www.kensawada.com
渓流編  --第2話--
ff-2-1
ロイヤルコーチマン。

ロイヤルコーチマンは万能フライ?

私がこのフライフィッシングという釣りに没頭し始めた頃、フライと言えば先ず第一にロイヤルコーチマンの名が上がるほど、それはそれはシンボル的な存在であった。このフライは古くからあるコーチマンのバリエーションの一つであるが、アメリカ人が最も好むパターンの一つであった。件の養沢は、戦後、アメリカ人将校によって整備された経緯があったため、このフライは彼らが最も信仰するパターンとして日本に伝わった。しかしその当時の日本人が持っていた毛針に対する感覚はもっと地味なものであったため、特にテンカラの愛好者からは奇異を通り越し、少々蔑視されていた。私がそのころ出会った釣り人の中には、このフライを「厚化粧したお化け」と見なしていた人が少なからず居た。彼らにとって日本の渓流魚、特にヤマメはその俊敏さと美しさから聖なる存在であった。その気高いヤマメがあの「厚化粧のお化け」に心を惑わされることなど、あってはならないことだった。又、フライフィッシングはそういう毛針を使う釣りと言う風に解釈されていた節もあった。こうした風潮が強かったことから考えると、もし最初に有名になったフライがマーチブラウンであったなら、日本のフライフィッシングはもっと早く盛んになっていたと思う。
ff-2-2
金峰山川、西の又の中流部。この付近から巨岩帯が続く。

私は小さい頃から鮎のドブ釣りや、ヤマベの瀬釣り用の毛針を使っていたせいで、その色彩感覚を別とすれば、ロイヤルコーチンマンの持つ派手な雰囲気に違和感はなく、むしろ、そう言った少々現実離れした色合いのフライで魚が釣れることに大いに関心があった。当時、フライフィッシングという釣りを多少は理解している人でも、「渓流に行ってもあんな色の虫なんか飛んでいないから、日本の魚が食べる訳はない。ニジマスが釣れるのは、外国の魚だからだ」と言った考えを持つことが多かった。けれども私にとって、彼らが崇拝していた雉のケンバネを巻いただけの毛針の方が余程不自然に思えた。
ff-2-3
デヴィルナット。1973年に誕生した当初、金峰ナットとも呼ばれていた。

デヴィルナットの誕生

西の又も東の又も、またその合流点から下の本流も、金峰山川は基本的に白い花崗岩の川だった。それでも川中が真っ白い訳ではなく、茶色い石も数多く点在していた。そうした流れを釣っていると、レッドハックルのロイヤルコーチマンは時々見辛くなる。私はロイヤルコーチマンの威力に些かの疑問も持っていなかったが、見にくくなるのは困った。もっと見やすいフライが欲しい。底石が白く、白泡の面積が大きいのだから、白の反対、黒いフライを使えば良く見えるだろう。そんな単純な考えから、私はブラックナットを使ってみた。当時のブラックナットはボディに黒のシェニールを使ったアメリカンスタイルが主流であったから、具合の良い最初の数投が過ぎた途端に沈み始めてしまう。

これは何とかせねばと、1973年、釣りの合間に試しに巻いてみたのが、デヴィルナットだった。
ff-2-4
デビルナットとほぼ同じ時期に考えたホワイトダンディー。
真夏の炎天下に多くのイワナを捕らえた。

本来ナットにはテールが無い。しかし何としても浮力を稼ぎたかったものだから、ボディを浮力に優れたポリプロピレンのヤーンで巻いた。ハックルは見やすいように勿論ブラック。ウィングのナチュラルダックをアップライトとディバイデッドの両方のスタイルに巻いてみたが、水面での安定性と浮力の向上を得るために、ディバイデッドウィングとして巻くのが習慣になった。

デヴィルナットは大成功だった。底石が白い御影石のポイントは勿論、茶色であっても、フライを落ち込みの白泡にさえ投げれば、これ以上望むべくも無いほどくっきりと見えた。

