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高原川編  --第75話--

ピーコック・クィーン

ピーコック・クィーンはグレート・セッジと同じく1984年に完成したフライだが、その実験作を巻き始めたのは、それより5年以上も前のことだった。最初のフライを作ることになった目的は、忍野とその下流の桂川でレインボーやブラウンを釣るため、そしてその頃から通い始めた鬼怒川のヤマメを釣ることであった。
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ピーコック・セッジの最終バージョン。初期のパターンから鬼怒川や桂川で活躍した。

どちらの川もセッジが多く、初めのうち、それまでの必殺フライであったマドラーセッジで何の問題もなく釣ることができた。ところが釣り続けるうち、霊験あらたかなフライと言われたマドラーセッジに対し、魚の反応が次第におかしくなってきたのである。

それは更にその数年前、万能であったマドラーミノーに対して魚が見せた反応と同じであった。マドラーミノーは1980年、私が出掛けたカナダのカムループス・レイクでも活躍した万能フライであった。(第31〜33話参照)

セッジが沢山いる川なら、これさえあれば何も要らない。そう思ってきたマドラーミノーが、急に魚に馬鹿にされているように感じた時、私はマドラーセッジを考案し、魚に対し再び優位に立てたと思った。
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雨の日はウェットフライに対する反応が良くなる。

一度、威力が落ちたフライでも、川が変わり、年が変われば再び元の必殺フライに戻るのが常だ。そのため私はシーズン初めにマドラーミノーを使い、それが不調になるまでマドラーセッジを温存してうまく切り抜けてきた。しかし未だシーズン前半を終えたばかりなのに、リリーフ役のマドラーセッジの威力が落ちてきた時は困ってしまった。

原因は使いすぎに依ることが明らかだったから、それに変わる新たなフライを考案すれば良かったのだが、同じ発想で作る限り、セッジの成虫をイメージしたフライであることに変わりなかった。それでは何れそのフライの代わりが必要になる。正に際限の無い世界だ。ここは違う発想のフライを考えねばと思って作り上げたのが、ピーコック・クィーンの初代と言うか、最初の試作フライだった。
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餌が多いため、上流域の魚は春でも太っている。

ピーコック・セッジ

マドラーミノーもマドラーセッジも、川面を飛び、水面を泳ぎ回るセッジの成虫をモデルとしている。静かな水面に波を作って泳ぎ回るセッジに、水しぶきを上げて襲いかかる魚を見てしまうと、当分の間、そのスリルを味わいたいと言う誘惑から逃れることができない。ところが夕方になってライズを始める魚であっても、食べているセッジの大部分は水面下で捕らえたもので、水面にライズして捕らえたセッジの数は僅かだ。そして水中で捕らえるセッジの大部分が、成虫ではなくピューパであることが多い。

発想を変えるなら、このピューパをイメージしたものを作るべきではないか。その考え方を進めると、フライが水面に浮かない方が良くなる。つまりウェットフライだ。水面に触れるか、水面直下を泳ぐフライに仕上げよう。これが、ピーコック・クィーンに到達する道の出発点であった。
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ピーコック・アンド・グリーン。昼間のフライとして大活躍した。

私は当時、初めて入手したピーコック・ウィングの模様が気に入って、幾つかのフライを巻いてみた。その中で最も成功したのが、単にピーコック・セッジと呼んだウェットフライであった。今日のピーコック・セッジとは少し異なるが、短いテールにクイルのボディ、ウィングには勿論ピーコックと言ったレイアウトは同じであった。

私はこのフライを元に、ピューパのイメージを膨らませたパターンを考え、最終的に三種類のパターンを完成させた。ピーコック・クィーンにピーコック・キング、そしてピーコック・アンド・グリーンである。後に多くの大型魚を釣り上げたため、結果的に最も知られるようになったピーコック・クィーンは、完成が一番遅かった。
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急成長したアマゴ。ピーコック・アンド・グリーンにも目がなかった。

初期の試作パターンが忍野や鬼怒川で大成功を納めたことは、私にとってとても大きな意味があった。イブニングライズの最中、或いはその後で、水面直下を流れるフライに魚が特別の関心を払う場合が多い。マドラーセッジのように浮きすぎても、普通のウェットフライのように沈んでしまっても反応が悪い。私は以前から持ち続けていたこの考えに、もはや疑いを持つことが無くなった。

この物語の第17話に出てくる試作モデルは、1982年のその時を最後に変更することになった。その試作モデルはテールとハックルをヘンフェザントのフランク・フェザーで作り、ボディにピーコック・ハール、ウィングは勿論ピーコックだった。そしてタグに赤のフロスを巻いていた。丁度、現在のピーコック・クィーンとピーコック・アンド・グリーンを足して2で割ったようなフライだった。
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半ば冬眠中のヤマメ。

