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湖沼編 • カムループス  --第33話--

シュリンプ

それにしても、ここのニジマスは一体何を食べているのだろう。カムループス一帯の湖には何処も例外なく、地元でシュリンプと呼んでいる甲殻類が住んでいる。それを主食にしているから、カムループス・トラウトの身は赤いと言われている。確かにそれまでに釣った鱒の胃から出てきたのは、そのシュリンプだけだった。

シュリンプというとまともなエビを想像してしまうが、このフレッシュウォーター・シュリンプは、ガンマルス(Gammares)という大型の動物性プランクトンで、ひどく原始的な姿をしている。しかもそのサイズが問題だ。魚の胃の中から出てきたものに限っては、もしそれをフックの上に再現しようとすると、大きいもので14番、小さいものに至っては18番以下という小さなサイズだ。こんなものばかり食べている魚が、なぜ数倍から数十倍も大きなフライを好んで食べるのだろう。それとも夕方になると魚が盛んにライズすることからして、実はもっと大きな餌を食べているのだろうか。
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トロフィーの型紙がロッジの壁を飾っている。その殆どが1960年代に釣れたものだった。
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「昔は凄かった」アルコールが入ると、何処に行っても聞く台詞。でも本当に凄い魚がいたものだ。

大物を釣りたい

カムループスに来てから未だ何日も経たないと思っていたのに、残すは後2日になってしまった。毎日のように湖を変えながら野性的なレインボーを釣り上げたのだから、満足すべき釣りであったと言うべきだろう。しかし一つだけ私にとって一番重要なものが欠けていた。大物が釣れないのだ。

タホーラで釣った3匹のレインボーの内、2匹は凡そ45cmほどの見事な体躯をしていた。引きも強かった。今時のカムループスでは満足できるサイズだ。そう言われても、ロッジの壁にはトロフィーの姿を形取った板が沢山下がっている。その中には15ポンド以上のものも何本か下がっていた。過去に釣れた記録だから気になって仕方ない。ところがよく見直すと、それらの大部分は1960年代に釣れたものだった。1970年以降の大型記録は見あたらない。残念なことに、大物が釣れた時代はもう10年ほど前に終わってしまっていた。

タホーラから帰った晩、私は釣り上げた魚をオーナーに見せながら、これ以上大きなサイズを釣るにはどうすれば良いか尋ねた。オーナーは、初夏なら可能性があるが、この時期は難しいと前置きした後、一つだけ望みがあると言った。
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リトルフレンドリーの深場には、未だ大型が残っていた。

歩いて15分ほどの所にあるフレンドリー・レイクには、この付近きっての深い場所がある。そこは冬でも魚が安全に越冬できるため、今でも大物が多い。但し、夏なら魚が表層に来るが、この時期は沈んでいる。釣るのが難しいのは、特別なフライを深く沈めなければならないからだが、それは普通のタックルでは無理と言うことだった。
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静かな湖面を破って、カムループス・トラウトが暴れ回る。

「特別なフライが必要と言うけれど、どんなフライ?」私が尋ねると、彼は自分の部屋から古びたフライボックスを持って来た。一体どんなフライが出てくるのだろう。私は固唾を飲んで見守った。彼がフライボックスを開けた瞬間、私は小躍りした。ボックスの中から大きなマドラーミノーが何本も出てきたのだ。それなら私も持っているし、既に使って何匹かの魚も釣っている。

実は、このカムループスの釣りを終えた後、私は初めてカナダに来た時と同じように居残り、海でサーモンを釣るつもりでいた。そのための道具も持ってきていた。
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4番のマドラーミノーをくわえたトロフィー。このサイズになるとカムループス・トラウトの特徴が良く現れる。

リトルフレンドリー

私が12番のタイプ4のラインと、サーモンロッドを持参していること、そして大きなマドラーミノーも持っていることを告げると、彼はまるで釣りをするのが自分であるかのように喜び、さっそく地図を広げてポイントの説明をしてくれた。
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ロッジのオーナーが魚の胃の中を見せてくれた。黒く小さい固まりが、全てシュリンプ。他の餌は見あたらない。

