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サクラマス編 • 第1ステージ  --第48話--

悪夢

私は高速道路の向こうに間もなく沈もうとしている太陽を見ながら、スティールヘッドの釣りを想い出していた。スティールヘッドはこの時間帯が絶好のチャンスだ。日中、プールの中に潜んでいる魚が朝夕は開きに出る。特に夕方、水面に影が落ちると、開きの終わり近くまで大胆に出てきて餌を採る。

今日はメイフライを食べたサクラマスを見た。その後、小さな当たりと共にやって来た魚を逃した。もしやサクラマスは遡上魚から、定着魚に変わりつつあるのか。
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季節の変化と共にサクラマスの居場所が変わる。

サクラマスはスティールヘッドではない。遡上を続けるチェリーサーモンだ。その考えでこれまでの二週間成功を収めた。しかし「未だ二週間」でなく、「もう二週間」も経ったとしたら、彼女らはチェリーサーモンから二尺ヤマメに変身したかも知れない。

この合流点プールにチェリーサーモンが居れば、目の前の怪しげな流れ、このプールの核心部で釣れる筈だ。何もなかったのはこのプールが空き家か、さもなければプールの中の他の場所に居るからだ。他の場所と言っても、残るは目の前に広がる浅い開きだけだ。今までさんざん釣ったが、何にもなかった所だ。
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日没直前、合流点プールの浅い開きに二尺ヤマメが出てきた。

しかし、可能性のある場所はもうここしかない。

巨大ヤマメ

夕陽がその姿を消しつつあった。私の下流には鉛色に光った水面が見渡す限り広がっている。もし、このプールにヤマメが居たら、今どこにいる。時は正しく渕尻でイブニングライズの始まる時間だ。大きなウエットフライを結び、ダウン&アクロスで表層を釣り下る時間だ。

私はフックキーパーに掛けたアクアマリンをもう一度外すと、真っ赤な空に向かって投げ始めた。水が多いと瀬になってしまうが、未だ緩やかに流れている部分が20メートル以上残っていた。しかし水深は深い所でも1m程だろう。それまで使っていたタイプ2のシンキングラインをそのまま投げたので、根掛かりが心配だった。

水面がなだらかに広がっているから、大きな石はない。私はもう少し沖まで入ろうとして動くのを止めた。黙って立っているだけで、足下の小石が消えていく。開きは見た目より流れが速かった
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どことなくほっそりした身体が、二尺ヤマメに変わったことをうかがわせる。

下流の対岸近くに投げたフライが、規則正しく弧を描いて流れて行く。小刻みに10投ほどした辺りで、プールの開きは余す所僅かとなった。フライは相変わらず全く同じ弧を描いて流れている。スティールヘッドが居るならこの辺りが怪しいのに。

フライが川幅の半分以上を流れ切った辺りで、私は根掛かりしないようラインを手繰り始めた。しかし3回ほど引いた時、フライは止まってしまった。大きな石が無さそうなのに、どうして突然根掛かりしたのだろう。

そう思ったのは、ほんの一瞬だった。根掛かりではなかった。間違いなく大型の魚だった。大きく頭を振りながら、あっと言う間に浮上し、平らな水面に大きな飛沫と波紋を残してフライを吐き捨てた。
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減水、水温上昇、強い陽射し。何もかも目まぐるしく変化する。

波紋は数秒で跡形もなく消え失せ、元通りの静かな水面に戻った。

「嘘だろう。そんな馬鹿な」
「悪い冗談、、、であって欲しい」

嘘でも冗談でもなかった。その証拠に、私の目には飛沫の中に浮かんだ大きなサクラマスの頭がはっきりと焼き付いていた。

流れの中に入っていなかったら、私はその場に倒れ込んでしまったに違いない。目を開いているのに景色も見えず、岸まで立って歩けたのが不思議なくらいだった。

予想は再び当たった。これまで全く気配のなかった開きの浅場に二尺ヤマメは出ていた。それなのにまた逃してしまった。

しっかり釣り上げていれば、一日2匹を3回連続達成できるところだったのに。残念を通り越して、気絶しそうになるほど悔しかった。
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ヤマメ化するにつれ食が細くなる。食べ方も大人しくなる。

