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サクラマス編 • 第2ステージ  --第60話--

発表

1988年も残り少なくなった頃、私はサクラマスをフライで釣ったことを、アングリングと言う雑誌に発表した。どのような釣り方をしたか、どんなフライを用いたか、川がどんな条件の時に釣れたか、そうした実績を公表することによって、私は多くの人がこの素晴らしい魚を釣れるようになることを願った。
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サクラマスの写真は、各方面に大変大きな反響を巻き起こした。

わずか数人のアングラーが限られた場所で釣るだけでは、何年経っても微々たる情報しか手に入らない。もっと多くのアングラーが全国各地で釣りをすれば、新しい場所も、時期も、釣り方も、様々なことが短期間のうちに解明されるだろう。そして何よりも、多くのアングラーがこの素晴らしい魚を通して、日本でパワーウェットの釣りを楽しむことができる。

雑誌の記事は大きな反響を巻き起こした。一口で言うと、「仰天した」と言う意味の便りが多数寄せられた。

驚いたことの筆頭は何と言ってもサクラマスそのものだった。日本にこんなに大きく、美しい鱒が居たこと自体が驚異だった。実際は鱒ではなく立派なサーモンなのだが、その子供は日本の渓流魚の女王として崇拝されているヤマメだ。ヤマメは昔から小さな渓流で釣る限り、一尺あればトロフィーである。その30cmのヤマメを釣るのがどのくらい難しかったか。
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尺ヤマメ。昔から渓流釣り愛好者にとって憧れの魚。

昔から、尺ヤマメが釣れたら赤飯を炊く、と言われていたくらいだ。本流でフライフィッシングを行うのが当たり前になった今日からは、ちょっと想像しにくい話だが。

尺ヤマメでさえ難しかったのに、サクラマスはその倍の2尺もある。私は発表したとき、サクラマスのことを二尺ヤマメ、英語でチェリーサーモンと呼んだ。

それは彼女(サクラマスは通常雌だから彼女である)らを釣っている間に、自然と思いついた呼び名だったが、その名前も反響を大きくした理由の一つだったようだ。
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釣り場は極めて広く、フライフィッシングの常識を越えていた。

魚に次いで反響が大きかったのは、その釣り場の大きさであった。スティールヘッドやサーモンを海外で釣ったことのある人を除けば、写真を見ただけで、フライフィッシングが可能な釣り場とは思えなかったからだ。

しかし準備さえすれば、大河川でも釣りができる。パワーウェットと呼んだ方法を実践することによって、それから間もなく、日本中で多くのアングラーが、身近に新しい釣り場を発見した。

抗議文

ところがサクラマスの記事を発表して間もなく、北陸に住んでいる一人のアングラーから抗議文が届いた。大変長い文章であったが、要約すると、採捕が禁じられているサクラマスを釣るのは法律違反である。その違法行為を自分の愛する黒部川で行うとは何事であるか。その上あろう事か、黒部川と、そこで釣ったサクラマスの写真を公表した。執筆者と出版社、双方共に許し難い。ざっとこんな内容であった。

私はサクラマスを「釣ってはいけない魚」と信じている人が多いことを心配していた。そのため、サクラマスは北海道や新潟県といった一部の区域を除き、他のマス類と同じように釣ることができる魚である、と言った調査結果を記事に含めておいた。

それが頭から否定されたこと。また、黒部川という文字も、その写真も全く無いのに、九頭竜川の写真から、釣り場が黒部川であると断定しての抗議であったこと。どちらにおいても、どうしてこんな勘違いが起こるのか。また、その勘違いを元に、どうしてそれほど感情的な抗議文を送りつけてくるのか、私には全く理解できなかった。

ところがこの釣りが広まるにつれ、それ以降、同じような問題があちこちで持ち上がった。

サクラマスは人の心を狂わす。サクラマスが釣れるようになったことを大歓迎してくれた人々と、それに水を差す人達が、釣り人、ジャーナリスト、漁業関係者、役人と言うように、あらゆる分野で摩擦を起こした。
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日本の川でこんなに美しい魚が釣れる。しかもそれは2尺もあるヤマメだった。

