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桂川編  --第96話--
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石楠花の花が咲く頃になると、すがすがしさを求めて山岳渓流に向かうのが当時の常だった。

尺ヤマメと老ニジマス

余りにあっさりと釣れてしまった。それも生息しているかどうか判らなかったブラウントラウトが。辺りは未だ明るく、忍野で釣っている時の感覚からすると、ブラウンが釣れるには早すぎる時間帯であった。私は続いて堰堤の直ぐ下流にフライを投げ入れた。光を反射した水面が水中の様子を隠していたが、この付近で最も魅力的な深みがそこにあった。

リーダーに引かれたマドラーセッジが右に左に水面を這って行く。離れて見ると本物のセッジのようであった。2投目、ゴボッと言う音と共にマドラーセッジが水中に消えた。合わせと同時に最初の魚と同じような重さが伝わってきた。下流に走らずひたすら川底に潜っていく引き方からして、恐らくこれもブラウントラウトと思えた。
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1975年8月、ランズパティキュラはヤマメ釣りの定番であった。

根擦れ

始めてから未だ数投しかしていないのだ。ブラウントラウトの新たな生息地を探し当てたとしたら、これは大発見だ。私は護岸の上で夢を膨らませていた。暫くして魚の様子が何かおかしいのに気が付いた。引き方が変だ。何かに絡んだ時のあの厭な感触が次第に強くなり、ついに動かなくなってしまった。私は糸を張ったり緩めたり、ロッドを小刻みに煽ったりといろいろ試してみたが、ラインが動く気配は全く無かった。どうやら外すには水に入るしかなさそうだった。

魚が特別大きい訳ではないが、何としても正体を見たい。私はそれを確かめるために川に入ることにした。ところがこの付近は両岸が綺麗に護岸してあって、水に入るのは容易でない。少なくとも近くに降り口はなかった。周囲を眺め渡すと、対岸に護岸を降りるための足場が見えた。私はロッドを持って下流に架かった橋を渡った。リールに充分なバッキングラインが巻いてあったのが幸いして、無事に対岸に回り込むことができた。

ラインを緩めないようリールを巻きながら、私は護岸に埋められた鉄の足場を伝って川に降りた。浅瀬を少し歩いた先に見当を付けた流れの筋があった。ところがそこは深い溝になっていてそのまま入れそうになかった。幸い直ぐ上に大きな岩があったので、私はそれに取り付いて様子を窺った。
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1975年9月、アプリコットスピナーを製作。陽当たりの悪い場所でもフライが良く見えるようになった。

根掛かりした原因は直ぐに判った。私が取り付いた岩も、溝の中に見える岩も全てコンクリートの固まりで、ところどころ鉄筋が露出していた。堰堤を造ったときの残骸だろうが、具合悪いことにそれに枯れた芦が絡みついていたのだ。これでは一度絡んだが最期、外れるわけがない。諦めてラインを引くとあっさり切れた。恐らく糸の先に魚はもう付いていなかっただろう。残念だが、せめてもの救いは魚がそれほど大きくなかったことだ。

新しいリーダーを取り付け、その先にもう一度マドラーセッジを結び終わった頃、辺りはかなり暗くなってきた。今から広範囲を釣ることは出来ない。この近くで大物が潜んでいそうなプールと言えば、橋のすぐ上の右岸側だろう。私はそのすぐ上流側に立って、フライを投げ始めた。

そこは水深こそ充分にあったが、淵と言うより深い瀬のようであった。忍野と比較すれば何処でも流れの速い瀬に見えてしまうが、それを差し引いてもイブニングライズが起こるかどうか少しばかり不安になる速さだった。既に魚がライズするなら程良い時刻になっていたけれど、視界の中にそれらしき徴候は無かった。護岸されているせいもあって、水の音が絶え間なく響いている。静寂に包まれた忍野と違い、ここでは魚がよほど派手にライズしない限り、その音は聞こえないだろう。
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速い流れと変化する水面のせいで、対岸側に投げたマドラーセッジは直ぐに流れを横切り、その様子を目で追うことも出来なかった。私は護岸の上に立ち、ラインの長さを少しずつ変えてフライを流した。プールそのものが大きくなかったから、5、6回投げただけで、フライは隅々まで泳ぎ切った。