連敗

私は次の釣行までの間、逃がした2匹の魚のことばかり考えていた。

それまで釣り上げた魚とどこが違うのか。何を読み違えたから逃げられたのか。もう一度同じ状況に遭遇したら、今度は失敗せずに釣り上げることができるだろうか。等々、とりとめもなく想いを巡らしていた。

どんな結論を導くにせよ、「運が悪かった」という所に落ち着かせたくない。それどころか、「運が悪くても魚を釣り上げた」という風にしたいものだから、私は現状に対処するだけでなく、その先に起こることも予測しておきたかった。

先ず逃した二匹の魚に付いて、時間が経過するに従い、遡上を続けるチェリーサーモンから、気に入った場所で一休みしている二尺ヤマメに変身したと考えた。海の食生活から川のそれに適応する。正に巨大なヤマメになったのだろう。判らないのは、その変化を起こさせる原因、変化のための引き金となる現象だ。
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遡上後の時間とは比例しないように思われた。膨大な雪代の中で、新しい魚も古い魚も同じように釣れた。それでは季節の変化か。広い意味でこれが当たっているような気がした。では何が魚に季節変化を感じさせるのだろう。

生物の世界では、日照時間の変化が最も大きいと言われている。それは当然だろうが、一週間で大きく変わるものでもあるまい。もっと劇的に変化するものの可能性が高い。

私は自分の目で簡単に確かめられるものとして、水温、水量、濁り、餌、陽射し等を考えてみた。弱い陽射しの中、冷たくて透明度の低い雪代が川中に溢れている時から見れば、初夏のような陽射しに水が減って、透明度が高く、水温も上がる。それまで幾らもなかった餌も現れる。
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遡上後間もない魚は、フライに対する反応が速い。

ここまで考えてきて、私は魚が変化するのは当然という気がしてきた。思い当たる事象を並べただけでこれほどはっきり変化している。春先に釣れたからと言って、何時までもそのパターンが続く訳がない。

私はアトランティック・サーモンに関する文献をあたってみた。あの膨大な数のサーモンフライを育んだ背景を知りたかった。本当に知りたかったことにはなかなか到達できなかったが、ここでも、季節や水位の変化が魚の習性や食性に大きな影響を与えていることが判った。

ところでもう一つの問題をどうすべきか。これは簡単に答えが出なかった。真下の流れでやって来る魚だ。特にフライが流れ切った後、次のキャストに備えてラインを手繰っている時など最悪だった。針を外そうと口を開けている魚と正面から向き合ってしまう。立ち込んでいる場所の真下だから浅いし、魚は直ぐに水面に浮いて頭を振る。何とかしようと思っても、何もできないうちに外れてしまう。

この時点で私が考えた対処法というのは、そこに来る前に魚に必ずフライを捕らえさせると言うものだった。
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雪代の中からやって来たサクラマス。まるで海の魚だ。

予測

市村さんから聞いたところによると、5月の連休後に釣りをする人は殆ど居ないそうだ。魚は見えても、ルアーでは滅多に釣れなくなるからと、理由は簡単だった。その日、私が川に着いた時、確かに川には人の気配がなかった。連休まで頑張った人達も、つれないサクラマスに嫌気がさして、一人、また一人、他の川へ去っていった。

私は五松橋の上からすっかり新緑に覆われた川を見ていた。前回よりかなり水が少ない。透明度も増している。この状況で魚は何処にいるだろう。暫く眺めた結果、私は機屋裏から幼稚園前プールに流れ込んでいる急な瀬に向かった。

翌週、雨のせいで川原は久しぶりに一面の濁流に覆われていた。私は幼稚園前プールの中程にある淀みに入った。

その次に出掛けた時、川はまるで真夏のような暑さだった。私は日没直前、合流点プールの開きを通り越し、流れ出しの際どい場所に入った。

この3回の釣行で、私の予測は全て当たった。予想した3カ所でサクラマスをフッキングした。しかし事もあろうに、それら全てを逃した。ここで来るぞと判っていて外してしまった。

4連勝の後は何と5連敗。さすがに天を仰いでも、言葉が出なかった。

-- つづく --
2002年04月14日  沢田 賢一郎