フライの色は魚の反応を変えるか

このフライを使い始めて直ぐに気が付いたことがあった。魚の反応が明らかに違うのである。ロイヤルコーチマンを使った時に比べ、魚がフライに近づくスピードが遅く、食べ方もゆっくりした動作に変わった。反応が鈍いのではなく、安心しきって落ち着いて食べているように見える。

途中でコーチマンに換えると、魚の動作が急にせわしくなるから、決して気のせいではない。一体、何がそうさせるのだろう。
ff-2-5
川上村より下流で流入する小さな支流には、多くのヤマメとイワナが混生していた。

私は食べ物の影響によるものではないかと、先ず考えた。どのイワナも腹の中の大部分が黒い蟻で占められていた。蟻以外の餌も黒いものが多かった。イワナは黒い餌ばかり食べていたので、黒いフライに対して良く反応し、しかも疑いを持っていない。だから落ち着いてゆっくり確実に食べる。これが私の出した最初の結論であった。しかしこれはデヴィルナットに対して当てはまるが、コーチマンに対する反応の説明にはなっていない。反応の仕方が違うとは言え、良く釣れることに違いはないのだから。
ff-2-6
ブラックコーチマン。1974 年の誕生以来、真夏のフライとして源流帯で活躍した。

夏の終わりまでイワナ釣りに明け暮れている間、デヴィルナットは相変わらず良く釣れていたが、困ることが一つだけあった。それは数匹のイワナを釣り上げると、ボディのヤーンがイワナの歯で解れてくることだ。ヤーンがフックのベンド側にずれると、テールを下に向けてしまい、フライ全体の形が崩れるばかりか、水面での姿勢がおかしなものになってしまう。

私は必要に迫られるままに、もう一本の新しいフライを試していた。ロイヤルコーチマンの魅力を損なわずに、ブラックナットの視認性を持たせるべく、黒いコーチマンを巻いてみた。

このフライは紛れもなくロイヤルコーチマンのカラーバリエーションである。形が同じで色彩だけが異なるフライに対し、魚がどんな反応を示すのか大変興味があった。このパターンも前のデヴィルナット同様、初めて使った時から今日までずっと良い成績を残している。私の印象では、ロイヤルコーチマンに比べ、魚の反応は幾分スローだが、フライを確実に押さえ込んでしまうように思える。フッキングの良さがそれを証明しているように思う。
ff-2-7
0番のブラックコーチマンに飛び付いた大型イワナ。
当時、千曲川の源流部には無数のイワナが生息していたが、
数が多すぎたせいか、30センチを遙かに越えるものは極めて少なかった。
ff-2-8
梅雨明け直後の東の又。西の又に比べ、河原が少ない。

さて、一体その違いは何によるのか。当時、私が何となく感じていたのは、白と赤と、ピーコックであった。白と赤とピーコックと言ったら、それこそロイヤルコーチマンのシンボルカラーである。フライの中にこの3色のどれかが大きく使われていると、魚の反応は激しくなるように思えた。

ピーコックは麻薬か

それからしばらく後、東北で職漁師並にイワナを長年釣りまくっていた阿部武さんから、ピーコックについて面白い話を伺うことができた。阿部さんはテンカラを長年愛好してきた経験から、クジャク胴の毛針を使うとイワナの出が速くなる。出が悪い時はこれを使うが、そうでないときはイワナをゆっくりと出すために、ゼンマイ胴の毛針に変えると良いことを話してくれた。そして、もしゼンマイ胴の毛針がないときは、煙草の火でクジャクを焼いてしまうと良いことも聞かせてくれた。

白、赤、ピーコックについて、この時以来感じ入る出来事は枚挙にいとま無い。フライのジャンルを越え、今日に於いても私がフライをデザインする上で、基本的な考えの一つとなっている。

-- つづく --
2001年03月05日  沢田 賢一郎