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サクラマス編 • 第1ステージ  --第36話--
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送電線の上流には長い水路のような瀬が続いている。

川巡り

天気は周期的に変わっていた。どうも同じような巡り合わせが続いているようだ。翌週も濁流になりそうな気配だったため、出かけるのを急きょ中止した。一週おいた次の週、天気が次第に安定してきたように思えた。こんどこそとばかり、私は出発を一日遅らして臨んだ。予想が的中したかのように、前日は増水していたらしいが、その日はだいぶ落ち着いていた。橋の上から恐る恐る覗くと、水色は良くないが、ずっと川らしくなった九頭竜川がそこに流れていた。よし、これなら何とか釣りが出来そうだ。

送電線

我々は松岡町に架かっている五松橋を渡り、その下流にある砂利採り場の前に車を置くと、土手を越え、川に向かって広い河原を横切った。それ以降、何度となく歩くことになったその河原の上に、高圧線が通っていた。後に、単に高圧線、或いは送電線と呼ばれるプールがその先に広がっていたが、初めてそこに足を踏み入れた1986年には、テトラポットと柳に水際の大部分が占領されていた。

私はその付近を歩いてみたが、あいにく水色が悪くて水中の様子が掴めない。しかも少し歩く度に足下の砂利が崩れるので、付近の様子を窺うだけで上流に向かうことにした。

曇りがちで陽射しは弱かったが、昼近くになると気温が急上昇する。再び広い河原を歩くと、車に戻った時にはうっすらと汗をかいていた。我々は五松橋の上流に向かうべく橋の上から様子を見ると、右岸はすっかり護岸されていて、水際まで柳に覆われている。一方左岸は河原が見渡す限り広がっている。フライフィッシングには左岸が良いのは一目瞭然だ。我々はそのまま橋を渡ると、勘を頼りに車を走らせた。途中で目印にしていた杉の森に差し掛かった。そこは神社の境内で、その道の川側に幼稚園があった。後に幼稚園前と呼ばれて親しまれた九頭竜川きってのプールがその上流に広がっていた。
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増水した送電線プール。電線の下まで来ると、川幅が急に広くなり、水深も増す。

土手の上から見渡すと、広くて浅そうなプールだ。流れ込みから開きまで150メートル以上ありそうだ。しかし増水による濁りのせいで、水深が良く判らない。朝からもうだいぶ時間が経ったはずだが、濁りは一向に取れる気配がなかった。

ついでだから、もう少し上流を見ることにした。釣り始めるのを少しでも遅らせれば濁りが取れるかも知れない。そんな微かな希望もあった。我々は土手に沿って上流に車を走らせた。広い幼稚園前プールの上には5年前に初めて来た時に眺めた見覚えのある景色が広がっていた。機屋裏と呼ばれるプールと、その上に長々と続く瀬が見える。鳴鹿の堰堤はそのまた先にあったが、水位が高いのと濁りのせいで、最初に見た時の印象とは随分違って見えた。機屋裏のプールは広大で、この川にサクラマスが居るなら、このプールに居ない訳はないと思えるほどの規模だったが、ここも左岸は柳とコンクリートの固まりが水際を埋め尽くしている。もう少し水位が下がるか、或いは透明度が上がらないとポイントの様子が判らないから、初めて釣るにはちょっと辛い。水の状況が良くなる気配がないので、幼稚園前に戻ることにした。
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土手の上から眺めた幼稚園プール。増水すると河原の石は全て見えなくなる。

幼稚園前

車を止めた場所は長いプールの終わり近くだったので、私はロッドを担ぐとそのまま土手の上を上流に向かって歩いた。土手の下は柳とハゼの木が所々に生えているだけで、後は深い草むらに覆われていた。その直ぐ先は一面の水である。周囲の様子からして、浅くて広い瀬がゆったりと流れているらしいことは判るが、なにぶんにも川底が見えない。何処に深い場所があるのかまるっきり見当が付かないのは、こうした大きな川に入るには不安なものだ。私は100メートルほど歩いた所で、瀬の脇の水面から沢山の草の先が出ているのを見つけた。あそこに立ち込めば流心にも近いし、足場も安全だろう。私は土手を降りると、その地点目指して草むらを突っ切った。
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増水時の幼稚園プール。まるで湖のようだ。

水際に着いてから恐る恐る川にはいると、何のことはない。膝の上ほどの水深がずっと続いていた。私はそれでも念のためにウェーディングスタッフを伸ばし、慎重に歩いた。やがて目当ての地点まで到達すると、ラインを伸ばして釣り始めた。フライラインはシンキングのタイプII、リーダーに9フィートのマイナス2X、その先には1/0のフックに巻いたジェネラル・プラクティショナーを結んだ。このフライは単にGPと言うだけで直ぐに通じるサーモンフライの傑作で、とりわけスティールヘッドに絶大な効果があった。私もその前の2年間、1984、85年のカナダツアーで、その効能を信頼しきっていたから、どんなフライを使って良いのか判らないサクラマスに、先ず使ってみた。いきなりこの派手なフライを結ぶには、多少の抵抗があった。しかし濁った水がこのホットオレンジのフライを程良い色に見せていた。
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五松橋下流の瀬を釣る。遠くの山が雪に覆われているこの季節に雨が降ると、半日で川は濁流と化す。

フライを流してみて判ったのは、いま私が立っている場所は普段ほとんど水がないことだった。流し終わったフライを引き上げようとすると、頻繁に草を釣った。しかも流れてきたものでなく、そこに根を張った草だった。これは困ったことになった。ポイントの様子が全く判らない。もっと深く入って流心川にフライを投げたいと思っても、水深がどうなっているのか見当が付かないから入れない。確かなことは、この場所で釣っていても魚が釣れる可能性は、限りなくゼロに等しいことだけだった。スティールへッドを釣って多少は自信を持てるようになったパワーウェットの釣りも、濁りのおかげで全く手も足も出ない。
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その上、まるでこの不幸な状況に追い打ちをかけるように、ポツリポツリと空から水滴が落ち始めた。先ほどから雲行きが怪しくなってきたと思っていたが、遂に降り出してしまった。遠くの山が霞んですっかり見えなくなっているから、広範囲で降るだろう。唯でさえ濁っているのに、このうえ増水されたらたまったものではない。

どうして何時までも釣りをさせて貰えないのだろう。フライロッドを担いで来るようになって以来、九頭竜川のまともな流れを見たことがない。電話で様子を聞いている時は澄んだ水が流れていると言うのに、出掛けてみると濁流ばかり。私はこの巡り合わせの悪さにいい加減うんざりしてきたが、先は長いし、釣りができなかった時のことを思えば遙かにましだ。そう諦めてまたまた岐阜へヤマメ釣りに行くことにした。

岐阜に向かう途中、道路際を流れている川を幾つか見下ろすと、何処も綺麗な水が流れている。そうした光景に出くわす度に、先ほどまで見ていたあの濁流は夢だったのではないかと思えてくる。もう一度戻って確かめたい衝動に何度も駆られた。

-- つづく --
2002年01月20日  沢田 賢一郎