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高原川編  --第72話--

セッジ嵐

1986年7月初旬、私は道観松の上流にあるヘリポートに車を止め、夕暮れ間近い高原川の河原に降り立った。行く手に見えるのは、岩盤の淵と言う名で親しまれているこの界隈きっての大淵。その淵の少し上流に水煙に霞んだ神坂堰堤が覗いていた。岩盤の淵は4年前の1982年6月、私が初めてこの付近の高原川を釣り、夕方になって美しい尺ヤマメを釣り上げた思い出の場所であった。(第17話参照)
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シーズン盛期になると、堰堤は何処もセッジで一杯になる。

その日は朝から晴れ渡り、強い陽差しが一日中川面に差し込んでいた。気温は高かったが、申し分ない量の水が流れていたため、この時間になると川原はすっかり涼しさを取り戻していた。これから始まるイブニングライズの時間帯に、私は欲張って岩盤の淵と神坂堰堤を両方釣るつもりでいた。普通ならどちらか一カ所で充分であった。場所は広いし、くまなく釣るだけでも時間が掛かる。2カ所を釣ろうなどと言うのは明らかに欲張り過ぎで、二兎を追う者は一兎をも得ずとなるのが落ちであった。

しかし私には少しばかり自信があった。先ず今日はセッジの嵐が吹き荒れる筈であった。少し前から夕方に羽化する数が増え始めていたところにもってきて、今日の暑さである。おそらく今年一番の羽化が見られるだろう。セッジの羽化が激しければ、飛び回る時間も、その後で水面を這い回る時間も長くなる。そうなれば初めからウェットフライを使ってスピード感溢れる釣りができる。広範囲を釣ることも可能な筈であった。
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セッジを食べ始めると、ヤマメはみるみる成長し大型化する。

第二に、すっかり使い慣れたスーパードリフト・ロッドを用意していた。岩盤の淵や堰堤が如何に広くても、素早く釣り切ることが可能だった。そして第三に、恐らくこれが決定的な理由だろうが、セッジの羽化がピークを迎えようとしている時に、これも完全に信頼できるフライとなったグレートセッジを持っていることだった。後は予定通り大量のセッジが羽化してくれることを待つだけだったが、それも間違いなさそうだ。未だ本格的に飛び回るには少し早すぎる時間だというのに、あちこちに小さな群れが誕生していた。

私は降り口の前に広がっている浅い瀬を渡って左岸に移り、岸沿いに歩いて岩盤の淵の中央に立った。計画では最初にこの淵を釣り、頃合いを見て堰堤に移動する。そして帰り道にもう一度この岩盤の淵を釣る予定だった。勿論、誰か他の釣り人が来れば、予定を幾らでも変更するつもりでいた。
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神坂堰堤の下段(写真の左側)。

岩盤の淵を先に釣ると決めたことにも、少しばかり訳があった。この淵の右岸はその名の通り垂直に切り立った岩盤だが、左岸側も僅かばかりの川原の後は切り立った岩に覆われている。つまり狭い谷底に位置しているため、暗くなるのが早い。一方、神坂の堰堤は堤の幅が広く、空がかなり開いているから明るい。その上、流れ落ちる水が白いカーテンのように周囲を明るく照らしているため、他の場所に比べ暗くなるのが遅かった。暗くなるのが遅い場所を後に回す。この方が得策と言うものだ。

岩盤の淵は見るからに良さそうだった。水量が丁度良いため、流れ込みから開きに至るまで何処でライズが起こっても不思議でないように思えた。先ほどから淵の開きに近い岩盤の上に、セッジの小さな群れが纏い付いている。私が念には念を入れてリーダーを点検している間、その群れは次第に大きくなり、少しずつ水面に向かって降りてきた。そうか、真っ先にライズが起こるのはあそこに違いない。
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セッジの盛期、魚のコンディションもピークに達する。

吹雪

その群れが大きくなるのと呼応するように、川面を飛ぶセッジの数がみるみる増えてきた。ほとんどのセッジが下流からやって来て、切り立った両岸の間を通り抜けると上流に向かって行った。川原に立っている私の身体にとまるものもいれば、持っているロッドにコツン、コツンとぶつかる奴もいる。全く凄い数だ。私は思わず空を見上げた。

谷間は吹雪と化していた。風に吹かれて桜の花びらが舞うように、見渡す限り一面のセッジだった。高原川はセッジの数が多いとは言え、これ程の大群に出くわすことは珍しい。セッジはどのように示し合わせて一斉に羽化するのだろう。私はしばしその光景に見とれていた。

バシッ。その音で私は我に返った。対岸に纏い付いていたセッジの群れが、遂に水面に降りてきた。それに向かってヤマメがライズしたのだ。私は投げる構えをしながら目の前の水面を注視した。バシッ、再び音と共に飛沫が上がり、谷間に緊張が走った。私は予想が当たった嬉しさを噛み殺し、フライを対岸に向かって投げた。
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神坂堰堤の上段。増水時は釣りができない。

