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高原川編  --第79話--

夜明けの神坂堰堤

 美しいイワナを最後に、我々は沢を後にした。ダムまで降りてきた時、営林署の人々と出会った。様子を聞いてみると、案の定、最近になって何人もの釣り人が下流からやって来て、この付近で数日間釣りをしてから帰ったそうだ。我々もこの沢が良ければ、翌日もこの付近の沢を釣るつもりでいた。誰しも考えることは同じだ。

やって来た時と同じように、我々はバイクで再び峠を越え、岐阜県側に留めた車まで戻った。間もなく暗くなる時刻だったが、直ぐ近所にめぼしい釣り場が無いため、ひとまず高原川に向かうことにした。これが誤算だった。国道を高山に向かい、そこから栃尾方面に折れるのだが、凡そ2時間かかる。その高山を抜けたところで、私は念のため宝山荘へ、これから向かう旨の電話を入れた。
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神坂堰堤の下段と、落差の大きな上段。

その日は旧盆の最中だった。宝山荘はもとより、栃尾温泉の旅館も民宿も殆ど満員だという返事が返ってきた。私は旅行案内所の電話を教えて貰い、栃尾温泉だけでなく、近くの平湯温泉、新平湯温泉、新穂高温泉と手当たり次第に連絡を取ってみたが、9時近くになっても開いている部屋は遂に見つからない始末だ。この分では高山も下呂温泉も無理だろう。我々は仕方なく、先ずは空腹を満たすことにした。

食事中にどこか一カ所くらい見つかるだろう。我々はそれが甘い期待であったことを、直ぐに思い知らされた。仕方がない。これ以上ジタバタしても始まらない。我々は覚悟を決め、少しばかりの食料を買い込んで車の中で夜を明かすことにした。
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今まで釣られたことが無かったのか、無傷の魚だった。

さて、何処に車を止めようか。道路脇はうるさいし、車が通れば眩しくて寝ていられない。しかし森や草むらの中も寝心地が悪そうだ。いろいろと候補地を思い巡らした挙げ句、我々は今田館の手前にある駐車場に向かうことにした。あそこなら静かだし、見晴らしも良い。それに夜明け一番で釣りが出来る。少し前の葛山の釣りを考えれば、夜は短い。

仮眠

夜10時を過ぎた頃、我々は神坂堰堤の上にある駐車場へ着いた。ライトを消すと星空が綺麗だった。寝不足と空腹、そして心地よい疲労。そこに食事を終えてライトを消したのだから、私は直ぐに眠りについた。

ふと目を覚ますと、車の時計は午前2時を指していた。随分長く眠ったと思ったが、未だ3時間しか経っていない。気が付くと体中が痛かった。車のシートに座ったまま寝ているのだから無理もない。私は姿勢を変えて眠り直そうとしたが、今度はなかなか寝付けなくなってしまった。第一の理由は目覚まし時計を持っていなかったことだ。あと2時間だけ寝て夜明けの川を釣りたい。もし寝過ごすと、この時期一番のチャンスを逃してしまう。眠いし、眠りたいのに、寝過ごしてはならない気持ちが働いて、寝付けなくなっていた。
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急なガレ場を厭わなければ、ここから堰堤に降りることができた。

朝一番に釣りをしたいと思って余り早くから準備をすると、往々にしてこうなる。私も過去に何度か失敗した経験があった。誰よりも早く、その日一番に沢に降りたいと思って夜中に釣り場に着いてしまうと、朝までそのまま待てないから眠ることにする。すると肝心な時になかなか起きることができない。その間に後から来た人に先を越されてしまう。それなら川原で寝ていれば良いだろうと、前の晩にテントを張ってその中で寝ていると、朝になってテントを畳んでいる間に先を越されてしまう。盆の最中の高原川を夜明けから釣る人は居ないだろうが、寝過ごせばここで仮眠した意味が無い。

気が付くと、隣の車で寝ているはずの平岩氏も目が覚めてしまったらしい。車の中でしきりと寝返りを打っている。私が寝るのを諦め車のルームライトを点けると、彼も起きてきた。たわいのない話をしているうち、時計の針は午前3時を過ぎた。

我々は車から降りると、ゆっくり支度を始めた。急ぐ必要は全く無かったから、明かりを極力使わずに支度を終え、暫く目が慣れるのを待った。やがて葛山を釣った時と同じように、東の空が黄色く染まってきた。平岩氏は上流に向かい、私は直ぐ下流にある神坂堰堤を釣ることにした。

