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忍野編  --第56話--

ライズの雨

あの日以来、私は毎週のように太郎を釣りに忍野に出掛けた。夢中で太郎を追いかけ回すうち、次第にこの川の特徴が判ってきた。昼間は全く魚の気配がないのに、夕方になると、何処からともなく魚が現れる。よく観察していると、川の中を移動する魚を見ることが多くなった。と言っても一匹か二匹だが、目の前を音もなしに泳いでいく。そうした魚が見えてから30分ほど経つと、あちこちでライズが始まった。まるで隠れ家から出て、食事をするためのプールに向かっているようにさえ見えた。

ライズは夕刻と共に始まった。陽が長くなるに釣れ、始まる時間も遅くなった。必ず一致するとは思えなかったが、ライズの起こり方はセッジの動きと連動していた。静かに待っていると、川面をセッジが飛び始める。少し経って、そのセッジが水面を走り回る。ライズはそのタイミングで起こった。

私は忍野に行く度に、ライズが起こるのを今か今かと待ち続けた。静まりかえった川縁に、突然大きな石を投げ込んだような音がする。それを聞いた時の興奮は、渓流で小さなライズを見るのとは大違いだった。

あのときめきは、太郎との出会いから始まったのだが、肝心の太郎はそれ以来全く音沙汰がなかった。夕方遅くなっても、薔薇の株の周辺は静まりかえったままである。待つだけの釣りを何回か繰り返した後、私は他のプールを回り始めた。
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夕方に枝の下を釣ろうと思ったときは、事前に一度練習するのが常だった。薄暗くなってから自由に場所替えができるようになるまで、かなりの経験を要した。

枝の下

最初に注目したのは忍野温泉の周辺だった。ここは来る度に、あちこちでライズがあった。但し、当時の腕前では、フライを投げられる場所はごく僅かしかなかった。何しろ昼間でも、伸びた枝をかいくぐって、フライを無事に水面に届けるのが難しいくらいだから、薄暗くなったら全くお手上げだった。

川に入れば何とかなるのは判っていたが、既にその当時、キャスティングを放棄して川に立ち込むのは、フライフィッシャーマンにとって屈辱だったから、意地でも岸から釣った。その代わりフライを失うし、夕方になって大きなライズの音を聞いても、指をくわえて見ているしかなかった。

その中で最初にニジマスを釣った倒木のプールと、水路の下のカーブは、私にとって安全にフライを投げられる数少ない場所だった。どちらも邪魔な枝が無いので、水辺にかがんでロールキャストするか、水面の上だけでラインを伸ばすと、フライがうまく飛んでいった。ここは枝の下だから昼でも暗い。夕方は何処よりも早くライズが始まった。

6月の半ば頃、夕暮れと共に私はその水路下のカーブに向かった。自衛隊橋の付近は未だライズが始まるには明る過ぎたのに、そこはもう薄暗くなっていて、私が付くのと同時にライズが始まった。私はそれまでと同じように12番のホワイトミラーを結んで投げた。5回ほど投げた時、バシャっという音と共にフライが水没した。25cmほどのニジマスが狭いプールの中を飛び跳ねながら上がってきた。続いてもう少し下流でほぼ同じサイズのニジマスがフライに飛び付いた。
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春先なのに丸々と太ったブラウン。朱点が綺麗だ。イワシのように見えるのはヤマメ。

乱舞

そうこうしている間に、ライズはますます激しさを増してきた。同時に私の手や持っているロッドにセッジがぶつかりだした。これは凄いことになりそうだ。未だかって見たこともない数のライズが起きている。まるで水面に白い花が咲き乱れているようだった。

直ぐ近くでライズの音が聞こえるものだから、二匹目の魚から針を外す時間がもどかしくてならなかった。私はやっと針を外すと、直ぐに投げ直した。直ぐに3匹目が釣れるぞ。今日は一体何匹釣れるだろう。

何かおかしいと気が付くまで、そう長い時間掛からなかった。ライズは相変わらず盛んに起きているのに、フライに出てこない。私は未だ明るさの残っている空にフライをかざして、2度ほど点検した。フライに異常は無かった。あまり夢中で釣っていたので、フライの流し方が悪くなっていたのかも知れない。私はそう思うと、少しばかり下流側に移動し、今までより上流に向かってフライを投げた。こうすれば、フライがもっと自然に流れるだろう。フライはもう殆ど見えなかったが、なにぶん目と鼻の先の距離である。幾つかのライズはロッドで叩ける距離で起こっていた。しかしそれっきり魚は一度もフライに出ないまま、やがて激しいライズは消え入るように止んでしまった。

