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渓流編  --第6話--

ドライフライを水面に「置く」

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水面にフライを摘んで置くように投げることができれば、長い時間ドラッグを回避できる。

私が最初に夢中になったフライフィッシングはドライフライであった。だからフライフィッシングにのめり込んだ当時、私の目標はドライフライを使って釣りができる範囲を何処まで広げられるかにあった。どのくらい広いポイントを釣ることができるか、どれほど複雑で強い流れにフライを浮かべることが可能か、そして、何処までドラッグを防いでフライを流せるか、そんな類のことであった。

フライキャスティング

それらの目標を実現するため、私は浮力の大きなフライを巻いたり、遠くからでもよく見えるフライを探したりしたが、何と言っても最大の関心事は、フライを遠くの水面まで確実に運ぶキャスティングの腕前であった。だいたいこの釣りをマスターしたいと思った理由の半分近くが、フライという可愛くて不思議な毛針で魚を釣りたかったことにあったが、残りの半分が、綺麗な色のラインを魔法のように投げてみたかったからである。それが共に上手く噛み合ったとき、水面を流れる自分のフライに、野生の本性を剥き出して美しい魚が襲いかかる。その感動的な光景を目撃してしまったおかげで、それまで夢中になっていたルアーの道具をさっさと処分してしまったのである。
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離れた場所から特定の場所に正確にフライを投げる。
ドライフライの釣りにとって最高の楽しさの一つ。

上手に投げることができた時、ラインが伸びていく姿は例えようもなく美しかった。しかも、美しいラインを投げれば投げるほどよく釣れるから、当時は誰もが懸命にキャスティングを練習した。私はフライフィッシングを精神的に支えているのは紛れもなく釣り人の美意識であると信じている。平たく言うと、格好良さだ。なりふり構わず魚を追いかけ回すことをせず、大人の釣りとして恥ずかしくないことを求めたから、度を超したストーキング、みだりに水に入ること、ろくにキャスティングをせずに釣ることは、鱒を餌やルアーで釣るのと同じくらいカッコ悪いことだった。当時、フライフィッシングは日本ではとても珍しい釣りであったが、外見が珍しいだけでなく、そうした心構えで魚を釣ることそのものが珍しかった。
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単調な流れほど、フライを長い時間自然のままに流す必要がある。

何処に立とうか

カッコ良く釣るためにキャスティングの練習を続けていると、見る見る上達してきた。ラインが遠くまで綺麗に飛ぶようになるだけでも楽しいのに、それまでとても釣れないと諦めていたポイントを、自分がラインを伸ばして釣る光景が際限なく頭に浮かんできて、一刻も早く試したくなった。春、解禁になって川に出かけると、前の年に比べて川が狭く感じられた。それまで届かなかった筈の対岸際に、フライを簡単に流せるようになっているせいだ。そうなると夏の渓流に出かけても釣り方が変わってきた。前のシーズンまで頭を低くして這うように近づいたポイントを、ずっと後方から伸びのびと釣ることができた。

長い年月釣りをしていると、魚が何処にいるか、何処にどのようにフライを流せば出てくるかと言ったことが自然に判るようになってくる。行く手に期待に満ちたポイントが見えたとき、どこからフライを投げるかを最初に決めなければならないが、いつの間にか、そのポイントを釣るのに最も面白い場所から釣るようになった。その面白い場所は何処かというと、私自身のキャスティング能力ぎりぎりの距離から釣ることだった。うまくいけばラインが美しく伸び、フライが綺麗に流れ、もちろん魚を見事に釣り上げることができた。しかしぎりぎりの距離を開けているため、油断するとキャスティングに失敗し、魚を逃がしてしまう。無理をし過ぎて多くの魚を逃すことはしないが、だからといって、河原を這っていったり、流れにむやみに入ることもしなかった。私はフライをきちんと投げるからこそのフライキャスティングにこだわった。丁度、ボールをクラブで打つからゴルフが成立するのと同じように。
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砂に埋まる前の渇水時の野呂川。ウェイトフォワードのラインを駆使して、遠くのポイントを釣る。