分岐

私はそのフライを使って桂川や鬼怒川のヤマメを釣り、その威力にかなりの信頼を置いていたから、初めての高原川でも迷うことなく使った。そして結果は満足すべきものであった。しかしそのフライに問題が無かった訳でない。まず、魚を釣る度にタグのフロスが切れ、まるで針に赤いゴミが付いたようになってしまうことだった。イブニング・ライズの時間に百戦錬磨の大物を狙うフライとして、一匹釣っただけで形が崩れる可能性は排除しなければならない。

もう一つ、やはり一匹釣った後にテール側が下がり、フライの姿勢が悪くなることだった。夕方は昼間と違って、流れがほとんど無いような場所を釣ることが増える。しかもその状態を目で確認することが難しくなる。姿勢が悪くなるのを心配しなくて済むよう、テールにもっと水の抵抗の大きなものを使おう。タグも壊れないものに変えよう。
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黒い石の多い場所に住み着くと、魚の色も暗くなる。

私はテールにピーコック・ソードを数本結び、タグをシルバーのティンセルに変えた。これはとても巧くいった。残るは時々切れるボディのピーコック・ハールだけになった。それから暫く後の1984年、私はこれもオリーブのサーモウェブに変更し、浮上するピューパが身体に付けた気泡が銀色に見えることから、シルバーのオーバルティンセルをリブとしてボディの上から巻くことにした。こうして現在のピーコック・クィーンのスタイルが確定した。

赤のフロスでタグを巻き、ピーコック・ハールでボディを作るアイデアは、ピーコック・クィーンでなく、ピーコック・アンド・グリーンが受け継ぐこととなった。ピーコック・アンド・グリーンはその名の通りグリーンのコックハックルを纏っている。ピーコック・クィーンが持つヘンフェザントや、ピーコックキングが持つコックフェザントのハックルから見ると、ずっと細く水の抵抗も少ない。私はその特性を生かし、8番から10番と少し小ぶりに巻いたため、後に昼間のフライとしてすっかり定着することとなった。
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ピーコック・アンド・グリーン

1986年3月末、その日、高原川は朝から雨が降っていた。その年は暖かかったせいで、川原にはほとんど雪が残っていなかったが、さすがに雨が降ると冷える。雨は直ぐに止みそうになかったし、このまま夕方になれば雪に変わるかも知れない。初めから雪が降ると水温は下がらないが、冷たい雨は水温を下げる。

私は夕方の釣りに余り期待が持てないと思い、昼食を済ますと直ぐに川に向かうことにした。宝山荘に、ウェットフライの釣りを見学したいというアングラーが二人居たため、私は彼らと共に上流へ向かった。行く手は中部工大下と決めていた。

朝からの雨で雪解け水が川に入っている筈だ。足洗谷は増水して、佳留萱から下流を濁らしているに違いない。しかし足洗谷の合流点から上流は元々水が澄みすぎて都合が悪いくらいだから、今は丁度良いだろう。
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日溜まりの中でジョックを捕らえたヤマメ。昼間は幾分小型のフライに分がある。

川べりに着いてみると、果たしてその通りであった。私はドロッパーに6番のアレキサンドラ、リードフライに8番のピーコック・アンド・グリーンを結んで、合流点に降り立った。

上流の水は全く濁っていなかったが、雨のせいで夕方のようであった。合流点から暫くの間、大きな岩が川原にひしめきあい、その間を幾筋もの水が流れていた。釣り始めてほんの2,3分後、私が大きく傾いた岩の奥、まるで洞窟のような落ち込みへリードフライを流し込んだ時、ドスンとフライが穴の奥へ引き込まれるような当たりがあった。合わせるのと同時に褐色の固まりが飛び出し、そのまま下流へ猛スピードで走ると、15mほど下流にある大きなプールへ逃げ込んだ。
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私は魚がそれ以上下らないことを確信し、ラインを岩に挟まれないよう、ロッドを高く差し上げながらゆっくりと下った。水面の上に出ている岩伝いに移動してプールの前に立った時、魚は尚も猛スピードで白泡の下を走り回っていたが、隠れ家が見つからなかったのか、潜るのを諦めて水面に浮上してきた。長いこと岩陰に潜んでいたせいで、小豆色がかった色をしていたが、32cmの見事な形をした雄ヤマメだった。大きく開いた口の角には、勿論ピーコック・アンド・グリーンが刺さっていた。

一息ついて下流を眺めると、右岸側に一筋の細流ができていた。普段は石が濡れているだけの細流だが、その時は僅かばかり水が流れていた。本流には足洗谷の濁りが入っていたが、その細流は澄んでいた。小さな沢はこんな時に思いがけなく魚が釣れるものだ。私はその細流を釣り下った。釣ると言っても大半の場所が水深20cmにも満たないほど浅い。私はロッドの先を上に向け、フライを水面に滑らせた。車1台ほどの広さの水溜まりに来た時、脇の岩陰から1匹の魚が水面に背びれを出しながらフライに襲いかかった。それはその当時珍しかった、野生化したニジマスであった。

-- つづく --
2003年12月14日  沢田 賢一郎