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濁流と渇水  --第4話--
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地表まで覆っていた雲が退くと、いきなり乾いた空気で満たされる。

ロングテール

私は息を弾ませながら、バンクの上に横たわった12kgのサーモンを眺めていた。実験のために巻いた全長15センチの真っ黒なアクアマリンは、口の奥深くに仕舞われていて、外から全く見えない。私はサーモンの大きな口を開くと、歯で手を切られないよう慎重にフックを外し、フライを流れに浸して洗った。改めて間近から眺めると,さすがに大きなフライだ。

私が採った作戦は、増水して警戒心を無くしたサーモンに、濁りの中でも発見しやすい大型のフライを届けることだった。サーモンはすっかり飲み込んでいたから、作戦は完全に的中した。15センチは超大型ではあったが、狙い通り、適正なサイズだったと言って良いだろう。

私は暫くそのフライを目の前の流れに泳がしていて、一つの発見をした。そのフライは、速い流れの中でとても綺麗なプロポーションを保って泳ぐが、流れが乱れたり、急に遅くなると、フックが下がり、おかしな形になった。予想はしていたことだが、次はこの点を改良する必要を感じた。

このフライは翌年、スティングレイのロングテールとなって生まれ変わることになる。
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地表まで覆っていた雲が退くと、いきなり乾いた空気で満たされる。

フライを観察し終ると、私は再びラインを伸ばして釣り始めた。狭いポイントとは言え、未だ何回も投げていない。他にもサーモンが居る可能性が十分にある。スタート地点から10回ほどフライを投げ、間もなく緩い流れが終わろうとする辺りまで下った時、小さな当たりが2回連続してあった。2度目の当たりでフッキングすると、軽い手応えと同時に下流の水面を割って魚が姿を現した。グリルスだ。必死で暴れているが、たった今終わったファイトと比べると、トラウトが掛かったとしか思えない。可哀想なくらいあっさりと岸に上がってしまった。ファイトはさておき、幾ら濁流の中とは言え、グリルスまでもが、この巨大なフライを食べるとは驚きであった。
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心配なのはフックが小さいこと。フッキングさえ確実ならば、安心してファイトできる。

手遅れ

私は二本のサーモンを河原に並べると、少しばかり時間を置き、再度フライを岸沿いに泳がした。ブリッジプールに着いてからかれこれ2時間が経過し、流れの様子が変わってきていた。濁りが弱くなるのと同時に、水位も下がり始めた。いつものこととは言え、まったくガウラの水はなんと早く変化するのだろう。魚にとって、最早、岸寄りに避難する必要がなくなったのだろう。丁寧にフライを泳がしてみたが、何の反応も無かった。

その時、対岸の道路に見覚えのある車が止まった。毎年,このビートで顔を合わすセップ・プラガー(Sepp Prager)がオーストリアからやって来ていた。我々と同じグループだから、そのうち一緒になるだろうと思っていたが、まさかこの状況で会うとは、想像だにしていなかった。

彼は我々の足下に横たわっている白いものを見つけると、連れのアングラーと共に、驚きの声をあげながら降りてきた。そしてサーモンの前にひざまずくと、食い入るように見入っていたが、やがて両手を上げ、大声で友人に話しかけていた。
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ファイト中にフックの掛かり具合を見ることができると、ランディングがし易くなる。

彼の説明によると、増水の川を見た途端、これは見込みがないから引き返そうと思ったそうだ。しかし、暫く眺めている内に、ブリッジプールを見てからもう一度考える事にした。慌てる事はない。川にアングラーなんぞ一人だって居るものか。そう話しながら車を走らせていたが、橋に近づく頃になって、万が一、釣りをしている奴が居るとしたら、それはケン・サワダ以外に考えられない。と話した直後に、我々の姿を見つけたものだから、少しの間、言葉を失ったしまったそうだ。

我々はもう充分に濁流の川を楽しんだので、彼らにプールを明け渡して帰ることにした。流れの様子は一見、遙かに良くなったように見えたが、大増水のお祭りは終わった。更に水が減って、下流の魚が動き出すまで、恐らく釣れないだろう。私にはそんな確信があった。
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8kgほどのサーモン。遡上して一週間くらい経過している。

日照り

大増水を絶妙のタイミングで釣ることができた。今年は雨が多いから、もう一度くらい濁流に見舞われる、いや、遭遇できるかも知れない。密かにそんな期待を抱いていたら、それ以降、一滴の雨も降らなくなってしまった。まったく、これほど気紛れな天気は、この地を置いて他に無いような気がする。

毎日、朝から晩まで抜けるような青空が広がり、水位が日に日に下がっていく。水の色も、濁流になったのが嘘のように澄み切り、橋の上からブリッジプールの底石がすっかりみえるようになった。

こうなると釣りやすかったのは、ほんの数日で、あっと言う間にローウォーターの釣りになってしまう。サーモンの反応は見る見る神経質になり、大きなフライをバッサリくわえた頃が夢のように思える。
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減水したスタディオンの流れ込み。フッキングしたサーモンが下流のプールの中へ走る。

