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忍野編  --第51話--

幻のブラウントラウト

初めての忍野から帰った後も、私は相変わらずフライフィッシングの研究に没頭していた。養沢にあるフライエリアへ頻繁に出掛け、一匹でも多くのニジマスとヤマメを釣って経験を積むと、奥多摩や丹沢に出掛けた。ところが管理釣り場で身に付けた自信は、そこから一歩離れただけで見事に打ち砕かれた。フライが見えない、浮かない、魚が出てこないのだ。ルアーだったら簡単に釣れるはずの魚が、ちっとも顔を出さない。

私は海外の書籍を探し回り、フライフィッシングに付いての記述があると、それこそ貪るように読んだが、そこに書かれている内容は、私の身の回りの出来事とは随分と違っていて、フライフィッシングを日本にそのまま持ち込むことは出来ないのではないか。そんな疑問を持つこともあった。

やがてほんの僅かではあるが、フライフィッシングという文字が日本の釣り雑誌にも載るようになった。執筆者の殆どが日本式毛針釣り、つまりテンカラ釣りの愛好者であったせいか、内容は正にフライフィッシングの習得を目指す人に冷水を浴びせるようなものだった。ひと言で言うなら、「フライで日本の俊敏なヤマメやイワナを釣ることは出来ない」というものだ。

理由は常にあの美しいカーブを描いて飛ぶフライラインだった。あんなに太くて派手なラインを使ったら、臆病な渓流魚は一遍で隠れてしまう。最後は必ずそう締めくくられていた。

私は数ヶ月の経験を経て、少しばかりではあったが野生のヤマメやイワナを釣れるようになってきたから、そんなことを端から信じていなかった。
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流れが速く、複雑な渓流。チョーク・ストリームと比べると、ドライフライで釣るのが一見難しそうに見える。実際はその逆だ。

日本式フライフィッシング

しかし一方で、私より前にフライを経験してきた人達の多くが「日本の渓流ではドライフライで魚を釣ることは出来ない」と口を揃えて話していた。その理由として、「渓流は日本独自の川である。外国の川のように流れが緩く、滑らかな水面釣るのに適した方法は通用しない」というものだった。

今風の言葉に置き換えれば、「日本の渓流のように流れが複雑な場所で、フライをドラッグフリーで流すことはできない」と言うことになる。

では、どうすればよいかと言うと、フライラインを出来るだけ短くし、水面に触れないようにする。可能であればリーダーも水面に触れない方が良い。そうしてフライを上から吊るようにして流すか、或いは流れに逆らって引き上げるのが最良の方法である。これが日本独自のフライフィッシングである。ざっとこんな意見だった。
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最初は何も判らず、河原で途方に暮れた。フライが浮かない、見えない、上手く流れない。

これは即ちフライフィッシングの道具を使って、一般的なテンカラの釣りをしているだけではないか。そんなことをしたら、ロッドが短い分だけ不利になってしまう。

私が最初に養沢に出掛けた時、とても不思議に思ったのは、テンカラの釣り人より、フライフィッシングをしている人の方が、川の中に入ったり、ポイントに近づいて釣っていたことだった。養沢は管理釣り場だから、人を怖がらない養殖された成魚が沢山放してある。しかし相手が野生の魚だったらどうなるだろう。川に入るどころか、水辺に不用意に近寄っただけで、逃げてしまうに違いない。

当時の私は経験不足のため、それ以上言えなかった。それでも海外の書籍に中に、日本の渓流そっくりの川で釣りをしている写真を見たことがあった。渓流は何も日本の専売特許ではないと思っていたから、この意見にも最初から疑問を持った。面白いもので、それ以降も何年か置きにこの「日本独自のフライフィッシング」というものが台頭しては消えていった。日本独自と言われると、何となく環境に即した優秀なものらしい印象を与えるが、スポーツの世界でよく指摘されるように、国際的に通用しない。本来、日本独自などというものは存在しないのだ。
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もの凄く臆病で警戒心が強いと言われていたイワナも、釣ってみればまるで違っていた。派手な色のラインを怖がる話は想像の産物だった。

フライフィッシングらしく釣りたい

尤も魚が逃げるかどうかに関係なく、私はフライラインが美しいループを描いて飛ぶのを見るのがたまらなく好きだったから、自分でも出来るようにいろいろ工夫してみた。5mが上手くできると10m、そこから更に1mずつ伸びていくのが嬉しくて仕方なかった。10mを越えるラインが綺麗な形のループを描いて川面を走るのを見ると、もうそれだけで気分が良かったのだが、肝心の魚が釣れない。

