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サクラマス編 • 第2ステージ  --第62話--

予想

夕方になって雨が上がった。私は様子を見るため川沿いに車を走らせた。土手の上に立つと河原に立ち込めた霧のせいで水面が霞んで見えたが、それでも直ぐに判るほど九頭竜川は濁っていた。しかし水位は心配するほど高くなかった。

数時間降り続いたとはいえ、雨量は多くなかったように思えた。みぞれや、あられに変わったこともあったから、上流域は雪だったろう。夕方からの冷え込みが強くなれば流れ出した雪も凍り付く。そうすれば雪代が川に入らなくなり、明日は増水も濁りも収まるだろう。

川を見る前にそんな都合の良い予想を立てていたが、前日より随分と寒くなったからきっとその通りになるだろう。いや、なって欲しいと思った。

宿に戻ると平岩氏が帰っていた。彼は朝から送電線の下を釣ったが何事も無く、昼食をとっている間に雨が降り出した。雨が止んだら釣り始めようと待機している間に川は濁流となり、結局、朝の寒い時間に釣りをしただけで終わってしまった。
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最盛期の幼稚園前プール。水位、水温、濁り、明るさと、プールの様子は刻々と変化しアングラーを翻弄する。この釣りを始めたが最後、心が安まることはない。

夕食後に空を見上げると星が瞬いていた。良かった。希望通り明日は晴れる。平岩氏との会話は自然と翌日の釣り、特に何処のプールを釣るかが中心となった。私は幸いにも今日サクラマスを釣ることができた。明日は何とか彼に釣って欲しかった。彼が釣りたい場所は全て彼に譲るつもりでいた。

私がそう言うと彼は自分で場所を決められないから、良さそうなプールを教えて欲しいと言い出した。私が勧めたプールを釣ると言うことなのだが、これは難しい問題をはらんでいた。

教えることは何ら差し支えなかった。但し、そのプールが釣れない時、もしも私が他の場所で魚を釣ってしまったら具合の悪いことになる。一緒に釣りをする人に場所を勧めるのは、そんな危うさを含んでいる。

私は彼にその場所を言う前に選考の基準を先ず説明した。当てずっぽうでなく、多少の根拠が有った上で選ぶことを知って貰いたかった。もしその根拠に疑問があれば、そのプールに出掛ける必要はなくなる。私は、私の想像する今の状況から話し始めた。
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シーズン初期は比較的細い魚が多い。

分析

今日は2月1日。サクラマスのシーズンとしては誰が考えても早すぎる。私はそれを承知でやって来た。ほんの僅かであろうが、河川に遡上したサクラマスが居ると信じていたからだ。しかし、その数は微々たるものだろう。海から遡上する魚だから海に近い場所の方が魚の居る可能性が高い。しかし我々はそれをフライで釣ろうとしている。如何にパワーウェットが広い場所を釣るのに優れた方法だと言っても、広すぎては探りきれない。

今日、私が釣ったのは幼稚園前プールだった。上流域と言って良い釣り場だ。魚の数を求めるならあの付近は分が悪い。しかし流れの単調な下流域と違って、淵、瀬、浅場、深場と言うように、川の流れに大きな違いができている。その中からこの季節の魚が嫌う流れを除いてしまえば、広範囲を探ると言ってもその中のほんの一部を釣るだけで事足りる。
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目の前のプールに魚が居るか居ないかどうすれば判断できるだろう。

今は水温も低く魚の活性も高くない。その上、この時期に遡上した魚は秋の産卵期まで一年近くも川で生活しなければならない。産卵期近くになって遡上する魚と比べ、安全で体力の消耗の少ない場所を選んで定位するはずだ。自然と浅場や早瀬を嫌う。つまりそこを釣る必要が無い。

私が幼稚園前プールを釣ったとき、実際にフライを投げたのは流れ込みの少し下流から核心部までの僅か50mだった。しかしその範囲を釣っただけで、機屋裏プールの流れ出しから五松橋を越え、送電線の直ぐ上までを釣ったことと同じ結果になる。如何に効率が良かったか。

