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第10話 スモールフライで釣るビッグトラウト

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PART I

 1996年8月31日、我々はその年のノルウェー最後の一日を終え、翌朝スウェーデンに旅立った。ロシアに向かったり日本に帰ることを思えば、隣国のスウェーデンに出掛けるのは国内を移動するようなものだ。のんびり支度しても、半日で目的地の飛行場に着いてしまった。

 カルマー( Kalmar )という飛行場はスウェーデンの南にある。ここから車で少しばかり北に走った。ノルウェーのオスロからカルマーに向かう途中、眼下に広がっていた平坦な森が、相変わらず道路の両脇に果てしなく続いていた。






国道の下を流れるリバー・エム。この辺りは岸辺が深い森に覆われているため、訪れるアングラーは少ない。



 目的地であるリバー・エム ( River Em )、現地でエモーン( Eman )と呼んでいる川に近づいた時、マンステラス ( Monsteras ) と書かれた標識が見えた。単なる地名であったが、エムにはやはりモンスターが居ると勝手に想像して楽しくなった。

 やがて道路は一本の川を渡った。背の高い草と森に囲まれた静かな流れだった。急な岩場を流れるガウラとは大違い。川の規模が少し大きいだけで、イングランドのチョークストリームや日光の湯川によく似ていた。

 橋のたもとにエモーンと書かれた標識があるのを確認してから、我々は車を森の中に通じる小径に乗り入れた。道の両側には、まるでお伽話に出てくるような景色がどこまでも広がっていた。齢を重ねた巨木がそこかしこに生えていて、その見事な枝振りが、森の古さと豊かさを何よりも雄弁に物語っていた。






屋敷に通じる小径が森の中に伸びている。気を付けないと見過ごしてしまいそうだ。



 暫く走った時、目の前が急に明るくなり、広い庭の向こうに白い瀟洒な屋敷が現れた。看板も何もない。前もって教えて貰っていなかったら、辿り着くのに随分と時間が掛かったろう。

 庭の前に川が流れていた。今しがた道路の上から見た景色と随分違っている。川幅が広く、所々に瀬ができていた。車を降りて川岸まで歩いた時、上流側に小さな木の橋が架かっているのが見えた。どこかで見たような景色だ。それが20年以上前に読んだシャルル・リッツ ( Charles Ritz )の本の中に出てきたものだと気が付くのに、大して時間が掛からなかった。






ウルフスパー家の屋敷。通称ホワイトハウス。



追憶

 その 「A Fly Fisher's Life」を読んだ当時、私は忍野や千曲川に夢中で通っていた。ドライフライで渓流のヤマメやイワナを釣り、忍野でウェットフライの威力に驚嘆していた時代だったから、リッツの本を読んでも、その後、パリに出掛けて直接教えを請うた後でも、まさか自分が将来サーモンやシートラウトを釣ることになろうとは、想像だにしなかった。

 その私が本の中で見た川、その釣行記を読んだリバー・エムで釣りをする機会が本当にやって来たのだ。そう思うと何かしらこみ上げて来るものがあった。

 思えば数年前、スコットランドのリバー・スペイ ( River Spey ) やリバー・テイー (River Tay ) を釣った時、ケルソン( Kelson )やトラハーン( Traherne )と同じ道を歩き、同じ瀬を釣ることに感動した。リバー・ツイード ( River Tweed ) を釣った時も、ジョン・スコット( John Scott )やジェームス・ライト( James Wright )の影を感じた。特にビマーサイド・ビート( Bemersyde Beat )を釣る時など、気持ちは140年前に飛んでいて、ジョック・スコット(Jock Scott )が初めて泳いだ時のように、私もそれを投げたくなったものだ。

 彼らは遠い過去の偉人だが、リッツの場合は直接会ったことがあるだけに、時の流れや釣り人生の不思議に想いを馳せる一刻だった。






橋の上から眺めたホームプール。シャルル・リッツの本に載っている写真と同じ景色だ。



 ふと我に返ると、目の前に渇水の川が流れていた。水溜まりのようなプールとプールを浅い瀬が繋いでいる。プールはかなり深そうに見えたが、なにぶん底石が黒くてはっきりしたことは判らない。瀬の中から頭を出している緑の藻が、暫く雨が降っていないことを告げていた。