あれから10年以上経った今日でも、あからさまに釣り人を閉め出そうとしている地域が残っている。しかし時代の趨勢は明らかに、この素晴らしい魚釣りを、多くの人達が楽しめるようになってきている。本当に喜ばしい限りだ。

遡上の季節

あけて1989年の一月、私は新たなシーズンに向け、準備に余念がなかった。それまでの3年間、私はサクラマスが何時から釣れ始めるのか判らなかった。判らなかったから、川の様子を見て適当に始めた。始めた時期に明確な根拠が有る訳ではなかった。
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早春の川を釣っていると、魚が居ないのではと言う不安が付きまとう。

3年目にあたる去年、私は4月になってすぐ、初めてのサクラマスを釣った。これとて早くから通い詰めたのに魚が釣れず、4月になって漸く最初の魚が釣れたと言う状況ではなかった。本当はもっと早い時期に釣りたかったのだが、条件が悪く、釣りができなかっただけだ。その代わり去年は鮎が解禁になるまで釣り続けた。その結果、シーズン終了の時期に付いては、大方の見当が付いた。

5次はシーズンの開始時期だ。サクラマスが何時から釣れ始めるのか、今年はその時期を是非とも知りたかった。釣れるようになるには、サクラマスが川に居なければならない。一体、海にいるサクラマスは、何時から河川に遡上を始めるのだろう。

私は昨シーズン中、それに関する情報を集めていた。集まった情報の大部分は、とても古い話だった。中には100年以上昔の話さえあった。明治時代、九頭竜川や神通川では正月にサクラマスを捕り、寒マスと呼んで珍重していたと言う話を聞いた。また、秋に鮭と一緒に遡上するものも、鮭の遡上が終わると同時に上り始める魚も居ることを聞いた。
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シューティング・ヘッドにフラットビームを結び、夢の彼方までフライを送り込む。パワーウェット・フライフィッシングはサクラマスを釣ることで日本に定着した。

河川によって遡上の時期は必ずしも一致しないようだが、九頭竜川に関する限り、12月に最初の魚が遡上してくるらしいことが判った。その数は僅かであろうが、何処かに居るに違いない。

私は最初の釣行を2月の1日に決めた。可能ならばもっと早く行ってみたかったが、福井県の渓流魚の解禁が2月1日であったから、それが最も早い日であった。
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海で育った魚を川で釣るには、遡上の時期を知ることが重要だった。

ウォディントン・シャンク

今年は1712Dと言う頼もしい相棒が居る。去年の秋、スコットランドとカナダでその能力は実証済みだ。これからは増水の中でも、思う存分フライを投げられる。
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機屋裏、幼稚園前、送電線、合流点、8号線と、雪代で溢れた流れに入って、17フィートを振る光景が、頭の中に次々と浮かんでくる。もう増水は心配ない。

気になるのはフライ。それもパターンの問題でなく、どんなフックを使用するかだ。大きなシングル・フックはシーズン初期を除き、外れ易くなることを経験した。

アトランティック・サーモンの世界では、ずっと以前からその問題の解決法として、大きなシングル・フックの代わりに、ダブルとトレブル・フックを使う方法が考案されていた。近代サーモンフィッシングに於いて、それは既に常識であった。

雪代が流れるシーズン初期、使用するフライのサイズは大きくなる。チューブかウォディントン・シャンクを使うのが得策だろう。プラスティックのチューブより、ウォディントン・シャンクを使った方が、アクアマリンを巻いたときの形がすっきりする。それにずっと沈みやすいだろう。

私は解禁に向けて、35mmのウォディントン・シャンクにピンク・ブルーとグリーンの二種類のアクアマリンを巻いておいた。そしてサクラマスの口の大きさと、柔らかさを考慮し、組み合わせるフックを標準の6番から、ワンサイズ大きな4番にした。

これで準備は整った。後は解禁日に九頭竜川まで無事に着けるかどうか。それだけが気懸かりだった。

-- つづく --
2002年10月13日  沢田 賢一郎