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サクラマス編 • 第2ステージ  --第59話--

17フィート

九頭竜川で初めてサクラマスを釣った1988年は、私にとって釣りだけでなく、フライドレッシングの分野でも節目となった年であった。

フライフィッシングを始めた頃、私は初めて見たサーモンフライの美しさにただただ感動した。何時かこんなフライで魚を釣ってみたいと思っていた。やがてスティールヘッドを釣るようになって、その夢が叶った。スティールヘッドと言う魚は、凡そありとあらゆるフライで釣ることができる。どんなフライで釣るのも自由だったが、私はその憧れのサーモンフライをいつも使用した。

サクラマスを釣ろうと考えた時も、アトランティック・サーモンのフライとその釣り方に関心があったから、今まで以上に多くのフライを巻き上げ、使ってみたいと思った。そもそもサクラマスの必殺フライとなったアクアマリンは、120年前の文献に収められていたサーモンフライを参考にしていた。

私は最初のサクラマスを釣った頃から、そうした文献に残された古いサーモンフライの復刻を始めた。
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クラッシック・サーモンフライ。スティールヘッドを皮切りに、サクラマス、そして本来のサーモンに活躍した。その美しさは時代を超える。

それは写真やイラストでも見たことのないフライを、昔の記述を頼りに巻くことだった。ところが古いサーモンフライなど、私にとって全く未知の世界である。資料は少ないし,読んでも判らないことだらけ。文献を前にして毎日、途方に暮れていた。

だいたい、使ってもいない、使われていた場所も殆ど見たこともないのに、それらのフライを正確に復刻しようと考える方が間違っている。

その当然の結論に達した私は、英国に出掛け、可能な限りそれらを育んだ空気を吸ってこようと決心した。

幸いにも、当時パトリッジ社のディレクターだったアラン・ブラムリーが全面的に協力してくれることになった。彼は私の要求に応じて19世紀に使われていたサーモンフックのレプリカを作ってくれたばかりでなく、多くのフライを生み出した有名な河川を巡って、そこで実際に釣りをする段取りを整えてくれた。

更にもう一人、以前からの知り合いであったジェームス・ハーディーも、私が探しあぐねていた彼の祖父の著作をはじめ、歴史的に貴重な資料を見せてくれることになった。

こうした彼らの協力のおかげで、2年後の1990年、私はオリジナルと復刻を合わせ、500パターンのサーモンフライを収録した著作「クラシック・サーモンフライ」を出版することができた。
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リバー・テイー。川の大きさ、流呈の長さ、そして魚の大きさも英国一。

ニューロッド

英国行きが決まったおかげで、サーモンフライだけでなく、サーモンの釣り方まで研究できる。サクラマスを釣った興奮が未だ覚めやらぬと言うのに、私にとって願ってもないチャンスが訪れた。

私はこの時までスティールヘッドを釣るにも、サクラマスを釣るにも、ランドロックと名付けた15フィートで12番のロッドを使用してきた。ランドロックは通常の条件で投げるには何の不足も無い。

事実、カナダのバンクーバー・アイランドで釣る限り、スティールヘッドもパシフィック・サーモンも、そのロッドで不自由することはなかった。

しかし強風の中、雪代で溢れた川に腰まで浸かって、大きなフライを30m以上投げたい。ところが後方に背の高い草や土手が広がっている。そんな状況の九頭竜川を釣るとき、何度か悪戦苦闘したことがあった。

もう少し長いロッドが欲しい。大きく振らなくても遠投できるロッドが欲しい。バックキャストを高く上げ、前方の水面に向かって振り下ろせるロッドが欲しい。
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遠投を要求されるが、ウェーディングが難しいことでも知られている。

英国から送られてきた旅行のスケジュールに目を通した時、目的地の一つにリバー・テイーがあった。私が出掛ける9月は渇水期にあたるため、サーモンが釣れる可能性が有るのは、ここを置いて他に無い。手紙にはそう書かれていた。

リバー・テイーは英国一の大河である。その大河の、どんなプールを釣るかも判らない。しかもチャンスはたったの一日。

ランドロック一本では心許ない。私は考えていた新しいロッドの試作を急いだ。
KS SS 1712D

その数年前まで、私はトーナメント・キャスティングを楽しんでいた。シングルハンドで60m、ダブルハンドは70mを越えるラインを投げることができるようになっていた。そうした経験を生かして、私はレーシングカーからスポーツカーを作るのと同じ発想で、当時まだ珍しかった高弾性のカーボン・マテリアルを使用し、競技用に近いキャスティング性能を有したフィッシング・ロッドを作っていた。

