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スティールヘッド編  --第125話--

渇水のヒーバー

バンクーバー・アイランドに出かけると、キャンベル・リバー以外に毎回必ず立ち寄る川が何本かあった。その一つにヒーバーという小さな渓流があった。有名なゴールドリバーの支流で、サイズは岐阜の高原川や多摩川の上流ほどであったから、私にとって馴染み深いと言うか、与し易い流れであった。しかしそんなサイズの川であっても、狙いはスティールヘッドである。初めて入渓した時、こんなサイズの川に本当にスティールヘッドが居るのか、俄に信じられなかった。
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ゴールド・リバー。半世紀前はこの島を代表する河川だった。

大河に大魚が住むという言葉があるように、小さな渓流にはそれなりのサイズの魚が住むのも自然の成り行きである。しかし小さいと言ってもスティールヘッドに変わりない。日本だったらヤマメを釣るような川でスティールヘッドを狙うのだから、大河川とは趣の異なる楽しみがあった。
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支流のヒーバー・リバー。川は小さいが、狙いはスティールヘッド。

ロッドは当然シングルハンド。ラインもフローティング。使用するフライもキャンベル・リバーより一回りも二回りも小さいだけでなく、ドライフライを使うことさえ珍しくなかった。
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渇水期はポイントに近づき過ぎないよう気をつける。

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小型だが、ファイトは一人前。

そのヒーバーを初めて釣った時が余りに楽しかったことから、この年も当然のようにその美しい流れを訪れた。ところが魅力的だった渓は、谷底を細々と流れるだけの見るも無残な姿になり果てていた。真夏の渇水が未だ回復していないためだが、黒ずんだ姿のスティールヘッドを数匹見ただけで、フライに出るのは小さな虹鱒、つまり未だスティールヘッドになっていない稚魚ばかりであった。

小さな支流は水量の影響をまともに受ける。水が多ければその規模に似つかわしくないほどの魚が遡上するが、一旦渇水になってしまうと、遡上した魚にとっては死活問題だ。大部分の魚は安全な本流へ戻ってしまう。釣り人が幾らもがいても、どうにもならない。ブルースが言うには、かれこれ20日間、一滴の雨も降っていないそうだ。
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4~6ポンド。これがヒーバーの平均サイズ。

その晩、ブルースは我々の予定を変更し、一日早くキャンベル・リバーへ戻ることを提案した。今しがた、ひどい渇水の渓谷から戻った我々に、他の意見が有るはずもない。我々は、翌朝早く出発することを決めると直ぐに眠りについた。

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水が無くなると、川には稚魚だけが残る。

何か耳障りな音のせいで、私は夜中に目を覚ました。外が騒々しい。もしやと思ってカーテンをめくると、窓ガラスいっぱいに水滴が吹き付けていた。雨だ。それも雷雨のように激しく降っている。明日はどうなるだろうか。いろいろと考えを巡らしていたせいで、その後はなかなか寝付けなかった。
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渇水時は枝の下が好ポイント。

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正にカナダの渓流釣り。

翌早朝、待ち焦がれるようにカーテンをめくると、雨上がりの駐車場のあちこちに水たまりができているのが見えた。川はどうなっただろうか。増水によって状況が一変しただろうか。

ここが日本なら川の様子もそれなりに見当がつくが、カナダではどうなのだろう。一気に増水しただろうか、それとも殆ど変化なしだろうか。

川の様子に思いを巡らしていると、ブルースがまるで子供のようにはしゃいだ足取りでやって来るのが見えた。

「ヒャッホー、雨だ雨だ、ヤッター」
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3ポンドほどの超小型スティールヘッド。

この地域の川の動向に精通している彼が浮かれているのだ。川は充分に増水しているに違いない。我々はまるで示し合わせたように予定を変更し、再びヒーバーに向かうことになった。
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絶好のポイントでヒットする。

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大人しくなってから、慎重にランディング。

川の様子をこの目で見るまで安心できない。しかし橋の上から一目見た瞬間、その不安は吹き飛んだ。川は前年に楽しい思いをした時とほぼ同じ規模に回復していた。

しかしそこで一つの疑問が湧いてきた。昨日はひどい渇水のおかげで、川からスティールヘッドの気配が消えていた。今朝は申し分のない水が流れているが、この水量に戻ってからまだ数時間しか経っていない。スティールヘッドの足がいくら速いといっても、この谷に戻ってくるにはあと数日かかるのではないか。
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8ポンド近い、ヒーバーの最大級サイズ。

私は浮かれているブルースの前で身支度を整え、最初のポイントに向かった。スティールヘッドは本当に居るだろうか。本流との合流点から凡そ5kmほどのプールに着いた時、私は未だ半信半疑でいた。私はブルースの勧めもあって6番の巨大なドライフライをそのプールに投げた。

-- つづく --
2015年03月20日  沢田 賢一郎