フレンドリーレイクは雪だるまのような形をしていた。頭にあたる小さい方をリトル・フレンドリーと呼んでいたが、その奥にスリバチのように深い場所があると言う。私が、何か目印は無いのか尋ねると、古いビーバーハウスの跡が残っていると教えてくれた。何もかも条件が整っている。その晩、私は期待に胸が弾みすぎて、なかなか寝付けなかった。

翌朝、私は3人でフレンドリーに向かった。ボートを浮かべて見ると、湖が意外に広いことが判った。暫く漕いだ後、やっとリトルフレンドリーの入り口が見えてきた。まだその先があるため、私だけ奥に向かうことになった。狭くくびれた部分を通過すると、リトルフレンドリーが目の前に開けた。ちっともリトルではない。結構な大きさの湖だ。私は教えられた通り、奥の入り江を目指した。入り江に近づくにつれ、水色が濃くなってくる。この辺りはかなり深そうだ。やがてビーバーハウスと思しき跡を見つけ、その前に進んだ。岸近くまで漕いだのに、依然として深い。ビーバーハウスまで20メートルほどに近づいた時、やっと湖底が見えた。ここならアンカーを打てる。

私はボートを漕ぐのを止め、アンカーを沈める準備をした。その時、湖底で何かが動いたような気がした。びっくりして目を凝らすと、カムループスに来てから見たことがないほど大きな魚が数匹、湖底を泳いでいるのが見えた。深くてぼんやりとしか見えないが、レインボーに違いない。
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シュリンプしか食べていないのに、何故こんなにサイズの違うマドラーミノーに飛びつくのだろう。疑問は果てしなく続く。

それからの慌てようは、読者の皆さんも容易に想像がつくと思う。早くアンカーを打って支度をしたい。しかしここでアンカーを打ったら、魚が逃げやしないか。心配だったが、私は出来るだけそっとアンカーを下ろすと、本当に大急ぎでリーダーを結び始めた。こんなことなら前もってフライまで結んで置くのだった。私は4番のマドラーミノーを結び終えると、急いでサーモンロッドを振り、タイプ4のラインを20メートルほど投げた。水深はどれ程だろうか。アンカーロープの長さからして、ボートの前は5メートルくらいだろう。

20秒ほど待って(本当は10秒だったような気がする)、私はラインを手繰り始めた。速く手繰りたかったが、少しでもフライを深く沈めるためにゆっくり引いた。ランニングラインがロッドの先に入り、タイプ4のラインが真下から上がり始めた時、ドスーンという、今まで感じたことのない強い当たりがあった。ロッドを起こすのと同時にリールがけたたましく逆転し、30メートルほど先の水面を激しく割って魚が飛び出した。

強い魚だった。3回ジャンプする間にラインを50メートルほど引き出し、ニジマスにしては珍しく最後まで暴れ回った。その30分後に同じようなサイズをもう一匹釣った。味を占めて出かけたら、翌日も同じように50cmオーバーを2本釣ることができた。これで全てに満足して、カムループスを後にすることができる。

マドラーミノー

それにしても何故マドラーミノーなのだろう。その大物達の胃の中も、例のシュリンプで一杯だった。他の食べ物は見つからない。食べ物がここまで偏っているのなら、そのイミテーションを使うのが常識だろう。事実小型の鱒にはとても効果的だそうだ。ところが大型の鱒を狙うとなると、ロッジのオーナーでさえ、小さなシュリンプのイミテーションではなく、大型のマドラーミノーが絶対だと言った。それだけの実績があると言うのだ。大型になると食性が変わり、小型魚とは違う餌を食べるようになるのは、何処でも知られている話だ。しかしここには他に餌がない。もしシュリンプより魅力的な餌がいたら、本当はそれを食べたかったのだろうか。生まれて初めて見たマドラーミノーが彼らにとって、その魅力的な餌に思えたのか。

フライとは一体何なのだろう。この出来事は当時の私に大きな希望、そして疑問を植え付けた。本当の答えは判らなかったが、それ以来、少なくとも、「そこにいる本物の餌に似せたフライを使う必要がある」と言う意見に囚われることはなくなった。

-- つづく --
2001年12月30日  沢田 賢一郎