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洪水と日照り  --第12話--

ランニングフィッシュ

7月の3週目に入った初めての朝、私はティルセットの遙か上流に位置するヴィンスネスに居た。時刻は午前6時になろうとしていた。太陽は正面の山を明るく照らしていたが、水面はまだ陰のままだった。

私はそれまでの実験の結果から多少の不安があったが、2種類のフローティングラインのうち、ターン性能の良かった方を取りだし、リーダーの先にローズマリーを結んで川に入った。

選んだラインはソルトウォーターラインのべーリーを伸ばしたものだったが、飛行中の姿勢と言うか、良い形のループを長い時間保つ能力に問題が有った。
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フローティングに比べ、ダブルテーパーを改造したインターミディエイトのラインは、ターン性能に優れていた。

釣り始めて10分ほど経った時、水面から昇る朝靄の中で光るものが見えた。距離は150m以上有りそうだ。プールにサーモンが入ってきたのだ。そして僅か30秒後、立て続けに3匹のサーモンが跳ぶのが見えた 。

素晴らしい。一度に3匹のサーモンがやって来るなんて、願ってもないチャンスだ。それにしても、随分速い。ムービングフィッシュではなく、まるでランニングフィッシュだ。

私は下流を見据えたままフライを慎重に投げ直した。魚との距離がかなり有ったから、狙って投げるタイミングを未だ計れない。何投目になるだろうか考えていると、下流の水面からまたもや2匹のサーモンが跳びだした。近い。もう70m程しかない。

私は前日のティルセットの出来事を思い出した。このサーモンは昨日の魚より更に速そうだ。しかも跳ねた位置がかなり対岸寄りだから、フライと交差する場所が遠くなる。
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ラインスピードを速くし、高いバックキャストから投げ下ろすと、流心を跨いでも、数秒間フライは綺麗に流れた。

私は念のためリールから更に3mほどのラインを引き出すと、流していたラインを直ぐに手繰った。時間は未だ十分ある。しかしもう投げるのは止めよう。

私は何時でもピックアップできるよう、フライラインだけを下流に伸ばして待ち構えた。全神経を集中して目の前の水面を見つめるのは、昔、本栖湖でブラウンを釣った時と同じ気分だ。

息苦しい数秒間が過ぎた時、沈黙を破ってサーモンが水面を割った。距離は約5 0m余り、対岸に沿って流れる流心の際だ。

私は落ち着いてラインをピックアップすると、斜め下流の流心目がけてフライを投げ込んだ。距離は凡そ35m。私の投げたフライラインは少しばかりオーバーターン気味に水面に落下した。そのラインの重さがロッドに伝わってくる僅か前、伸びたラインの先で大きな水飛沫が上がった。

「やった」

数秒後に伝わってくる魚の重みを待ったが、そのままだった。時間は刻々と過ぎ、私はフッキングに失敗したことを思い知らされた。
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減水と共に、水際に立てた木の枝が見る見る遠ざかる。昼間は眩しく、北国とは思えない。

気になったことが一つあった。水飛沫が上がった時、その飛沫の中を何かが飛んで行ったような気がした。気のせいではないだろう。あれは私が投げたフライだったに違いない。サーモンは何か気に入らないことがあって、ローズマリーを弾き飛ばしたのだ。

あれ程タイミングが合ったのに、サーモンはフライを吐き出したか、蹴飛ばしたのだ。何故だろう。私はそれを克服するためにやって来たのに、見事に最悪の例を再現してしまった。

運が悪かったと言う理由を採用しないと決めていたから、考えられる理由は只一つ。食べ物があったと思ったら、よく似たゴミだったことに腹を立てたサーモンが、フライを蹴飛ばしたのだ。

サーモンが発見した時、ローズマリーは本来の姿勢ではなかった。これまで考えてきた通り、それが原因としか思えない。良い姿勢はフライが上流側から引かれることによって得られるのに、その時ラインは未だ張っていなかった。

ラインの先端やリーダーが弛んで落ちたのだ。私は水から上がると、伸ばしていたフライラインを丸めて仕舞い込んだ。もうこのラインを使うことはないだろう。
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強い陽射し、下がる水位、高い透明度。我々は専ら対岸すれすれにフライを投げはじめた。

インターミディエイト

朝日が遠くの山から走ってきて、遂に目の前の水面に差し込んだ。水位が下がり、透明度は更に増した。まるで北アルプスの源流帯に居るようだ。川底の砂まではっきり見える。水に潜れば、遡上するサーモンが良く見えるだろう。

用意していたフローティングラインが2種類ともだめだと判った今、この状況で使えるのはインターミディエイトしかない。ウェイトフォワードは既にオーバーターンが激しいことが判っていたので、私はダブルテーパーの方を取りだした。

ダブルテーパーを長めにカットしたシューティングヘッドの方が、遠投した時の飛び具合が良かった。その代わり、遠投した時にターン性能が不足する。私はそれを補うために、テーパー部分を少し圧縮していた。

付け替えた新しいラインを投げてみると、先ほどよりずっとましだった。もしこのラインを使っていたら、あのサーモンはどうしていただろう。「もしも、、、」はこの世界では禁句だが、私は早く次の実験をしてみたくて、その機会が待ち遠しかった。

-- つづく --
2003年02月16日  沢田 賢一郎