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スティールヘッド編  --第126話--

増水の滝壺

 一投目、フライはプールの中ほどに落ち、開きまでの凡そ10mを何事も無く流れた。2投目、私は5mほど前進し、プールの流れ込みにフライを浮かべた。距離は20m以上あったが、なにぶん巨大なフライだ。波に載って流芯を下って来るのがよく見えた。フライの茶色いシルエットが5mほど流れた時、黒い背中がイルカのように水面を割ってフライに襲いかかった。
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一夜にして平水に戻ったヒーバー・リバー。

「信じられない」

私は合わせたラインが、なんの手応えも無く戻ってくるのを避けもせず、呆然と水面を見ていた。スティールヘッドが居た。それがドライフライにアタックした。何故フッキングしなかったと言う疑問より、魚が居たという驚きの方が大きく、私は寝不足からいっぺんに目が覚めた。
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急な雨による増水のため、水色がオリーブ色に変わった。

私は更に数回フライを流した。けれども魚は当然の如く、二度と姿を現さなかった。私は直ぐ上流に広がっている魅力的なプールにもフライを浮かべた。そのフライが1mも流れないうちにスティールヘッドが飛び出した。今度は針掛かりした後、数秒で外れてしまった。
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ブルースと共に目ぼしいポイントを釣り上がる。

凄いことだ。スティールヘッドはこの増水によって本流から遡上してきたのだ。一匹だけなら隠れていた魚が姿を現したとも考えられるが、2匹連続でフライに出たとなると、かなりの数の魚が上っているに違いない。
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好ポイントの多くにスティールヘッドが入っていた。

大きな川ではないため、我々は二手に分かれて釣ることにした。私はそのまま上流を目指し。もう一手は本流との出会いから釣り上がることになった。遡上したスティールヘッドは大きな群れと言える程ではなかったが、極上のポイントには必ずと言ってよいほど入っていた。キャンベル・リバーの魚と比べると、一回りも二回りも小さいが、渓流で釣れる魚としては最上級のファイトで我々を迎えてくれた。
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この魚達は何処からやって来たのだろうか。

2kmほど遡行すると二段に分かれた滝に到達する。そこが本流から遡上する魚にとっての魚止めとなっていた。その二段目の滝の下に車一台程の大きさの滝壺があった。前回訪れた時、その狭い滝壺にスティールヘッドが居たのを見ていたので、私は期待に胸を踊らせながら岩をよじ登り、その狭い滝壺をそっと覗いた。
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やはりスティールヘッドは、魚止めの滝壺に居た。

居た。70cmほどのスティールヘッドが一匹見えた。私は滝壺の後方からフライを投げたが、魚は何の反応も示さない。私はフライを交換し、同じことを数回試みたが、結果は同じだった。魚は自分の頭上に落下し、表層を短時間流れるフライに興味を示さないのだろう。
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フライを捕えたスティールヘッド。
     
私は滝の落口の脇まで這い上がると、ロッドの先から2mばかりリーダーを伸ばし、落下する水にフライを叩き込んでから、ロッドの先を落下する水に漬けた。下流に押し流されるフライが、伸びきったリーダーに引かれて反転しただろう、そう思えるタイミングでロッドティップが引き込まれた。
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フライを捕えたスティールヘッド。

スティールヘッドはしばらく狭い滝壺の中を泳ぎまわっていたが、やがて私と一緒に下流のプールまで駆け下りた。黒い小さな星をまとった姿は、スティールヘッドと言うより、精悍な虹鱒と言ったほうが似合いそうだった。
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フライを捕えたスティールヘッド。

それにしても、雨によって水位が回復してからまだ数時間しか経っていない。スティールヘッドは本流との合流点でこの時に備え待機していたのだろうか。遡上する速度が異常に速く、ヘリコプターで追跡したと言う話を聞いたことがあったが、その俊敏さに本当に驚かされた。

-- つづく --
2015年04月04日  沢田 賢一郎