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スティールヘッド編  --第108話--

カッパー・リバー

彼の知り合いのフィッシング・ガイドが、バンクーバーからずっと北にあるテラスと言う町に住んでいた。そのリック・ショウ(Rick Show)と言うガイドから、近くを流れるカッパー・リバーに関する耳よりの情報が寄せられていた。私は急いで旅行会社のスタッフに相談し、テラスに飛んでカッパー・リバーを3日間釣る段取りを整えて貰った。ダービーツアーの終了と共に、我々は勇んで北に飛んだ。
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霧雨に煙るカッパーリバー。増水し、粘土を溶かしたような水が溢れていた。

テラスに降り立った時、糠のような雨が降っていた。大した雨でないと思ったが、川はあいにく増水し、粘土を溶かしたような色に染まっていた。初日は主立った場所を一回りするだけで、釣りができずに終わってしまった。それでも私は初めて見る山や川の景色に、心をときめかせていた。

2日目、カッパー・リバーの本流は少し減水したが、未だ釣りにならないので、支流のスプリング・クリークへレインボーとホワイトフィッシュを釣りに出掛けた。小さな湧き水の川と言うことだったが、着いてみてびっくり。日本の渓流に慣れている私にとってちっとも小さくない。
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仕方なく向かったクリーク。小川と呼ぶには大きすぎる。

そのとき私が持参したフライロッドは6番。当時の日本にはフライ用の道具はほんの僅かしか輸入されておらず、6番より重いラインもそれを振るロッドもなかったから、私は手に入る最強のフライタックルを持参したつもりでいた。(第8話参照)

しかし、そのタックルではスティールヘッドはおろか、クリークで鱒を釣るにも苦労する始末だった。
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持参したのは、当時の日本で手に入れることができた最強のタックル。しかし6番のラインはこのクリークに丁度よかった。

1971年8月23日、我々にとって3日間の釣りの最終日、水は濁っていたがカッパーリバーの本流は更に減水し、釣りが可能になった。とは言え、川の大きさ、水量、ポイントの広さ、魚の大きさ、どれをとっても、当時の私の腕前と持参したフライの道具では手も足も出ない。私はベイトキャスティング・ロッドに大きなスプーンを結び、ラリーはイクラを取り付けたロッドを携えて河原に降りた。

流れに沿って下流へ向かった時、私は瀬の開きに好ポイントを発見した。狭いポイントであったが、濁りと増水を嫌って避難する魚にとって好都合と思える場所だった。その目の前の緩い流れで、スティールヘッドと思しき当たりが立て続けに3回あった。1回目、2回目は直ぐに外れたが、3回目はうまく針掛かりし、幸運にも10ポンドほどのサイズを釣り上げることができた。私にとって初めてのスティールヘッドは、フッキングした後、瀬の中をテール・ウォークで上っていった。それは当時の私にとって、想像すらできないファイトだった。

その魚を釣るまで、私は現地の餌釣りの釣り人たちから「フッキングは易しいが、ランディングは難しい」と幾度となく聞かされてきた。運よく釣り上げたスティールヘッドは、私にとって大変な大物であったが、僅か10ポンドほどであった。もっと大きいサイズの魚が澄んだ流れで掛かったら一体どうなるだろう。一匹釣り上げたくらいでは夢想だにできない、凄いファイトをするに違いない。運良くフッキングできても、私の持っているフライ・タックルではどうにもならないことは確かであった。
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最終日にようやく本物に出会う。次はフライで釣ると心に誓った。

カッパー・リバーとその周辺で過ごした3日間、我々はフライロッドを振っている人に会うことはなかった。もし会うことができれば、どんな道具が必要なのかを知ることができたのだが、見かけた釣り人は餌釣りが大部分で、ほんの数人がルアーを投げていた。

今度来る時は必ずフライで釣りたい。しかしこの魚をフライで釣るには余程周到な準備をしなければならない。そんなことが可能だろうか。何から始めて良いやら見当も付かなかったが、夢だけは止めどもなく広がっていった。

-- つづく --
2014年09月11日  沢田 賢一郎