 プールには数人の釣り人が居た。少しばかり彼らの釣りを見物してから、我々は母屋に向かった。

 扉を開けるのを待っていたかのように、我々を出迎えてくれた人が居た。ジョーラン・ウルフスパー (Goran Ulfsparre ) 、ここリバー・エムのオーナーである。


ウルフスパー氏のオフィス。年代物のタックルが所狭しと並べられている。



 ちなみにシャルル・リッツが1952年に初めて訪れた時、彼の父グスタフ・ウルフスパー ( Gustav Ulfsparre )がここを管理していた。シャルル・リッツはここリバー・エムで釣りをするのに10年以上待たされた。今でも予約申し込みリストは膨大で、運が良くても5年待ちと言うことだから、我々は何と幸運だったことだろう。

 我々が到着の挨拶をしようと思ったら、ジョーラン・ウルフスパーはもうすっかり判っているとばかりに、事務所の書棚から彼が大切にしていると言う本を取りだして来た。それは1990年に私が著わした「クラシック・サーモン・フライ」だった。そんな訳で、もう説明は一切必要無くなってしまった。

 ジョーラン・ウルフスパーは我々をホワイトハウスと呼ばれている母屋に案内してくれた。古いタックル、巨大なシートラウトやサーモンの剥製とレプリカがそこかしこに飾ってある。二階の部屋からは、ホームプールと呼ばれている大きな淵が一望の下に見渡せた。何と美しく、心休まる景色だろう。


ホワイトハウスの中に入ると、まるでエモーンの歴史に足を踏み入れたような気分に浸る。





歴代のトロフィー。ここエムの魚はバルティック海で育ったせいか、どことなくユーモラス。



リバー・エム

 屋敷の中が終わると、彼は我々を川に案内してくれた。庭の外れから森の中を5分ほど歩くと、突然目の前に海が広がっていた。バルティック海( Baltic Sea )である。海の向こうに半島のような地形が見える。オーランド( Oland )と言う名の細長い島、丁度バンクーバー・アイランドのような形をした島が、エムと言う天国を流れているような川の河口を、下界から隠すように伸びていた。

 エムの水が海に注ぎ込む場所がシー・プール( Sea Pool )、その上に堤が築かれている所がピアー・プール ( Pier Pool )。その上が有名なローソン・プール ( Lawson Pool )。そこから大岩を縫うようにしてバレット・プール ( Barret Pool )とアンカークローナ・プール ( Ankar Crona Pool ) が続き、そして大きなホーム・プールに行き着く。

 ホーム・プールの上の瀬に架かっている細い橋を越えると、リバー・エム最大のパイク・プール ( Pike Pool ) が鈎型に広がっていた。このプールの右岸の頭はオールドマンズ・プレースと呼ばれている。なるほどこのリバー・エムで最も平坦な川岸が広がっていた。更に上流にアイランド・プール ( Island Pool )が魅力的な流れを形造っていた。






ウルフスパー氏に主だったプールを案内して貰った。


 ウルフスパー家が所有するのは河口から7km程である。この先もまだまだ続くが、道路を越えた辺りから川岸の藪がひどくなり、まるで日光の戦場ヶ原の中を流れる湯川のような様相を呈してくる。藪の密度はもっと濃いから、川に近づくのは殆ど不可能だろう。

 案内して貰うのを終えてホームプールに戻った頃、辺りは夕方の気配に染まっていた。予想したとおり、昼には見えなかった釣り人が大勢集まって来ていた。シートラウトは夜行性だから、これからが狙い時なのだろう。

 ウルフスパーは今から釣って見ないかと言ってくれたが、我々はこの歩きづらそうな川でいきなりナイトフィッシングは危険すぎると思い、早めに引き上げて翌朝に備えることにした。






どのプールからも怪物が潜んでいそうな気配が漂ってくる。



 我々の泊まるホテルは川の手前5kmほどの所にあり、来る途中に寄って確かめておいた。ところが戻ってみると誰も居ない。レストランも閉まったままである。ようやく留守番を見つけて訪ねると、夜間は誰も居なくなるとのことだった。近くにレストランは無いし、困った挙げ句、もう一度エムに戻って助けを請うことにした。

 ウルフスパーは数軒のレストランに連絡してくれたが、どこもかしこも閉まったままである。最後に20kmほど北のオスカシャム( Oskarshamn) と言う町にレストラン付きのホテルがあることを突き止め、親切にも我々を案内してくれた。おかげでやっと食事にありつくことができた。



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