飛び出すのを見て、フライのパターンがこれほど魚の反応を大きく変えるものかと、改めて認識したことを覚えている。それは一ヶ月前に使ったランズパティキュラの威力を彷彿させるものだった。
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早春の鹿留川上流部。

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1973年、マドラーセッジの初期型。
桂川で釣れた魚はヤマメが圧倒的に多く、時々放流されたニジマスが混じる程度だった。ブラウントラウトの影を見ることはそれまでなかった。しかし私はその結果に一つだけ疑問があった。ブラウンや大型のニジマスをかなりの数釣ってきた忍野でさえ、昼間ドライフライを使う限りほとんど何も釣れない。ドライフライでブラウンが釣れるのは年間にほんの僅か、それも小型だけだから、忍野に大型のブラウントラウトが住んで居るのを信じない人が多かったのは無理からぬことだった。その私も桂川を釣るときはドライフライを使っていた。忍野のような釣り方をしないでおいて、桂川にはブラウンも大型のマスも居ないと結論づけるのは間違っている。
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1976年5月新緑に覆われた鹿留川。

それならばマドラーセッジを忍野でなく、下流の桂川で使ったらどうなるだろう。忍野に夢中になっていた私にとって、一日に一回しかない夕刻を他の川で過ごすことなどとても考えられなかったが、解禁から二ヶ月が過ぎようとした4月の末、私は一日棒に振ることを覚悟の上で、実験のため夕方の明見に戻ってきた。

この季節になると日がかなり延びる。午後6時を過ぎても昼間のように明るかった。私はいつものように明見の橋の脇に車を止め、ロッドを携えて直ぐ上流の堰堤に向かった。忍野以外の川でマドラーセッジを投げるのはその時が初めてだったから、少しばかり緊張していた。堰堤の脇に立って水面を覗き込んでいると、目の前を一匹のセッジが飛びすぎていった。季節さえ良ければこの辺りでも大型魚が釣れるかも知れない。私はたった一匹のセッジを見ただけでそう期待してしまった。正に忍野中毒と言った症状を呈していたことになる。
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ブラウントラウトは桂川上流部にも生息していた。

堰堤の落ち口の脇は狭いが深く掘れていた。私は足下に見えるその巻き返しにマドラーセッジを投げ入れた。マドラーセッジは左右に揺れながら暗い水面を一週すると、落ち込みに向かって流れていった。私はロッドを跳ね上げ、もう一度投げ直した。巻いている流れの中心に落ちたフライは小さな円を描いて漂っている。その時フライの背後が明るくなった。直後に一匹の魚が身をくねらせながらフライに向かって浮上して来るのが見えた。それまでこの付近で見たことがないほど大きい。私は固唾をのんで、その光景に見入っていた。その魚は水面近くで大口を開けると、6番のマドラーセッジを一飲みし、ゆっくり反転した。

夢のような光景から我に返ったとき、その魚はロッドを満月のようにしならせて川底に沈んでいた。体を大きく揺する度にロッドが軋んだ。長いようで一瞬の出来事であったが、フライを捕らえて反転したときの様子がヤマメでなかったように思えた。しかしニジマスの引き方とも違う。もしやブラウンでは。

暫くしてその魚は水面に浮上した。ベージュ色の肌に大きな黒い点が散らばっている。間違いなくブラウントラウトだった。私は魚がすっかり大人しくなるのを待ってラインを掴んだ。リーダーは2号だから切れることはない。私は慎重に糸を手繰って魚を護岸の上に持ち上げた。それは40cmほどの美しいブラウンだった。忍野で見る魚よりヒレが大きく、心なしか体高が有るように思えた。

-- つづく --
2006年07月03日  沢田 賢一郎