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湖沼編 • 本栖湖  --第23話--

巨大なシルエット

翌1977年4月の半ば頃、私は本栖湖の隣にある精進湖の裏山へヤマメを釣りに出かけた。飛び越せるほど小さな沢が雑木林の中を流れている。両岸が藪で覆われ、周囲から全く見えない。訪れる釣り人も居ない。そんな小さな沢だが、春先にはかなりのヤマメが釣れる。それも藪沢独特の美しい天然ヤマメだ。

その日は穏やかに晴れ渡り、ヤマメの出方はすこぶる順調で、沢の規模からして立派なサイズを幾つも釣り上げた。

午後2時頃、私は登り詰めた沢を後にし、本栖へ向かった。周囲と天気の異なることの多い本栖湖も、その日はとても穏やかに晴れていた。私は湖をほぼ半周すると長崎の突端に車を止め、いつものように湖面の様子を眺めた。湖もその周囲も静まりかえっている。釣り人も誰一人いない。一時話題になったブラウンも、それ以降、殆ど釣れたためしがないのだから無理もなかった。午後の柔らかい日差しの中で暫く様子を見ていたが、何の変化もない。平和そのものである。私は急に眠くなってきて、車の中でうとうとし始めた。
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夕暮れの長崎ワンド。吹いていた風がおさまり、今にも水面が割れそうに見える。

黄昏の長崎


ふと気がつくと辺りはすっかり夕方の気配に包まれていた。私は眠い目を擦りながら車の窓越しに湖面を眺めた。陽は未だ湖面を照らしていたが、湖の半分は影に覆われ、水中が見えなくなっている。しかしそれだけで、特に何の変化もなかった。またもや無駄足に終わったかと思うのと同時に、頭の中に忍野の景色がちらついてきた。今日みたいに穏やかな日は、いつもの藪の前できっと彼奴がライズするに違いない。時計の針は5時を指している。今から向かえば丁度良い時間だ。いや、待てよ。そんなことをしていると何時までたっても本栖の様子が判らない。無駄を承知で待たなければ。

大げさに言うと、私は一つの決断を迫られていた。その後の何年間も悩み続けた、忍野に行こうか本栖に留まろうか、と言う問題である。こうした時、私のように二兎を追いたい欲張りの釣り人はなかなか決断が下せない。しかし時計の針は容赦なく回り続ける。その日も私は即断できずに一度車から降りて、周囲が見渡せる岩の上に乗った。湖面に柔らかい夕日が差し、富士山が赤く色づき始めていた。私は湖面を舐めるように見渡し、左手の湾の中を覗いた。私の立っている長崎の突端のせいで、湾の中程から奥は陽が陰っていた。私は何となくその辺りが気になり、暫く眺めていたが、陽陰の暗さに妙に胸騒ぎを感じた。今日は本栖に留まろう。私はそう決心すると、車をその長崎ワンドに移した。
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初雪が降った後、朝もやに包まれた長崎ワンド。接岸する魚を驚かさないよう、常に岸から離れて釣るのが習わしとなった。

水しぶき

当時は道幅が広く、湾の中をすっかり見渡せる所に車を置くスペースがあった。私はそこに車を置き、湖面を眺めながら繋いだロッドにラインを通し始めた。全てのガイドを通し終わったとき、目の前の水面が動いたような気がした。私は手を休め、水面を凝視した。気のせいではなかった。確かに波紋のようなものが広がっている。何だろうと見つめている私の正面で、再び水面が割れた。何かが速いスピードで動いている。私は瞬時に確信した。間違いない、ブラウンが鮎を追っている。

それからの慌てようは、アングラーなら容易に想像がつくと思う。私はフライを結ぶのももどかしく、飛ぶように湖岸を駆けると、水際で急いでラインを引き出し、今しがた飛沫の上がった辺りに4番のタウポタイガーを投げた。岸から僅か10mほどの所である。投げたラインを引いてフライを泳がすとあっと言う間に足下に来てしまう。数回それを続けたが、水面は静かなままだ。まさかこれっ切りと言うことはあるまい。彼奴は何処に居るのだろう。そう思って周囲を眺め渡したとき、右側40mほどの所で同じ飛沫が上がり、次いで水面が大きく揺れているのが見えた。