キャスティングの腕前が上がるにつれ、立つ位置からポイントまでの距離が長くなり、ますます爽快な気分に浸れた。沢山釣れるけれど魚のサイズは大きくない。そんなドライフライの釣りは、私にとってキャスティングを楽しむための釣りであった。同時に、ポイントから離れて釣ることは、魚を遠くでフッキングすることになり、さほど強くない魚のファイトを存分に楽しむことができた。渇水期の川や、浅く、広く、単調な流れを釣るのが楽しかったのも、近づいたら魚が逃げてしまう、本来なら難しい条件が、ポイントから充分離れて釣るため、フライを遠投できる人間にとって有利に働いたからであった。フライを始めた頃なら諦めたり敬遠したであろう難しいポイントに遭遇したとき、思わず、わくわく、どきどきしてしまう自分に気が付いたのもその頃であった。
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警戒心の強い魚ほど、フライの流れ方に対して敏感に反応する。

ドライフライを水面に置きたい

フライフィッシングに関し、見るもの聞くもの何もかも目新しかった頃、つまり知り得た内容について的確な判断が下せなかった頃の話だが、ウェイトフォワードのラインはフライの絶妙なプレゼンテーションを行う上で有害であると言った意見がこの世界の大勢を占めていた。本当はそうでなかったのかも知れないが、私が目にした当時の雑誌や書物にはそうした意見が溢れていた。少しだけ想像してみると、確かにそんな気がしてくる。しかし私が試してみた限り、そんなことは全くなかったばかりか、実際はその逆で、明らかにウェイトフォワードの方が断然優れていた。暫く後、ジェィムス・ハーディやレオン・チャンドラーやシャルル・リッツと言った当時のキャスティングの名人に教えを受けたとき、私はそれについて尋ねてみた。彼らは皆、口を揃えてウェイト・フォワードの優位性を説き、世の中に何故おかしな迷信が蔓延しているのか理解できないと言った意味のことを話してくれた。

当時の私はドライフライの可能性を何処まで伸ばせるかに関心があったから、キャスティングの技術を磨いて、どれだけ遠くまでフライを投げられるか、また、どれほど正確にフライを落とせるかに夢中になっていた。一見難しい流れでも、ドラッグを防いだまま長い距離フライを流せるコースが僅かにあるものだ。ただ、その起点となる地点、つまりフライを落とすべきところはとても狭く、しかも流れは刻々と変わるから、チャンスを見つけて正確にフライを投げる必要があった。 

遠くの水面にドライフライを浮かべるには、長いラインを投げなければならない。長いラインを空中に伸ばすと中央部が垂れ下がる。垂れ下がる深さはラインが長くなればなるほど大きくなるから、遠投するとラインのベリーが先に着水し、落下したフライを直ぐさま引きずってしまう。これを防ぐには垂れ下がる深さを減らすのが最も効果的であるから、ダブルテーパーでなくウェイトフォワードを使った方が良いのは誰が考えても当然だと思うのだが、それから20年以上経った今日でも、この迷信は消え去っていないようだ。
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複雑な流れを前にしたら、先ず立つ位置とフライを投げる地点を慎重に決める。

フライの落とし方についても同じような迷信があった。ドライフライの場合、花びらやタンポポの種が舞い降りるように水面に落とすのが最高と言う意見が多かった。ドライフライがフライ自体の重さだけで落下すれば、その速度は確かに遅く、水面に静かに着水する。しかしそれは同時に、フライよりかなり早くラインやリーダーが落下することを意味する。そうなればドラッグの掛かるタイミングが早くなってしまう。フライがひらひらと水面に落ちた頃には、ラインやリーダーがすっかり下流側に膨らんでいるのが目に見えている。そうでないのは、フライラインがロッドの先からわずかしか出ていない時だ。

フライを静かに水面に落下させると言う考えは、浮力の乏しい当時のフライを使う上で確かに大切な事であったが、ドラッグが掛かってしまっては元も子もなくなってしまう。

そのような状況で私が目指したのは、フライをあたかも指で摘んで水面に置くように投げることだった。フライはラインが伸びきってから、確かにそれ自体の重さで落下するのだが、落下する距離を限りなくゼロに近づけることだった。即ち、フライが水面に触れんばかりの位置でラインやリーダーが伸びきるようにする。見た目には落下ではなく、水面に置かれたようである。ベリーの垂れ下がらないラインを水面すれすれに投げると、フライは本当に忽然と水面上に姿を現した。

-- つづく --
2001年04月22日  沢田 賢一郎