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洪水と日照り  --第9話--

リターン

7月の2週目、我々はいつものようにガウラに戻った。6月は記録的な洪水に打ちのめされたが、なんとか魚を釣ることができた。それは正に奇跡と言って良い出来事だった。その最悪の状況が終わった今、我々は渇水の心配をしないで済む夏の釣りに、大きな期待を寄せていた。

ところがホテルで近況を尋ねると、どうも様子がおかしい。いろいろ理由があるようだが、要するにまったく釣れていない。翌朝、すっかり馴染みになったギリーのサイモン・キッチャーに会った。すると彼は開口一番、

「ケン、最高のタイミングにやって来た。あなた方ははとてもラッキーだ」

そう言いながら状況を話してくれた。彼の説明によって全てが氷解した。
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新しいティルセットプール。洪水による流失を食い止めるため、無数の大岩を投げ込んで新しい土手を築いた。牧草地の中を道路が走る。

信じられないことだが、我々が6月の釣りを終えて日本に戻っている間、天候が不順で冷たい増水が続き、サーモンはガウルフォスより上流に上って来なかった。そうだからと言って、ガウルフォスより下流が良かった訳でもない。季節も鮭の海からの遡上も相変わらず遅れており、絶望的な日々が続いていた。

しかしほんの三日前、サーモンがガウルフォスを越えた。ガウルフォスより上流で最初のサーモンが釣れたのが7月8日と言うのは、近年では最も遅い記録だが、これからきっと良くなる。いや、本当にそうなって欲しい。サイモンの話し方には、まるで祈るような響きが込められていた。

一体どうなっているのだろう。6月に続いて7月も、また出だしから冷水を浴びせられた気分だ。それでも我々は彼の言う「絶好のタイミング」に戻って来たことに気をよくして、釣りの支度を始めた。
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ハイウォーターのティルセットを左岸から釣る。空が抜けるように青い。

静寂

最初に向かったのはNFCのBビートを流れるラングワプールだった。目的のプールに向かう途中、我々に馴染みの深いティルセットプールの脇を通った。景色は一変していた。先月、我々の見ている前で斜面が洪水によって削り取られたが、その跡が生々しく残っている。およそ5000平方メートルの牧草地が流失したということだが、確かに大きく湾曲していたバンクが一直線になり、残った牧草地の中に新しい道が通っていた。

道の上から下を見下ろすと、新しく築かれた、と言っても大岩を投げ込んだだけだが、バンクが誕生していた。無数の小さな車ほどもある岩を畑の上から投げ込んだため、バンクはまるで溶岩が流れた跡のような様相を呈していた。誕生してから間もないから、ここを歩くのはかなり注意を要する。
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石の土手は未だ不安定で、歩くのに細心の注意を要した。

バンクはひどかったが、水中は魅力的だった。勢い余って川の中まで転げ落ちた大岩が流れの中に幾つも見える。まるで珊瑚礁の海のように、魚にとって絶好の隠れ家になるに違いない。水中に在るめぼしい岩の位置を覚えようとして、私は水の色がいつもと少し違うのに気が付いた。

ガウラは水のとても澄んだ川だが、色は薄いコーヒーのようだ。そのため川底の白い石が黄色く見える。それがガウラ(黄色い川)の名の由来だ。それが緑色に近い光彩を放っていた。洪水の影響が有ったのだろうか。

ラングワを見渡す河原に着くと、我々は広大なプールを見ながら支度を始めた。ロッドにラインを通し終わり、最後にフライを結び終えるまで、私は水面を注意深く見据えていたが、サーモンの跳ねは一度も見えなかった。ティルセットでも見なかったから、釣りを始める前に魚の姿を見ることが出来なかったことになる。

本来それは当たり前で、見える方が幸運なのだが、三日前にガウルフォスを越えたサーモンの群れはどうしたのだろう。7月の1週目まで足止めされていたのだ。今頃は大群がこの辺りを遡上している筈ではなかったのか。

姿は見えなくても、きっと多くの魚が目の前のプールを遡上しているに違いない。我々はそう期待して釣り続けたが、遂に夕方まで、当たりはおろか一匹の姿を見ることもなく終わってしまった。帰りにクラブハウスに寄ってみると、7月の2週目だというのに一匹も釣れていなかった。不思議だ。何かが狂っている。
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真夜中のティルセット。空は明るく魚の気配が無い。

紺碧の空

間もなく1週間が過ぎようとしているのに、状況は悪くなるばかりだった。私は中型のサーモンを2匹釣っただけ。魚の数は驚くほど少なく、朝から晩まで川にいても、姿を見ることのない日が続いた。

天気もおかしかった。空が異様に青く高い。毎日強い陽射しが照りつけ、雨は勿論のこと、雲が出ることも少なかった。気になっていた水の色はますます緑に近づき、これまで経験したこともないほど澄み切っていた。ログネスの橋からブリッジプールを見下ろすと、小石まではっきり見える。そしてそこを横切る魚の姿を見ない日が続いた。

もうかれこれ10日間ほど一滴の雨も降っていない。我々が着いた日はハイウォーターだった川が毎日10cmほど減り続け、夏のローウォーターの様相を呈してきた。あれほどあった山の雪が、今は山頂付近に僅かしか見ることができない。

-- つづく --
2003年01月27日  沢田 賢一郎