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洪水と日照り  --第2話--

遅い春

橋の上から暫し呆然と流れを見ていたが、フォスの様子が気になってきた。フォスのキャンプにはギリー達が詰めているから、もっと詳しい話を聞くことができるかも知れない。我々は気を取り直して下流へ向かった。
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フォスの流れ込みには流木がひしめいていた。

明るい日差しの下、改めて見たフォスも凄まじい流れだった。明らかに昨夜より増水している。水際からかなり上がった所にハットが造ってあるが、その中に波が押し寄せていた。鉄橋の下の流れ込みには巨大な渦ができ、その中を何本もの大木がぶつかりながら回っている。確かにこれでは釣りをするどころか、近寄るだけで危険だ。この目で見たからには最早疑う余地はない。我々にできる唯一のことと言えば、週末までに何とかこの洪水が収まるよう祈ることだった。
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左岸から見たフォス。プールとは思えない景色だ。

ラグースと数人のギリーから聞いた今年の状況を整理すると、今の我々が置かれている状況がより一層はっきりしてきた。

この冬は冷え込みが長く続いたために季節が平年より3、4週間遅れ、4月になってから大雪が降った。そのため山には膨大な雪が残っていた。サーモンの遡上も遅く、海での漁は9日ほど遅れていた。

6月の初め、天気は良く川は少し高めのハイウォーターだった。水位はフロセットのゲージで2.5m。水温4.5度。朝は水位も水温も少し下がり、午後は共に少し上昇する。こうしたサイクルが暫く続いた。
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見渡す限りの濁流。アマゾン川を見ているようだ。

6月1日の解禁日、フォスはたった1匹。全くスローな出だしだった。6月3日。サイモンがこの年からNFCに加わったロワーガウラビートで9kgのフレッシュ・フィッシュを釣ったが、それ以降、途絶えた。そこへ6月6日の好天で気温上がり、大量の雪が解けて洪水状態になった。

山の積雪量は6月としては異例の深さで、これだけの水が出ても、一見して減っているようには見えない。気温が急に低下すれば雪解けが押さえられて水位が下がるが、そうでなければ雨が降らなくても、暫くこの洪水が続くだろう。

要するに我々としては寒くなることを願うだけとなった。それ以外に短時間に水位が下がる可能性はない。しかしもし更に暖かくなって、そしてその結果雨が降ったら。それこそガウラ流域の人々が今一番恐れていることだった。
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フォスのプールの中を巨大な渦がひっきりなしに下っていく。

探索

これ程までに増水すると、釣りができるかどうか悩む必要がなくなる。我々が増水を止めることはできない。ただひたすら水位が下がるのを待つだけだから、全く気持ちを入れ替えて、(と言っても、川を見る度に水位が大きく下がっているのを期待していたのだが)今までできなかった周辺地域の探索に出掛けた。

我々は1994年からガウラを釣り始めたから、今年はもう4年目だ。これまでは釣りをするのに忙しくて、ビートの中を行き来するばかりだった。しかし今回は時間が有り余っている。それに何と言ってもこんな洪水を見る機会は滅多にない。我々は地図を頼りに、ガウラの本流と支流の水源地に向かった。

ストーレンの町外れ、フロセットの橋の上でガウラと合流するソクネダルは、傾斜の緩い優しい川だ。サーモンの産卵場所として有名なこの支流は、夏の間グリルスが主に遡上する。その優しい流れのソクネダルに、平水時のガウラ本流ほどの水が流れていた。この水量が何時も流れていたら、10kgのサーモンも遡上できそうに見えた。
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支流のブアの水源は泡で埋め尽くされていた。

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普段なら大岩が点在する美しいブアも、まるで放水路のようだ。

この増水で見事な川になったのはソクネダルだけだった。ストーレンから15kmほど上流に流れ込むガウラ最大の支流ブアは、傾斜がきついため、平水でも白泡だらけの川だ。そのブアは案の定、見事な川を通り越し、激しく水煙を上げながら全域に渡って一本の滝と化していた。

本流の源流域も同じだった。遠くから見るとまるで雪渓のようだ。谷間が全て真っ白い泡で埋め尽くされていた。ストーレンから上流へ50km上がったハルダーレンと呼ばれる辺りまで行くと、両側の山の上は未だ大量の雪に覆われていた。凄まじい量の雪代が流れ始めてもう数日経つのに、一向に減る気配がない。もしかしたらこの洪水は1週間以上続くのでは。そんな不安が心をよぎった。
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夏には一滴の水もない沢もこの通り。