何処に魚が居るのか判らない湖で当てずっぽうにフライを投げるより、渓流で良いポイントを選んで釣った方が易しく釣れるのと同じだ。

縄張り

その考えが正しければ川の流れにメリハリのある地域が良いことになる。前日に私が流域を見て回ったとき、そうした変化に富んだ流れが有ったのは国道8号線の下流にあるプールまでであった。機屋裏からそこまでの区間に、この時期にサクラマスが居ても不思議ではないプールは9カ所あった。

次はそれらのプールに魚が万遍なく居るのか、あるいは何処かに偏っているかだが、私は薄く広がっていると思っていた。それはサクラマスがその子のヤマメと同じように、縄張りを持つ魚と信じていたからであった。何処か気に入った場所に定位すると、後からやって来た他の魚を追い払う。追い払われた魚は先客の居ないプールに定位する。こうして多くのプールに魚が入る。プールが大きい場合、その中に複数の縄張りができる。しかし魚の数が増えすぎると、鮎と同じように喧嘩するのに疲れて縄張り意識が薄れる。私はサクラマスの習性をそんな風に考えていた。
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山が冷えて雪代が止まると、澄んで綺麗な水が流れる。

今日、私が釣り上げたために、恐らく幼稚園前のプールは空になっただろう。最盛期には多くの魚が遡上するから縄張りを持った魚を釣り上げても、直ぐに新しい魚が入る。しかし今は魚がとても少ないから、何時になったら新しい魚が来るのか判らない。勿論、明日の朝までに新しい魚がやって来る可能性が無いとは言わないが、その確率は宝くじに当たるのと同じくらい低いだろう。

もしも今この区間に数十匹のサクラマスが居たら、目星をつけた9カ所のうち幼稚園前を除いた全てのプールに居ると思う。しかし5匹、否、万が一たったの一匹しか居なかったら

ただでさえ釣れる時間帯が短いのに、良さそうなポイントを一つ一つ釣って行ったら日が暮れてしまう。ここはどうしても可能性の高いポイントに的を絞る必要がある。

私はこうした理由から、広さ、深さ、流れの緩やかさと、どれをとってもこの時一番の規模だった8号線のプールを勧めた。そしてもう一言、午前11時から午後1時の間、絶対に休まずフライを投げることを付け加えた。
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この魚だけは何時までも見つめていたい。

8号線

明けて2月2日、前日とはうって変わって朝から青空が一面に広がり、太陽が燦々と照りつけていた。希望通りの天気だ。我々ははやる気持ちを抑えながらゆっくりと朝食を済ませた。

9時過ぎ、平岩氏は真っ直ぐ8号線に向かった。私は機屋裏を目指した。期待通りだ。土手の上から見ただけで、水位が下がり川が綺麗に澄んでいるのが見える。河原に立ってみると、下見の時、透明度が低かったために見辛かった川底が良く判った。去年の春ここで最初の一匹を釣ったが、その時と比べると、今、私の立っている右岸側が随分と浅くなったようだ。
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私は少しばかり拍子抜けした体でラインを引き出した。流れに入って数回投げただけで、釣れそうもないように思えた。私はプールの開きまで丁寧に流し終えると、橋を渡って対岸に回った。

左岸は変わっていなかった。12時を知らせるサイレンが響き渡った時、私は柳の枝の合間を縫って釣り下っていた。コンクリートブロックから開きのテトラポットまで、大した距離ではないが程良い流れが続いている。

その流れにフライを投げているのに、私の心は下流に飛んでいた。やはりあそこが一番だろう。今日はきっと何かが起こるに違いない。私は8号線プールが気になって仕方なかった。

開きまで達した後、私はそのまま幼稚園前プールを通って車に向かった。土手の上の車が見える所まで来たとき、平岩氏の車が走って来た。私はもしやと思ってその方向を注視した。車から降りた彼は河原の私を見つけ、大きく手を広げて合図した。遠くて声は聞こえなかったが、私は彼に何が起こったのか直ぐに判った。

-- つづく --
2002年10月27日  沢田 賢一郎