どうしても綺麗なラインを投げた上で、魚を釣りたい。そうでなければフライフィッシングを選んだ意味がない。そう心の中で叫んでいるのに、現実は厳しかった。

そうしている内に、時々ではあったが、水面に浮いたフライが自然のままに、流れることがあった。僅かの時間ではあったが、本に書いてあるナチュラルドリフトと言うのは、こういうものなのかと想像したりした。そして明らかにフライがそう言う流れ方をすると、魚が良く出て来た。

しかしそこから先に進めなかった。フライが直ぐに沈んでしまうし、目指す地点になかなか落ちてくれないのだ。テンカラではなくフライフィッシングを知りたい。ラインを遠くまで綺麗に伸ばしたら、ドライフライをナチュラルドリフトさせ、水面に浮上してきた魚を見事に釣り上げたい。

毎日、そればかり考えてみたが、依然として情報不足と経験の無さは如何ともし難かった。

 まともなドライフライの釣りを楽しむのは、もう数年経って、ドライフライ用の撥水材とテーパー・リーダーが現れるまで待たねばならなかった。
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ラインを綺麗に投げて魚を釣る喜びは何にも増して大きかった。

芦の原

シーズンオフになって、私は数少ない海外の釣り雑誌や書籍を読み返していた。その時ふと気が付いたことがあった。そこに出てくる川の写真の中に、忍野で見た景色と良く似たものが幾つもあった。解説にはチョーク・ストリームと書いてある。何で石灰の川なのか判らなかったが、流れの様子が良く似ている。

そうか、水面がこんなになだらかならフライが良く浮くだろう。ナチュラルドリフトも簡単に出来そうだ。

もしかすると、あの川こそフライフィッシングに適した川なのだろうか。私は大切なものを見過ごしてしまったかも知れない。そう思うと、もう一度確かめずに居られなくなり、翌1970年の3月末、季節が早すぎるのを承知で再び忍野に向かった。

正午を少しまわった頃だったろうか。私は国道を折れて、松林の中の道を辿った。道の両側には未だ雪が沢山残っている。大きなカーブを曲がると、見覚えのある堰堤が見えた。初めて来た時、そこは池のように見えた。ところが今日は、正に写真で見た通りのチョーク・ストリームに見えた。私は車を道端に止めると長靴を履き、ぬかるんだ道を渡って川に向かった。

川の右岸は台地のように高くなっており、松林が半分、その残り半分ほどが畑になっていた。その台地の端に立つと堰堤の上が良く見渡せた。そこは浅くて広い水溜まりだった。川なのに水の音が聞こえない。右岸は枯れた芦が密生していて、水際が良く見えない。対岸は途中まで山の陰になっており、雪が残っていた。所々に芦の固まりと、大きな野バラの株が枝を伸ばしていた。
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3月の忍野。1970年代の初め、この下流域は藪に覆われていた。水量は僅かだったが、多くのブラウンが生息していた。

枯れ葉が一枚、水面を流れてきた。池のように見えても、水が予想以上に流れているのが判った。私は土手を下ると、両手で芦を掻き分けながら水際に出てみた。川底は良く見えたが、岸から急に深くなっていた。私は再び芦を掻き分け上流に向かった。暫く進むと芦が薄くなり、そこで川は直角に左に曲がっていた。そこから先は急な斜面の上に雑木が追い繁り、歩くことが出来ない。私は暫くそこに立ち止まり、回りの景色に見入っていた。

水の中で何かが動いたような気がした。私の右手、下流側から何かがやって来た。そして目の前、丁度川が曲がっている所で止まった。私はそれを見て息を呑んだ。60cmはあろうという鱒だ。オリーブ色の背中から脇腹にかけて黒い斑点が広がり、それに混じって青白い縁取りのある大きな星のような模様がはっきり見えた。ブラウン・トラウトだ。生まれて初めて本物を見たけれど、直ぐにそれと判った。顔が大きく、下顎が鈎のように曲がっている。雄に違いない。私は身じろぎもせず、それを見続けた。ブラウンは私の目の前、3メートル程の所でじっとしている。

-- つづく --
2002年08月11日  沢田 賢一郎