前年まではこんな状況に遭遇すると、サーモンだけでなく、それを釣る我々までもが神経質になってしまった。しかし、この年は少し違っていた。前の年、ロシアのウンバ・リバーで、神経質な魚を相手にフッキングの練習を十分に積んでいたから、サーモンがどんな反応を示そうが、ちっとも驚かなくなっていた。魚の絶対数も、ロッドの先に伝わってくる当たりの数も、ノルウェーは比較にならないほど少ないから、逃した時のショックは大きい。それでも、気分的に安らかだったのは、フッキングに失敗した理由が良く判るようになったためだ。

スタディオンの流れ込み

7月の4週目も半ばを過ぎ、川はすっかり真夏の渇水の様相を呈していた。水温は昼間17度まで上昇し、夕方になると、ぬるま湯に使っているような気分だった。水位が下がって透明度が増す。これだけでも釣りづらいのに、昼間は太陽がまともに照りつけ、川中から魚の気配が消えた。
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ラインが真下に伸びきった時にやって来たサーモン。
咄嗟に下流に歩いてラインを緩め、顎の右側にしっかりフックを掛けることに成功。

その日、我々は夕方からブリッジプールの下流にあるプールに向かった。川岸にサッカー競技場があるので、そのプールはスタディオンと呼ばれていた。ビデオ、パワーウェット・フライフィッシング・ナンバー7の初めの部分で、このプールを釣るシーンが出てくる。この時は大増水していたので、魚を釣ったのはプールの下流側だった。渇水になるとその辺りは池のようになってしまい、流れ込みとその上の瀬を釣るようになる。この日の釣りは、ナンバー0のビデオに収録することができた。

私は急な瀬の頭から釣り始めた。夕方とは言え太陽は未だ高く、昼間と幾らも変わらない明るさだった。その状況に合わせ、私はリーダーの先にローズマリーの1-1/4インチを結んでいた。瀬の中を釣り下ったが、何事も起こらなかった。やがて大きなプールの流れ込みに差し掛かった。そこは過去に何度もサーモンが跳ねるのを見た場所だったが、当たりは一度も無かった。
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銀色に輝く10.5kg。ローズマリーの大活躍と7月のトロフィー。

急な瀬は、流れ込みの直ぐ上でこちら側に曲がっている。流れを横切った私のフライは、下流に一直線に伸びたラインの先で止まる。次のキャストに入るため、ラインを手繰ろうとしたその瞬間、ロッドに衝撃が走り、リールが短い叫び声を発した。魚は私の真下に有るフライをくわえた。フッキングするには最悪の状況だ。私は咄嗟に下流に動いた。歩くと言うより、反射的に下流に飛び跳ねた。そうして置いて、ラインが流れて行くのに合わせ、ゆっくりとロッドを下流に向けた。上手くいった。ラインのテンションが強くなるに釣れ、魚は少しずつ流芯側に向きを変え始めた。私は頃合いを見計らってロッドを岸側に向け、しっかりラインを張った。

大成功だった。ランディングした10.5kgのサーモンの右の顎を、小さなフックが見事に捉えていた。

新フッキングメソッド

前年のウンバ・リバーでの経験を生かし、この年から我々が採用し始めた方法、それは当たりが有ったら、このスタディオンのように、歩いて下ることだった。下流に歩けば、ラインの張り過ぎを防ぐことができる。ウンバではボートの上から釣る事が多かったから、歩きたくても歩けない。魚がラインを引き出すのを待つか、自分でラインを送り出すしかなかった。この一般的な方法は、魚に十分な食欲が有りさえすれば、成功する可能性が高いが、そうでない魚を相手にしたとき、失敗を何度も経験した。それに対し、自分が下る方法は真に具合が良かった。通常、ロッドに当たりを感じた時、ラインを緩めるべくロッドを下流の岸側に向ける。しかし、それで間に合わない時、ラインの張り具合に応じて下流に歩き出すのだ。更に十分に間に合う時でも、下流に歩くことにより、早く、滑らかにラインを送り出せる。流れたラインが魚の下流側からフックを引いて、理想的な角度でフッキングする。こうした状況を確実に作れた。流れが速ければ速く、遅ければラインが緩まない程度にゆっくりと歩く。スタディオンでの成功によって、私はそれを確信した。この方法を採用して以来、フッキングの成功率は格段に向上した。
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ガウラきってのベテランギリー、ヨナスと記念撮影。

この年、我々は9月初めの数日間、スウェーデンのリバー・エムを釣ることになった。その数日だけで旅を終えるのは勿体ない。ならば、その前にもう一度ノルウェーで釣りをしようと言うことになり、何と一夏に3回もガウラに向かうことになった。ガウラは6月の1日に解禁し、8月の31日でシーズンが終了する。我々はその最後の数日間を過ごした。この年の8月、ガウラとその周辺の河川は、1919年以来と言う記録的な渇水に見舞われ、ブリッジプールは池を通り越して、水溜まりになってしまった。そんなひどい状況だったが、10番、12番と言った極小のフライを使っている時に当たりが2回あり、逃すことなく2匹のサーモンを釣り上げることができた。小さな当たりが有ってから、河原を5メートル近くもゆっくり歩いて、フッキングを成功させた。

この方法をマスターすることによって、フッキングに対する不安は全て解消されたと思ったが、翌週のリバー・エムで、またもや一から出直す羽目に陥った。

-- つづく --
2001年11月18日  沢田 賢一郎