何とも訳のわからない、後味の悪い釣れ方だった。最初の2匹はあっと言う間に釣れた。ライズはそれ以降激しくなり、どう見ても入れ食い状態になりそうだった。どうして食わないのだろう。ライズしているのだから、魚が水面の餌を食べていることは間違いない。その魚の目の前の水面にドライフライを浮かべたのだ。食べない訳がない。しかし食べなかった。何度も繰り返し投げたのに、完全に無視された。どうしてだろう。
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1976年3月。新しくなった自衛隊橋から下流を臨む。工事に伴い、橋のたもとに生えていた灌木もなくなった。

おかしなフライ

それから一ヶ月ほど経って、私は南アルプスでヤマメを釣った帰りに忍野に寄った。このスタイルはすっかり定番となってしまった。

早めに梅雨が明けたため、日中はうだるような暑さだったが、さすがに夕方になると涼しくなってきた。その日、私はずっと上流に向かった。

自衛隊橋のずっと上で、当時、与兵衛流れと呼ばれていた支流が右岸に流れ込んでいた。その合流点の少し下流に深い淵があった。右岸側は水面から高く護岸されていて、その下流は欅の木が密生していた。そこから竿を出すことはできそうもなかったが、幸い下流にある吊り橋を渡って左岸に移れば、芦の間から釣れそうだった。

イブニングライズの時間にその淵を釣るのは、その時が最初だった。以前、川底を移動する魚をこの淵で見たことがあったため、一度釣ってみたいと思っていたのだが、太郎や、忍野温泉の回りの魚にかまけて、それまでチャンスが無かった。その下流域の様子が芳しくなくなってきたので、その日、思い切ってやって来たのだった。

誰もそこから釣りをしたことがなかったのだろう。私は密生した芦を掻き分けて水際に立った。忍野に着いた時間が遅かったため、川面はもうすっかり静寂に包まれていた。イブニングライズが始まるまでのひととき、特に直前の30分間、この静けさが決まって忍野を支配する。普通の渓流も同じような雰囲気が漂うが、忍野は流れる水の音が聞こえないから、その静けさが余計に際だった。

イブニングライズを狙って釣りをする時、この時間に最も心が揺れ動く。川から一時、生き物の気配が失せる。自分が選んだプールが空っぽに思えてきて、選択を誤ったのではないかと疑心暗鬼に陥る。

その日、私は結ぶフライに頭を悩ませながら、その時間を過ごしていた。忍野温泉での出来事以来、と言うより、ここ忍野に来るようになってから、私はやっと判りかけたフライフィッシングが、再び霧に包まれているのを感じていた。渓流でイブニングライズに遭遇したとき、ライズ目がけてホワイトミラーやローヤルコーチマンを投げれば、ほぼ確実に魚が飛び付いた。ライズを見る限り、忍野は普通の渓流よりずっと釣れそうなのに、魚が出てこない。何かが違っている。それが一体何なのか判らないでいた。

フライボックスには相変わらずホワイトミラーをはじめとするドライフライがいろいろ詰まっていた。しかし前回の経験から、私は何か新しいフライを試してみたくなり、その片隅にある未だかって出番のないフライに目を留めた。それは私が最初の頃によく使った、輸出用フライセットの中に入っていた大きなドライフライだった。

私はその後、数年間、そのフライをドライフライだと思っていた。ウィングが起き気味で、長すぎるハックルがドライフライのように沢山巻いてあった。ドライフライセットと書かれた箱に入っていたからドライフライと思っていただけで、要するに巻き方のいい加減なフライ、しかも本当は浮きの良いウェットフライだった。名前の表示はなく、単にファンシーフライとだけ記してあった。後々、マウンテン・スワローという南アフリカのパターンに酷似していることが判ったが、その当時、ブルーとオレンジだけで巻いた派手なフライについての知識など全く無かったし、そのフライを結んだことが、私にとって大きな転機となることなど知る由もなかった。

-- つづく --
2002年09月15日  沢田 賢一郎