神坂堰堤は下流からアプローチするのが一般的だが、堰堤の際を右岸の道路から直接降りるルートがある。かなり酷いガレ場なので、地元の人以外に登り降りする人は少ない。私は堰堤だけに照準を合わせていたため、躊躇わずにそのガレ場を降りた。
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堰堤上の道路から夜明けの上流を見渡す。彼方に佳留萱の急流が見える。

渇水期のため、堰堤を落下する水も大人しい。6月のように、5分間釣りをするだけでビッショリ濡れるなどと言うことはない。ガレ場を降りながら堰堤を見下ろしていると、いつものように釣っている両岸の膨らみが随分と頼りなく見えた。その代わり水が多いと釣りができない上段の落ち込みが、ことのほか良さそうに感じられた。私はガレ場の途中から、その上段に乗り移った。

上段はいつも釣っている下段より落差が大きく、通常2カ所ある水の落ち口の下に、すり鉢のような滝壺ができている。私はその内の右岸側にできた大きな落ち込みの前に立った。周囲の様子を調べ終わってから、もう一度道具を見直した。薄暗い時間に急なガレ場を降りたので、万一リーダーに傷でもできていないか心配だった。

フライラインの先に、イブニングライズに使おうと思って用意しておいたリーダーを結んでいた。いつものように7フィート半の2X。リードフライに6番のピーコッククィーン、ドロッパーには6番のマドラーセッジを縛ってある。

この季節になると高原川に残って居るヤマメの数は極端に少なくなっている。果たしてここに居るだろうか。もし居なかったら、このまま下流へ下って岩盤の淵を釣り、ヘリポートから上がろうか。そんなことを考えているうちに周囲が明るくなってきた。私は改めて落ち口の周辺を見直した。

落下する水が霧となって揺れている。それが風もないのにおかしな動きをした。私は目を凝らして飛沫の中を見つめた。居た。数匹のセッジが落ち口の周囲を飛び回っている。明るさが増すに釣れ、その数が増えてきた。数十匹のセッジが私の目の前で舞っている。落ち口の周辺から離れようとしない。
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ガレ場から見下ろす堰堤の上段。増水時は入れない。

その時私の目の前で水しぶきが上がった。落下する水の音が周囲に響き亘っていたから聞こえなかったが、水面が激しく破裂した時、かなりの音がしただろう。私は身動きひとつせず、左手に持っていたフライを放すと、小さくロッドを振ってラインを落ち込みに向けて伸ばした。落下したラインが水面を滑って、瞬く間に私の足下に流れてきた。それを数回繰り返した時、再び激しいライズが起こった。

今度はもっと右岸寄りだ。私の立っている位置から投げると、巧い具合にダウン&アクロスでフライを流せる。私はリールからラインを少しばかり余計に引き出し、落ち込みの際に投げた。落ちたラインが右岸側に流れていく。フライがライズのあった場所を通過する。1回、2回。身体中が石のように硬くなり、息をするのが苦しくなった。

3投目、薄明かりの中で、水面が盛り上がったような気がした。同時に滑っていくラインが止まったように見えた。来るぞと思う間もなく、鋭い当たりが伝わってきた。

力のある魚を掛けた時に感じる、あの隙のない手応えがあった。魚は落ち込みの下に向かって一目散に走った。すり鉢のような滝壺を一周すると、堰堤の下で掛けた魚が良くするように、落下している水の内側、コンクリートの壁に向かって潜ろうとし続けた。

幾ら走られてもここなら困ることはないから、私はラインをろくに押さえないでいた。リールが度々逆転していたが、激しい水音に消されて音が良く聞こえない。水音が大きすぎて、却って沈黙の世界に居るようだった。私は自分でも不思議なくらい魚に対して慎重だった。ところが慎重にして良かったと思えるくらい、その魚は何時までも強かった。
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飛び交うセッジに警戒心を忘れたか。表層のピーコック・クィーンを捕らえてしまった。

浮上した魚をネットで掬うと、私は堰堤の端まで歩き、そこでネットの中をしげしげと眺めた。30cmを優に超えていることは確かだが、均整が取れたその身体故に長さが判り辛かった。確かなのは、数時間前に木曽の山奥で釣ったアマゴとは随分違う。同じ種族とは思えないほど違っていた。

数分後、私がもう一度落ち口に戻った時、ライズもなければセッジも飛んでいなかった。僅か数分前、ここでセッジが乱舞し、激しいライズがあったなんて、まるで夢のようだった。川は魚気のない只の渇水の川に戻っていた。私は魚を持ったままガレ場を上り、堰堤の上で写真を撮った。ヤマメは37cmあった。それほど大きくないように見えたが、バランスの良い魚は小さく見えた。

-- つづく --
2004年01月18日  沢田 賢一郎