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サクラマス編 • 第1ステージ  --第45話--
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静寂

あの流れが怪しい。このプールにサクラマスが居るなら、あそこに必ず居る。そう断言し、3回連続当たった。我ながら少し怖くなってきた。何故こんなに読みが当たるのだろう。これまでの長かった道のりを想えば、正に地獄から天国に舞い上がったような気分だ。

それでも私には余裕など一欠片もなかった。魚が釣れたことは勿論この上なく嬉しかったが、それよりも、これほど長い時間まともな川で釣りができていることが幸せだった。

その時から随分後になって、最初の2年間が異常だったことがわかった。しかしその時点では、これが当たり前の状況と言うことに未だ気が付いていなかったから、川の水が濁流になるか、無くなってしまう前に、一回でも多くフライを投げたかった。本当に、何かに取り憑かれたように、怪しい流れを探して河原を歩いていた。
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平水の幼稚園前プール。間もなく核心部に突入する。

3匹目を釣ってから撮影に時間がかかり、気が付いた時には昼近くになっていた。我々は行きつけのレストランで仲間と昼食を摂りながら、午後の算段を話し合った。その日の朝にまたまた釣れてしまったため、誰しも落ち着いて食事などしていられない、そんな雰囲気だった。

水位はこの時期としての平水だったから、殆ど全てのプールが魅力的な姿で流れている。何処で釣れてもおかしくないように思えた。

午前中、他の人達は全て上流を釣っていたため、午後は全員が、と言っても僅か3人だが、下流側に散って行った。

私はたった一人で五松橋に向かった。
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足下に寄ってきたサクラマス。何時、どんな所から見ても美しい存在だ。

目印

車を止め、橋の上から上流を眺めた。平和な景色がそこにあった。長い幼稚園前プールのずっと先に、先週感激に浸った機屋裏プールが見える。何と美しく流れているのだろう。この素晴らしいプールに、見渡す限りたった一人の人間も居ない。

私は口に出さなかったが、午後、この目の前のプールを釣りたかった。幸い午前中に何も起こらなかったため、今は誰も居ない。そうと判っていたが、川を見るまで不安だった。

私は橋を渡ると、車を神社の先の土手に止めた。未だ河原にも降りていないと言うのに、胸が苦しくなるほど心臓が脈打っていた。

落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、私はロッドを担ぐと土手の上を歩き出した。

100メートルほど歩いて、私は土手の下の広大なプールを改めて見直した。理想的な水位とはこのことを言うのか。流れ込みの瀬が淵の中心部で緩やかに広がり、それが溶けるようにして開きを造っている。これまで見たうちで最も魅力的な幼稚園前プールがそこにあった。当然のように、あの怪しい流れができていた。それも一目で分かるくらい鮮明に。
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鱗のしっかりした魚だった。遡上後かなり時間が経過しているのか。

この土手の上を何回歩いただろう。降り口に生えている櫨の木の枝振りも、地面から顔を出したテトラの間隔もすっかり覚えてしまった。九頭竜川に来て以来、最も多く釣りをしたプール。まるでフライフィッシングのために造られたような美しいプール。どうしてもここで釣りたい。ここで釣らない限り、九頭竜川で釣ったことにならない。

そんなこだわりを感じていたから、私はその時が来るかも知れない期待と興奮に、武者震いしながら水辺に立った。

流れ込みの少し下流に腰まで立ち込み、眼下の様子を再度確認すると、私はピンクブルーのアクアマリンをフックキーパーから外し、ラインを伸ばし始めた。朝方の強風は嘘のように収まり、辺りは不思議なくらいの静寂に包まれている。もしかしたら、私の耳には回転するリールの音以外、何も聞こえなくなっていたのかも知れない。

最初の一投を投げ終えると、その後は身体が勝手に動いてフライを投げ続けた。下流の対岸に生えている柳の枝ぶりを目印に釣り下る。投げる毎にその目印が間近に迫って来る。そして遂に核心部に突入した。対岸に向けて伸ばしたラインが水中に消えるのを待ち、頃合いを見計らってフラットビームを手繰る。ラインの重さが心地よい。手繰る毎に鼓動が荒くなる。音も聞こえない、回りの景色も見えない。目に入るのは、下流の一点に向かって延びるラインだけだ。
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大好きなプールで釣れた。これに勝る喜びは無い。