私はラインを引きずったまま大急ぎで水際を走り、その付近にフライを投げた。同じように数回引っ張った時、直ぐ目の前で飛沫が上がった。私は自分の動作にまどろこしくなりながら、残ったラインを手繰ると、直ぐに同じ場所に投げた。少し走ったにしては、心臓の鼓動が異様に激しい。無我夢中で手繰っては投げることを数回繰り返したが、何事も起こらない。悔しい、どうして食わないのだろう。私は肩で大きく息をつきながら、元の方角を振り返ると、そこでまた飛沫が上がっているのが見えた。また最初の場所に戻っていたのだ。何と言うことだ。私は魚にすっかり翻弄されながら再び元の場所に戻ったが、湖面はそれっきり静かになってしまった。
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鈎のような顎で、グリーンのフィエスタをくわえた雄のモンスター。

黒い影

時計の針は既に6時近くを指していたが、周囲は未だ十分に明るかった。きっと来る。彼奴は必ず戻ってくる。私にはそんな確信があった。彼奴が最初に湾の奥で鮎やヤマベと言った小魚を狩りに来たのは何時だか判らないが、私が発見する少し前だろう。この湾は昔から小魚が多いから、彼奴は獲物の小魚が落ち着いた頃を見計らって戻ってくるに違いない。

私はフライを先ず交換することにした。ラインはフローティングを使っているから直ぐに投げ直しが効くが、フライは沈んでしまう。沈んだストリーマーを放っておく訳にはいかないから、引っ張って泳がす。引っ張ってしまうとあっと言う間に足下に来てしまい、魚の目に触れるチャンスが減ってしまう。丸沼のようにモグラ叩きをするには、フライが沈んでしまっては具合が悪い。なるべく沈まないフライを結ぼう。私はフライブックを開いて一本のフライを選んだ。ボディが金色のマイラーパイプ、ウィングに黄色とオレンジと黒のバックテールを縛り付けたストリーマーで、婚姻色の鮎のようであった。以前、相模湖や津久井湖の流れ込みでバスを釣るのために巻いたフライで、2番という大型にも拘わらず、投げると暫く浮いていたのを覚えていた。

私はそのフライを結ぶと、最初に飛沫を見つけた場所の正面に向かい、水際から数メートル下がった所でラインを伸ばして待った。
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1月、大久保のキャンプ場に産卵前のブラウンが集まる。

ロッドはバンブーだが12フィートの10番だからキャスティングには問題ない。いつものようにブーツを履いているから、走るのも容易だ。後は小魚を追って泳ぎ回る魚にタイミング良くフライを投げられるかどうかだ。

ブラウンが姿を消してから丁度30分後、私の右側20mほどの所で水面が大きく割れた。来た、彼奴が戻ってきた。私は数メートル歩いてフライをそこに投げた。そのままじっと待ったが、何も起こらない。すると今度はたった今、私が立っていた場所の正面で派手な飛沫が上がった。私は大急ぎでラインを手繰り、すかさず投げ直した。悔しい。動かなければ良かった。暫く待ったが、水面は静かになってしまった。どうしたのだろう。これで終わる訳はないだろう。そう思い始めたとき、30分前に起こったのと同じように、40mほど右側で波紋が広がった。またあそこに行っている。私は走りたい気持ちを抑え、その場で待つことにした。

私は戻ってくる魚に備えて、10mほど先の水面にフライを投げて置いた。少しの間なら浮いている筈だ。10数秒が経過した。どうだろう、そろそろ投げ直そうか。そう思ったときだった。ラインの伸びている右側、僅か3メートルほどの所で水面が激しく動いた。来た。私はラインをピックアップすると、そのまま乱れている水面にフライを落とした。浮いているフライが微かに見えたような気がした。次の瞬間、巨大な黒い影が水面を割って飛び出した。大きく開いた口、鈎のような顎、背びれに次いで団扇のような尾びれを露わにして、その黒い影はフライに襲い掛かった。遂に出た。私の両手は無意識に反応してロッドを差し上げた。
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1978年頃のフライワレット。フィエスタのバリエーションが詰まっていた。

読みも当たった。作戦も成功した。そこまでは正に完璧だった。しかし微かな感触を残してロッドは空を切った。
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フィエスタ。

「まさか、何故?」

私はフライを調べようと思ってリーダーを手にした。しかしその先にあるべきフライが無かった。信じられないことに、私は合わせ切れをしてしまった。

目の前が真っ暗だった。暫く動くことができなかった。重い足を引きずってやっと岸を登ったとき、もう辺りはかなり暗くなっていた。道に上がって振り返ると、黄昏の水面は何事も無かったように静まりかえっている。この場所を離れたくない。しかしいくら待っても、もうあの魚は来ない。水面を割ったあの黒い影だけを、一生消せないほど鮮明に私の脳裏に焼き付けて、彼奴は消えてしまった。

-- つづく --
2001年09月23日  沢田 賢一郎