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スティールヘッド編  --第121話--

伸びたフック

初めてのキャンベル・リバーで夢のような釣りを経験した私は、当然のように翌1985年もスティールヘッドを求めてバンクーバー・アイランドを目指した。
これまでのカナダツアーと違って、スティールヘッドを釣ることを唯一の目的としていた。同行者の都合や真夏の渇水を避けることを考慮した結果、9月の中旬に1週間程の日程で出かけた。
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バンクーバー・アイランドで、絶大な威力を発揮したジェネラル・プラクティショナー。当時入手出来た様々なフックに巻いて使用した。

到着日の夕方、私はもうすっかり見慣れたアッパーアイランド・プールに向かった。プールは1年のブランクを全く感じさせないほど同じ表情で私を迎えてくれた。何もかも去年のままだ。初めてスティールヘッドを釣ったのがまるで昨日のようだ。

私は支度を済ますと、リーダーの先に2/0のローウォーター・フックに巻いたジェネラル・プラクティショナーを結んだ。このフライは前の年にブルースが絶対に用意して来いと言っていたフライで、彼に言わせれば、スティールヘッドのコカインだから、彼らは手を出さずに居られないと言うことだった。

私は前年にスティールヘッドを釣った時、あまりに有名なサーモンフライを使用した。それらのフライが絶大な効果を持っていることは既に承知していたため、この新しいサーモンフライに興味があり、初日の晩に真っ先に使ってみることにした。
私はこのアッパーアイランド・プールの様子を、少なくとも前年の経験から理解していたので、ガイド達を他の釣り人にまわし、一人で流れに向かった。

夕刻、もし今年もスティールヘッドがこのプールに居るなら、きっと開きに出ているに違いないと思い、流れ込み側を無視して最初からプールの開きを釣り始めた。
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水量が少ない川で普通サイズの魚を狙うなら、フックの強度をそれほど気にする必要はない。

対岸に見覚えのあるメイプル・ツリーが枝を張っている。その付近を通り過ぎた辺りでスウィングしていたフライがいきなり引ったくられた。同時にリールが甲高い歌声をあげ、下流の水面に水柱が立った。

釣り上げた魚は、少し細身の身体に淡いピンク色の帯が走った、凡そ8ポンドほどの大きさだった。魚体を足元に引き寄せるまでの出来事は、私がこの1年間に何度も頭のなかで試行錯誤を繰り返した、その対処法通りに進んだ。魚が少し小ぶりだったとは言え、まるで夢を見ているようだ。奇跡が途切れること無く起き続けているのだろうか。
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ヒーバー・リバーでは、ウェットフライ・フックでも困ることが無かった。

私は最初の年と同じように、魚をリリースすると直ぐに流れに戻った。広大なアッパーアイランド・プールの開きで、未だフライを流していない場所が下流側に半分残っている。次の魚が直ぐにやって来るのを疑う余地もない。私は一年前と同じように鼓動の高まりを無理やり抑えながらフライを投げ続けた。

おかしい、今年は魚が少ないのか。そんな懸念が脳裏をかすめた時、ドスンという衝撃とともにラインが抑えこまれた。ロッドを持ち上げても何も動かない。まるで根掛かりしたようにラインが止まっていた。

随分と長い時間、と言っても10秒にも満たなかったと思うが、根掛かりしたようなラインから鼓動が伝わって来た。魚が身体を揺すっているのか、それとも頭を振っているのか、とにかく重い振動が暫く続いた後、それはゆっくりと対岸側に移動して行った。

私はスティールヘッドに対し、これまでとったことが無いほど挑戦的なファイトを続けた。決して怯まない。相手の出方を冷静に判断し、少しでも隙があれば思い切って攻勢に出る。しかし決して無理をしない。こうした考えに基づいてファイトしていると、相手の挙動がこれまでと比較にならないほどはっきり判るようになった。

私は対岸側に向かって移動している魚に対して、その行動を無理に止めることをしなかった。対岸側に移ってくれたほうが、その後のファイトが有利になるような気がしていたからである。
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標準のサーモンフックに巻けば、何処で使おうとも強度の心配は無くなる。

フッキングした魚は身体を大きく揺すりながらジリジリと移動を続け、遂に流芯の向こう側に行ってしまった。

私の脳裏を掠めたのは、このまま持久戦に持ち込み、下流に突っ走ることが出来なくなるまで体力を消耗させることだった。

作戦はうまく運び、私のプレッシャーに抵抗する力が弱くなって来たように思えた。私は魚をこれまでより強く引き寄せ、こちら側に向けて流芯を超えさせようとした。魚の抵抗はそれまでより強くなったが、私は更に強い力で引き寄せた。

突然ラインが緩んだ。ロッドはまっすぐ空を向き、何の重さも感じることがなかった。魚が外れたことだけは確かだ。私は予想外の結末に呆然としながら、たるみきったラインを巻きとった。

何故外れてしまったのだろう。フッキングが悪かったのだろうか。それとも単に不運だったのだろうか。巻き取ったラインの先に結んで置いたフライを手にとった時、私は思いもしない出来事に呆然とした。
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巻きたいフライ、使いたいフックの形、強度は、サイズは、重さは、アイの向きは。頭を悩ます釣り人のせいで、フックの種類は釣り人の数だけ誕生する。

それまで強度に何の疑いを持っていなかったフックが伸びていたのだ。それも微かとか僅かにと言ったレベルではなかった。ここまで伸びれば外れるのは当たり前と言えるほど、そのフックのベンドは開き切っていた。使用したフックはローウォーター用のサーモンフックだった。それがあっさり伸びた。ファイトが強引すぎたのだろうか、それともスティールヘッドはサーモンより強いのだろうか。

経験不足の私にはそれ以上の判断が出来なかった。しかし一つだけはっきりしたこと、それは同じフックを使うのを止めることだった。逃げたスティールヘッドがどれだけ大きかったか、私はその姿を見ていなかったから判らない。しかしそれがこれまでの5割増しのサイズ、つまり15ポンド以上有ったとしても、スティールヘッドにはもっと大きいのが沢山いる。何時の日か必ず目指すと心に誓ったトンプソン・リバーには30ポンドもあるスティールヘッドが居るのだ。どれほどの不運が重なった結果だとしても、キャンベル・リバーで伸びてしまうフックを使うことはできない。私はリーダーの先に標準のサーモンフックに巻いたフライを結び直した。

-- つづく --
2015年01月15日  沢田 賢一郎