感慨

両手に電気が走った。張りつめたラインの先で何かがドスン、ドスンと暴れている。私は思わず両手を差し上げ、「来たー!」と大声で叫んだ。

ファイトは夢見心地だった。覚えているのは、一度足下まで寄った魚が遁走を繰り返し、取り込むのに随分と時間がかかったことだ。

魚をネットですくい上げた瞬間、ふと我に返った。感激の余り、誰も居ない川に向かって「やった、遂に釣った」そう叫んでいた。

私は水際に置いた魚の前にひざまずき、その姿に暫く見とれていた。サクラマスは美しかった。幼稚園前プールの流れも、釣れ方も、何もかも美しかった。

3匹目までは無我夢中だったが、この4匹目を釣り上げてしみじみと嬉しさがこみ上げてきた。憧れのサクラマスを本当に釣ったんだと。
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顔付きも眼差しもそれぞれ個性的。

ルアー禁止

一日に2匹のサクラマスを2週連続で釣った。その知らせ聞いた人達は、さすがに誰もが落ち着いて居られず、おっとり刀で九頭竜川に駆けつけた。その大勢のアングラーの中で、唯一、加藤庄平だけが実力でサクラマスを釣り上げ、新しいポイントを開拓した。彼とは高原川を始め、カナダやタスマニアまで一緒に出掛けたくらいだから、すっかり気心が知れているし、何と言っても、釣りの実力は折り紙つきだった。

その彼と釣りをしている時、地元の人から九頭竜川でルアーの釣りを近々禁止することになった、と言う話を聞いた。私はその事情を詳しく知りたかったのだが、誰もはっきりとした内容を知らない。釣れない筈のサクラマスが釣れてしまったことが判ったので、漁協が禁止することにしたらしい。そんな噂しか判らなかった。

噂話では埒があかない。私は直ぐに漁協に問い合わせた。すると禁止にする予定というのは確かなことが判った。しかしその理由に付いて、担当者の説明は全く要領を得なかった。

冗談にもほどがある。私は周囲の人達と力を合わせ、多くの人達が楽しんでいることを訴えて、禁止の撤回を頼みに行く提案をした。ところが口々に漁協の非を鳴らしていた人達が、目立たないように釣ればよいとか、大人しくしていた方が得だとか言い出す始末で、結局、私と加藤庄平の二人だけで漁協に談判に行くことになった。
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土手の上を移動しながら加藤庄平とプールの様子を見る。

二回目の訪問で我々は新任の組合長と話をすることができた。我々はルアーではないが、フライフィッシングという方法でサクラマス釣りを楽しんでいること。ルアーで釣ることは違法ではないのだから、禁止にしないで欲しい旨を伝えた。ところが最初のうち、どうも話が噛み合わない。禁止の理由として判ったことは、大勢の組合員が、ルアーは川を荒らす。鮎釣りをしていても危険だから止めさせようと組合に要求していることだった。

理由を聞けば聞くほど腑に落ちなかったが、暫くして氷解した。九頭竜川にはサクラマスを狙って密漁する人が昔から居た。禁漁区で釣りをするのもそうだが、彼らはボラ釣りに使う大型の三本イカリ針を何本も結んで投げ、サクラマスを引っかけていた。地元でガリと呼ばれている方法だ。ルアーにも三本針が付いているため、それと混同していたのだ。

誤解が解けて良かった。さもなければ禁止の規則ができてしまうところだった。一度できてしまったら、それを撤回するのがどれほど厄介なことか、あちこちで起こっている問題を見れば明らかだ。

組合長は我々の要求を快諾してくれたばかりか、サクラマスの釣りを振興するために協力することを約束してくれた。翌年、全国で初めてサクラマス釣りの入漁券が誕生した。しかもその内容は、ルアーとフライに限るという画期的なものだった。

-- つづく --
2002年03月24日  沢田 賢一郎