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スティールヘッド編  --第111話--

キャスティング・トーナメント

キャンベル・リバーへ初めて出掛けた1980年は、私が自分でデザインしたカーボンロッドを発売した年であった。カプラスと名付けたロッドはこの年から誕生したのだが、幸いなことに当時のモデルの大部分が今でも活躍している。
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当時の最強タックル。スペース・シューター・9210S とランドロック・15フィート。

翌1981年、私はそのカプラスの生産モデルを増やすのと同時に、キャスティングの競技を行うチーム・カプラスを結成し、監督として競技に参加した。チームは結成と同時に常勝体制を築き、私は1年後の1982年より3年の間、監督と選手を兼ねて競技に参加した。
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トロントで行われたキャスティング世界選手権に参加。

私はその3年間にフライのタックル、特にロッドとライン、リーダーについて多くのことを学んだ。そして新しいアイデアを考えつく度に、新しいロッドを作った。

思えば、私が1974年に師事したシャルル・リッツはバンブーロッドの時代、競技の世界のノウハウを釣りの世界に取り入れ、ロッドとキャスティング・テクニックに革命を起こした。

また、1972年に師事したジェームス・ハーディも同じように競技の経験を取り入れ、短期間でグラスファイバーを優れた素材に仕上げた。

しかるに1980年代の初頭、競技の世界と実際の釣りの世界は、それまで続いてきた分化の傾向がさらに強くなり、互いに取り入れる部分が減少した時代であったように思う。
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スティールヘッドのために用意した、SS9210と78リール。フライは勿論サーモンフライ。

私は競技に参加しながら、四六時中、競技用ロッドの性能とキャスティング技術を高めることを考えていた。そして気が付いた時、シングルハンド・ロッドで60m以上を投げていた。如何に競技用のタックルとは言え、これを実際の釣りに活かさない手はない。私は競技用ロッドの開発が一段落する度に、それを実際の釣りに使えるロッドに作り直す作業に取りかかった。

競技に参加したり、高性能な道具を開発するのはそれなりに楽しいことであったが、私にとって大きな問題が持ち上がった。魚を釣る時間が殆ど無くなってしまったのだ。釣りに行けなくなってしまったら、何のために道具を改良したのか判らない。1984年、私は3年間の選手生活に区切りを付ける意味もあって、カナダのトロントで開催されたキャスティング世界選手権に参加した。
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競技の経験を活かし、この後、シューティング用のダブルハンド・ロッドを開発。

ニュータックル

せっかくカナダに出掛けるのだからと、私は過去の2回と同じように、大会が終わっても日本へ真っ直ぐ帰ることをせず、性懲りもなく、希望者と共にキャンベル・リバーに寄って、釣りをする計画を立てた。狙いは勿論スティールヘッドであった。この時の計画は、単に釣りをしたいと言ったものでなかった。私にとってそれまでと違う強い動機があった。
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初代のフラットビーム。今日のスタンダードとほぼ同じライン。

先ず、前の2回とは私自身のレベルが全く違っていた。それは勿論競技を続けてきた結果に依るところが大きかった。それまでと変わりなければ、憧れの魚を前にして、門前払いを食わされる可能性が高かった。それ故、私は自分の力がどれ程向上したか検証したかった。

もう一つは用意した道具にあった。先ずロッドは前年の1983年に競技用のロッドを釣り用に作り直したモデルを完成させていた。スペースシューターという名を付けたモデルで、キャスティング性能にずば抜けて優れていた。その遠投性能を余すところ無く発揮するためのランニング・ラインとして、今日のスタンダードに相当するフラットビームを同じ年に完成させていた。これさえあれば正に鬼に金棒の筈であった。私はそれを実際に試してみたくてうずうずしていた。

-- つづく --
2014年10月04日  沢田 賢一郎