ライズのあった場所は、私の立っている場所の正面より少し下流だった。私のフライはいま正にその場所を通り抜けている。息詰まる数秒が過ぎ、私は大きく息を吐いた。どうして食わなかったのだろう。そう思ったとき、2mほど下流で同じような飛沫が上がった。

あそこに居る。私は直ぐさま下流に移動すると、慎重にフライを投げ直した。6番と8番、2本のグレートセッジが流れを横切っている。「今度こそ来るぞ」、その気持ちが「おかしい、何故食わないのだろう」に変わりそうになった頃、グンッといった当たりがやって来た。ロッドを起こすのと同時に、ドスン、ドスンとヤマメ特有の振動が伝わってきた。しっかりした手応えだ。間違いなく尺を超えているだろう。

私は自分自身に落ち着くよう言い聞かせていた。一刻も早くこの魚を釣り上げ、堰堤に向かいたい。しかしこの魚も大事だ。簡単に取り込めない魚が釣れると思ったからこそ、真っ先にこの淵に来たのだ。そしてその通りロッドを大きく曲げてファイトしている最中だというのに、私の気持ちは既に、激しいライズが起こっている筈の堰堤に飛んでいた。
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大型化しサクラマスのようになったヤマメ。

漸く足下に寄ってきたヤマメをネットで掬い上げると、私は大急ぎで堰堤に向かった。目の前に見えるが、神坂堰堤まで50m以上ある。足場も決して平坦ではない。私は歩きながら、たった今釣り上げたヤマメのことを考えていた。サイズは30cmを少し超えていた。体高のある綺麗な魚だった。そして口の右角に6番のグレートセッジをくわえていた。

ダウン&アクロスで釣る場合、特にイブニング・ライズの時間帯はリードフライに食いつくことが多い。ドロッパーを捕らえたのは単なる偶然が、それとも6番の方が気に入ったのか、或いは水面に近かった方を選んだのか。そんなことをあれこれ考えているうちに、私は堰堤下に着いた。
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今見の堰堤下。セッジのシーズンになると、毎年大物が釣れる。

水しぶき

神坂堰堤は大きく上下2段に分かれている。最初に上段を落下した水が滝下の溜まりから溢れだし、もう一度下段の滝を作っている。落差は下段の方が少なく、凡そ5mほどである。水の落ち方は年によって多少変化するが、上段も下段も両端に流れの太い部分ができることが多かった。

その日の水量から、私は上段を諦め、専ら下段を釣ると決めていた。左岸側の端に着いたとき、目の前に無数のセッジが舞っていた。堰堤の付近は乱気流が起こるため、セッジの嵐もあちらこちらに向けて吹き荒れていた。落下する水飛沫が雨のように降り注いでいる。レインジャケットを羽織っているから良いようなものの、さもなければ10分と居られないだろう。

下段の左岸側の端は山側に少しばかり広がっていて、流木が一本横たわっている。その先に小さな流れ込みがあった。よく晴れた昼間に見ると、とても魚が釣れるように見えない。浅いし底は砂で埋まっている。しかし暗くなるとそこに魚が出てくるのを、私はそれまでの経験で知っていた。
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セッジの羽化によって、ウェットフライの最盛期が訪れる。

タイミングはピッタリだ。最初の魚を釣った時からどんどん時間が経過しているのに、岩盤の淵にいたときより明るく見える。突然、目の前の流れの筋で派手なライズが起こった。これは釣れない。堰堤の下の溜まりは流れ出しに近い所で水が逆流する。そこに魚が出てこないとダウン&アクロスと同じように釣ることができない。落下している場所に近い流れの筋は真っ直ぐ下流に向かって流れて来るため、上を向いている魚を真下から釣ることになってしまう。メイフライにライズしている魚を相手にするならならそれでよいが、セッジに狂った魚を釣るには都合が悪い。

私はその魚を後回しにして、山側の浅い岸際にフライをそっと投げた。その広がりは流れ出しの水が逆流しているため、私の足下から堰堤に向かって水が動いていた。堰堤に精通した餌の釣り人なら、堰堤の上から釣るケースだ。そこに魚が出ていれば、今、私と至近距離で向き合っていることになる。

一投目、水面を滑るラインが岸に寄せられてきた。水面に落下したセッジも、泳いでいるピューパも、同じように岸に向かって流される。魚はそれを知っているから、岸すれすれにいる。ラインの影が岸際の線と重なったとき、ゴンッと言う当たりがあった。ロッドをたてるのと同時に、魚は猛烈な勢いで水の落下している堰堤の際に向かって走った。私は魚が自分からポイントを離れてくれたのを幸い、魚に引かれるように堰堤の中央寄りに移動した。

-- つづく --
2003年11月23日  沢田 賢一郎