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サクラマス編 • 第1ステージ  --第38話--
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一筋の光明 -- 雪代


明くる1987年、私は前年の経験からサクラマスを狙う釣りを3月の中旬から始めることにした。福井県の渓流魚の解禁は2月だったが、あの積雪ではとても無理と判断した結果だった。最初の釣行は例によって岐阜市内で森さんと落ち合い、北陸道を北に向かうコースをとった。

出発してからというもの、考えていることと言えば、何とか無事に釣りをすることだけだった。大雪と濁流だけは勘弁して欲しい。それだけを念じていた。岐阜市内は綺麗に晴れ渡っており、勿論一かけらの雪もない。ところが関ヶ原、賤ヶ岳を通り過ぎ、福井に近づいても道端の雪が随分と少ない。陽陰になっている山の北斜面に残っているだけで、平地には幾らも見えない。川に近づくにつれ、次第に胸が高鳴ってきた。

高速道路を降り、国道8号線の橋から下を見渡した時、私は思わず万歳と叫んでしまった。雪は河原の窪地に残っているだけ。幾分青白い光を放った水が、橋の下を滔々と流れているではないか。

水量はかなり多い。しかし大増水ではないし、勿論濁流ではない。遂にまともな条件で釣りができる日がやってきた。
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雪代に包まれ、本来の姿を取り戻した送電線下のプール。テトラは全て水の中。

魚影

私は橋の上から川を見渡しながら、その日の段取りを考えていた。昼迄まだ少し間がある。手始めにこの付近を釣ってみて、午後から上流に向かおう。水面を見つめながらそんなことを考えていた時、橋の下の川底に気になる形の影を見つけた。透明度が高くないためはっきりしないが魚だ。それも10匹近くいる。何だろう。私は森さんと一緒になってその魚影を見つめていた。その影は川底に張り付くように止まっていて、動こうとしない。サイズは凡そ40センチほどだろうか。もしやサクラマスかと思ったが、サイズが少し小さすぎるし、形もどことなく違うように見える。そうこうしているうち、その影の中の一匹が大きく動き、鮎が水垢を舐めるように川底で横になった。

サクラマスではなかった。あれは間違いなくウグイだ。しかし普通のウグイにしては大きすぎる。それならきっとマルタ(降海性ウグイ)だ。

そう結論を出してみると、彼らは海から遡上してきていることになる。ならば更に冷水を好むサクラマスが、既にこの辺りに遡上していることは間違いない。我々は自分たちの導き出した結論に改めて興奮し、さっそく支度に取りかかった。

雪は殆どなかったが、橋の下は足場が悪かった。水を見ただけで夢中で降りて来たのがいけなかったのだ。藪が岸を覆っているし、流れの具合が良くなる所まで岸沿いを移動することもできなかった。結局我々は数回投げただけで、もっと様子の知れた場所へ移動することにした。
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GPの愛称で親しまれているジェネラル・プラクティショナー。スティールヘッドを狂わすこのエビは、サクラも虜にするだろうか。

鉄塔

上流に向かって車を土手沿いに走らせ、北陸道の下を潜って農道を暫く進むと、見覚えのある送電線が視界に入った。あそこなら振りやすいだろう。私はコンクリートプラントの前に車を止め、土手を駆け下って下流のプールに向かった。

渇水の時に川底の様子を見ていたから、このプールなら安心して釣りができる。

積み重なったテトラポットの脇まで来てみると、岸辺の様子が一年前と随分違っていた。柳の枝が四方八方に広がり、ロッドを振れるスペースが思いの外少なかった。それでもプールの開きに近い部分は十分にあいていた。水量は申し分ない。私の手には15フィートのランドロック。そのガイドに35ポンドのフラットビームを結んだタイプ2のラインが通してある。リーダーは10フィート余りにカットしたマイナス2X、その先に1/0 のフックに巻いたジェネラルプラクティショナー。まともな釣りができていなかったから、変更する理由が何もない。去年と全く同じスタイルだ。
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美しく広がった幼稚園前プール。流れ込みに立つだけで気分が高揚する。

岸の傾斜が急なため、水中に立ち込むことはできなかったが、40メートルほど先を通っている流心の際まで何とかフライを投げることができた。今は見えないが、フライが落ちた場所の下には大きなテトラが沈んでいる。時折乱れる水面が、それを如実に物語っている。果たしてサクラマスは居るだろうか。もし居たら頭上を横切るGPを捕らえるだろうか。

サクラマスのことは判らない。でもこのプールにスティールヘッドが居たら、きっとあのGPに襲いかかるだろう。そう思うだけで胸が高鳴る。私の投げたGPは、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、テトラの下流に広がる魅力的な流れを何度も横切って泳いだ。フライが流れを横切り始めると鼓動が速くなり、すっかり流れ切るといつの間にか止めていた息を吐く。その繰り返しだった。

釣れても不思議はない。釣れなくても不思議ではない。でも釣れないなら早く他のポイントに移らなければ。そんな思いに駆られながら時計を見ると、もう正午を過ぎている。緊張していると時間の経つのが早い。このプールを釣り始めてからもう1時間以上も経過している。私は移動することを手まねで森さんに合図し、広い河原を突っ切って土手の上の車に戻った。
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増水した機屋裏上流の溝を釣る。

長いフラット

昼食を簡単に済ませて、我々は幼稚園前に向かった。土手の上から見下ろすと、これまで何回もやって来たのに、ついぞ見ることのできなかった魅力的なプールが眼下に広がっていた。広くて浅くてなだらかな傾斜。初めて見る平水の幼稚園前プールを前にして、私は大好きなキャンベルリバーのアッパーアイランドプールを想い出していた。流れの向きが反対ではあるけれど、そのスケールも水面の佇まいもよく似ている。ここがアッパーアイランドプールだったら、スティールヘッドはあの辺りに居る。そんなたわいもない想像をしながら、私は何かにせかされるように土手を降りた。

広いプールの流れ込みに立ち込み、私はフライを投げ始めた。水深1mほどまで入ると、靴が霞んで見える。澄んでいるとは言えないが、これまでで最高の条件だ。1投毎に2メートル程下ってフライを投げ続ける。土手の上から見た時と違って、水に入った時の気分は、本当にカナダでスティールデッドを釣っているようだった。
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鳴鹿の堰堤の上流は所々にこうしたテトラの堤が作られている。堰堤ができる前は、この辺りに無数のサクラマスが群れていたそうだ。

スタート地点から50メートルほど下ると、水面がなだらかになって岸よりの流れが随分と緩くなってきた。タイプIIのラインでさえ、時々根掛かりする。この付近には目立った岩も起伏もない。深く見えても水深は流心で2メートルあるかないかだ。サクラマスがもし居れば、随分と遠くからでもフライを発見するだろう。

私はフライが流心を通り過ぎた頃合いを見計らって、ラインをリズミカルに手繰った。この方法はスティールヘッドに絶大な効果がある。スティールヘッドが釣れるのだから、サクラマスだって釣れるはず。そう思って引き始めて間もなく、何かがフライに触ったような気がした。小さな手応えだったけれど、草や木と違った生き物の感触が微かに伝わってきた。

緊張はますます高まったが、それっきり何もないまま広大なプールの開きまで来てしまった。日が少し西に傾き始め、気温も下がりだしている。私は川から上がると、遙か上流の出発点に戻るべく急いで河原を歩き始めた。

-- つづく --
2002年02月03日  沢田 賢一郎