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アイルランドの夏、ロシアの秋  --第10話--

反転

数時間前に上がった雨が再び降り始めた頃、私は何とかなるかも知れないと思っていた。その時、

「大きいの?」 

岸からマリアンの声が聞こえてきた。

「それほど大きくないけれど、下られたら厭だから...」

「雨が降ってきたから早く上げて! カメラが濡れてしまう!」

「OK!」

私は力任せにロッドを曲げ、強引に魚を引き寄せた。数メートル近づいたところで、サーモンは今まで見せたことのない強さで頭を振ったかと思うと、反転し、流れを下った。一瞬の出来事だった。

「下った!」
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一気に瀬を下るサーモンを追って。
ビデオ・パワーウェットフライフィッシングPART IVのクライマックスシーン。

私の叫び声はけたたましいリールの逆転音にかき消された。私はウェーディング・スタッフを突きながら岸に向かった。それを見たガイドのニコライが急いで肩を貸してくれたおかげで、我々は池の中を通って下流に走った。川底は滑るし、リールは悲鳴を上げっ放しだし、まるで悪夢を見ているようだった。ようやく岸にたどり着いたときには、魚は既に流心の彼方へ姿を消し、リーダーの先に変形したフックだけが残っていた。

雪辱戦

強引に寄せたら下流に走るだろう。流れを下られたらこうなるだろう。正に予想した通りの出来事だったが、悔しいことに変わりない。我々は森に入って昼食をとり、雨の上がるのを待った。
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頭上を覆っていた黒い雲が通り過ぎると、川は再び曇り空に戻った。私は脇が破れ、底が磨り減った靴を労りながら、瀬を横切って馬の背に渡ると、同じ岩の陰から釣り始めた。先ほどの悪夢から一時間ばかり経過している。新しいサーモンが入っているかも知れない。そんな期待があった。フライを投げ始めて数分後、まるでビデオテープをリプレイしたように、全く同じ場所で同じ当たりがやってきた。私は勿論、河原全体に緊張が走る。幸い邪魔な雨は降りそうにない。私は二度と同じ失敗を繰り返さないよう、慎重にサーモンを引き寄せた。サーモンは前回と同じように、私が淀みに引き入れると直ぐに反転して元に戻る。私はロッドの向きを様々に変え、サーモンを岸側に誘導した。同じ操作を何回も繰り返すうち、サーモンは次第に流心側から離れ、流れの緩い池の方に入り始めた。そろそろ良い潮時だ。私はサーモンを不用意に刺激しないよう気を付けながら、滑る川底を慎重に岸に向かった。ようやく岸にたどり着いたとき、サーモンは未だ池の端に留まっていた。もう大丈夫だろう。私は腫れ物に触るようなそれまでのファイトとうって変わって、サーモンをまともに岸に引き寄せにかかった。
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マイナス6Xのリーダーの強度はロッドのそれを遙かにしのぐ。私は15フィートのランドロックを極限まで曲げ、魚を二度と流心に向かわせないよう、ファイトを続けた。サーモンは力強く、ファイトは予想以上に長引いたが、数分後、その7kg程の魚体を抱き上げることができた。流心を駆け下って姿を消したサーモンも、恐らく同じよぅなサイズであったろう。

リバー・ウンバで我々はサーモン・フィッシングの世界で良く起こる出来事を幾つも体験した。ファイトに際して弱気になっても、強引になり過ぎても失敗する。そして流れを下った巨大なサーモンの伝説が生まれる。フッキングについても、食欲の乏しい魚、フライを口先で摘むような魚を確実にフッキングさせる練習をかなり積むことができた。おかげで2週目に釣れた総数77匹のうち私は24匹を釣り上げ、マリアンと合わせた数は半数を超えた。

-- つづく --
2001年09月26日  沢田 賢一郎