スペースシューターと呼んだ一連のロッドは、遠投が要求されるスティールヘッドにも湖の釣りにも大成功を収めた。

出発を間近に控えた8月末、ようやく試作品が完成した。ダブルテーパーのラインを使い、オーバーヘッドかスペイキャストをするのが当たり前の時代にあって、試作したロッドは、魚を釣るために作られたロッドとして、恐らく世界で初めてと言える、シューティング用ダブルハンド・ロッドであった。全長17フィート、使用ライン12番。私は殆どテストをする間もなく、そのロッドを携えて英国に向かった。
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世界一のスティールヘッド・リバーと言われるカナダのトンプソン・リバー。

リバー・テイー

リバー・テストを皮切りに、私はイングランドとスコットランドの多くの河川を巡り歩いた。果たして事前の連絡通り、リバー・テイー以外の川は水が極端に少なく、サーモンを釣るのはほぼ不可能に思えた。

しかしテイーだけは渇水の最中にも関わらず十分な水量があり、流心でサーモンが跳ねているではないか。その日、私は緊張しながら流れに入った。

私が釣った場所はリバー・テイーの河口からほど近い、アーマンマウスと言う有名なビートだった。大河の河口近くだから川幅は広い。しかも岸寄りから急に深くなっているため、いくらも立ち込むことができなかった。サーモンは40m近く先の流心で跳ねている。

釣り始めて2時間程経過したとき、私は幸運にも7kg程のサーモンを釣り上げることができた。サーモンの当たりがあった付近までフライを投げている人は誰も居なかったから、新しい17フィートの威力は絶大だった。
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川もプールも魚も、全てが巨大。

トンプソン・スペイ

英国から帰って2週間程経った時、もう一本の試作品ができ上がってきた。長さを6インチ程伸ばし、17フィート6インチに設定したものだった。私は当初から12番のラインに適したシューティング・ロッドの最長の長さは、17フィートではないかと思っていた。歯切れの良いキャスティングと、超大物と渡り合えるファイティング性能を両立させようと思った結果であった。

しかし、もっと長くできるならそれも面白い。私は念のため、6インチほど長いモデルも作ってみた。最初の17フィートと同様、テストの機会はすぐに巡ってきた。
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底石が大きい上に、大変滑りやすい。危険な川としても有名。

私は1984年以来、秋にカナダでスティールヘッドを釣るのが習わしになっていた。4年連続バンクーバー・アイランドに渡り、キャンベル・リバーやスタンプ・リバーを釣っていたが、5年目の1988年は巨大スティールヘッドの聖地と言われるトンプソン・リバーを釣る予定だった。
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増水時は1712D、減水したら15フィートのランドロック。翌年から、条件によってロッドを選ぶようになった。

10月の末、私は17フィート、17フィート6インチ、そして、それ以前から生産していた20フィートのスペイロッドを担いでカナダに向かった。

私が初めてトンプソン・リバーを見たのは、それより8年前の1980年、カムループスに向かう途中だった。大きな川を釣る機会は当時とは比べ物にならないほど多くなっていたが、久しぶりに見るトンプソンは偉大だった。どうして砂漠の中にこれほど大きな川が流れているのだろう。あれから8年経っても、同じ想いに満たされていた。

私はその大河でも幸運なことに、2本のスティールヘッドを釣ることができた。一本は夕方、岸近くにやってきた魚を20フィートのスペイロッド、SS2012で釣ったものだったが、もう一本は真っ昼間、40m程先の瀬の中で釣り上げたものだった。

私は改めてダブルハンドのシューティング・ロッドの威力を確認した。

肝心のテストだが、最初の予想通り17フィート、今日のスペースシューター1712Dに軍配が上がった。6インチ伸ばしたロッドは、トンプソン・スペイという名で数本生産しただけで終わったが、そのしなやかさを更に伸ばし、5年後の1993年、18フィートの桜スペイとして復活することになった。

-- つづく --
2002年10月06日  沢田 賢一郎