鱈釣り

4日間が過ぎた。我々の借りているレンタカーの距離計は、既に1000kmになろうとしていたが、水位が下がる兆しは一向になかった。4日間ドライブばかりで、釣りができない我々を気の毒に思ったのか、ギリー達が釣りに誘ってくれた。最初、何処かの湖でマスでも釣るのかと思ったら、海で鱈を釣ろうと言い出した。ノルウェーのフィヨルドで鱈を釣った経験は勿論ないし、これからも無いだろう。(本当にそうあって欲しいものだ)面白そうだから行ってみることにした。

翌早朝、我々はギリー達の車に先導されて海へ向かった。海と言うからてっきりトロンハイムにでも向かうのかと思ったら、全く逆の方向へ走り出した。ガウラに次いでリバー・オークラを渡り、北西側の山脈を越えたと思ったら、今度は海底トンネルを潜ってヒットラという島に着いた。ストーレンから200km近くもある。
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森の中に忽然と幾つもの沢が誕生した。

我々は相模湾にある乗合船のようなボートに乗り、岸近くの岩礁伝いに釣って回った。水深5m程の岩場でイソメを着けた仕掛けを下ろしたり、ジグを落として回るのだが、根掛かりがひどく、釣り時間の大半を仕掛け作りに追われてしまった。

釣り場の周辺に丸い網が幾つも張ってあった。定置網にしては様子が変だと思ったら、サーモンの養殖生け簀だった。あの生け簀の中のサーモンが大量に日本へ送られる。その日本から網の外のサーモンを釣りに来るのだから、我々をはじめ、アングラーは本当に物好きだと想う。釣りをしない人には想像もつかないだろう。

肝心の鱈だが、真鱈は少なく大部分がスケトウダラに似た小型の鱈だった。この鱈、小さいが頗る美味で、ギリー達も目一杯持ち帰った。なんだか彼らの食料調達を手伝わされたような気分だった。
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濁流の中に恐る恐るボートを出してみた。

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プールの開きを釣ろうと思ったが、釣りができる状況でなかった。

雨雲

6月13日、フォスを予約した6日目になって漸く水位が落ち始めた。僅かな広さだが、開きの両脇に流れの緩い場所ができた。水温は5度、水色はかなり濁っていて、一見して釣れそうに見えない。しかし釣り場を前にして5日間も待たされていると、何でも良いからロッドを出したくなる。可能性の乏しいことを承知で、試しに釣ってみようと言うことになった。

正午を少し回った頃、私は初めてフォスのボートに乗った。右岸側の開きにできた流れの緩い部分に、フライを流したくて漕ぎ出した。ところが魚が釣れるかも知れないと、密かに期待していたことがどんなに虚しいものか、ボートに乗って直ぐ判った。岸から見た時と違って、水面を漂うボートから眺めた景色は異様だった。フォスが、未だ釣りができる状況でないことは確かだった。
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嬉しいことに急に寒くなった。しかし雲の様子が気になっていた。

一時間ほど経って、我々はフォスを引き上げた。釣りにならなかったが、ボートを出すことだけはできた。このまま水が減り続ければ、明日は本当に何とかなるかも知れない。明日はフォスを釣る最終日だ。せめて一日くらいまともに釣りができないものか。我々はそれだけを祈った。

夕方、晴れ渡った空に灰色の雲が立ち込め、それまで暖かだった陽気が急に冷えてきた。しめた、このまま寒くなれば雪代が収まって、明日は水位がずっと低くなるだろう。最終日はきっと釣りができる。我々はそう信じて早々と眠りについた。

夜中近く、私は外から聞こえる音が気になって目を覚ました。まさかと思いながらカーテンを開いた私の目に映ったのは、ワイパーを動かしながら、水溜まりだらけの道路の上を走っている車だった。部屋の窓を開けると、湿った空気がどっと流れ込んできた。本格的な雨だ。川はどうなるだろう。少なくとも、明日、釣りができないことだけは間違いない。

-- つづく --
2002年12月08日  沢田 賢一郎