私は橋の下流を透かして見たり、振り返って先ほど川に入った辺りを眺め渡したが、相変わらず気になる変化は無かった。このまま終わってしまうのかと思ったとき、フライを流しっぱなしにしていたロッドが突然ひったくられそうになった。ロッドを起こすと同時に強く鋭い引きが伝わってきた。ブラウンと違って、瀬の中を右に左に走り回っている。何という魚だろう。

暫くファイトして落ち着きを取り戻したとき、私はその魚が余り大きくないことが判った。糸鳴りするような引き方を続けていたが、体重を感じることが無かった。私はタイミングを慎重に計り、魚が水面に浮上した瞬間をとらえて護岸の上に持ち上げた。薄明かりの中に引きしっまったオリーブ色の身体が浮かび上がった。ヤマメだ。引きの強さからしてもっと大きいのではないかと期待したが、30cmを少し越えるサイズだった。
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褐色の弾丸

それから暫くの期間、桂川はまた元の川に戻ってしまい、期待した大型のニジマスは姿を見せなかった。良かったのはヤマメだけで、昼間は25cm前後のサイズしか釣れなかったが、夕方にはほとんどが30cmを越えていた。だからといって35cmを超えるサイズは釣れなかった。ブラウンについては不思議なことに、それ以来影を見ることもなかった。マドラーセッジを初めて使ったときに釣れたあのブラウンは、この桂川で奇跡的に生き延びた魚だったのだろうか。5月中旬ともなると桂川の上流域は昼間釣れなくなってきた。同時に山岳渓流のシーズンが始まり、私の足は再び桂川から遠のいた。

2年後の1975年3月、私は定番となった昼の桂川、夕方の忍野のコースに出掛けた。その日は風もなく穏やかに晴れ渡っていて、午前中からヤマメがあちこちでライズを繰り返していた。私は一通りスピナーを使って楽しんだ後、夢よもう一度とマドラーセッジを結び、あの堰堤の下に向かった。前年の大水のせいか、ブラウンを釣った左岸側が埋まり、右岸側に深みが出来ていた。私は橋を渡って、その右岸側の落ち込みに狙いを付けた。過去2年間、この周辺でかなりの数の魚を釣ったが、あのブラウンより大きな魚と出会ったことはなかった。
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1975年3月。その後の10年間を左右したニジマスがマドラーセッジをくわえて現れた。

落ち込みで出来た泡が流れの筋に沿って下流に伸びている。その筋を横切るようにマドラーセッジが水面を這ったとき、何かが破裂するような音と共に大きな水柱が立った。ロッドを立てるのと同時にリールが悲鳴を上げ、褐色の固まりが水面から飛び出した。魚は対岸に向かったと思ったら直ぐに向きを変え、下流に走った。私の身体は一瞬凍り付いた。魚が橋をくぐって下流に向かったら万事休すだ。幸運にもその魚は橋の手前で止まると一転して上流に向かい、落ち込みに潜り込んだ。

それから暫く持久戦が続いた。途中まで浮くと潜り、また浮くと潜ることを繰り返していたが、5分以上経ってから、その魚は横になって水面に浮上した。私の腕も痺れていたが、魚の方も大きな口を開きすっかり大人しくなっていた。

長さはおよそ50cm。赤茶色をした雄のニジマスだった。忍野の魚と比べるとヒレが大きく、身体は細かった。体重は凡そ半分くらいであろうか。その風体から見る限り余り若そうにない。桂川は環境が厳しいからニジマスが長生きしても、太ることも大きくなることも出来ないのだろう。後から考えると何と見当外れな分析をしたものかと思う。後年、多くの大型ニジマスを桂川で釣ることになるのだが、このときのような細い老成魚はついぞ見たことがなかった。桂川の魚とは思えないそのニジマスを、ことも有ろうに最初に釣ってしまった。あの魚がもし桂川の標準的な体型をしていたら、私の桂川探索は一気に進んだであろう。しかし私はあの魚のせいで桂川に見切りを付け、その後10年近く上流の忍野へ向かう迄の時間潰しの川として定着させてしまった。おかげで桂川でイブニングライズを楽しむことは滅多に無かった。

-- つづく --
2006年07月25日  沢田 賢一郎