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スティールヘッド編  --第131話--

水柱

20分ほど経過した頃だと思う。水面に細いラインを引きながら流れを横切ってくるマドラーミノーが巨大な水柱に飲まれた。突然の出来事に私の身体は反応してしまい、気がついた時はロッドが上を向いていた。水面のフライに魚が出たら、何もせずラインが張るまで待つつもりだったのに、ものの見事にロッドを煽ってしまった。予想通り、両手に何の感触も伝わってこなかった。
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魚が降った場所は、ランディングに向いていた。

魚は確かにフライに飛び出したのだが、フックは魚の口の皮一枚させ捉えることなくスッポ抜けてしまった。私は突然の出来事に半ば放心状態だった。居ないと思っていた魚が、事もあろうに水面のフライに飛び出した。その水しぶきの大きさもさることながら、その場所の水深はどう見ても5m近くありそうだ。

そんなに深い所にいた魚が、水面を泳ぐあのちっぽけなマドラーミノーに飛び出すなんて。私は激しい動悸を無理やり抑えながら、今しがた水柱の立った場所に繰り返しフライを流した。鼓動が正常に戻るまで投げ続けたが、当然のように水面は静まり返ったままで、あの水柱は夢か幻のように思えてきた。

私は次いで対岸のホテルランを流し、午後はスペンセス・ブリッジの上流にあるグリーズ・ホールに向かった。これら二つのポイントも実績があるということなのだが、私は朝方に釣ったレイルロード・ランが脳裏から離れず、その日の最後のポイントとして再度向かうことにした。ポイントの形や佇まい、そして魚の気配と言った常識的な判断基準は、夜明けの水柱の前にはどうやっても太刀打ち出来無かった。

夕方、少し早めに向かった筈なのに、秋の晩はつるべ落としと言われるほど早く暮れる。釣り始めて直ぐに程よい明るさになった。朝方、水柱の立った地点を通り過ぎて間もなく、水面のマドラーミノーの直ぐ後ろで黒いシルエットが水面を割った。音も水柱も立たない。よそ見をしていれば気が付かなかったに違いない。
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フックが小さいため、慎重に引き寄せる。

私はロッドをそのまま保持して、その時を待った。期待が絶望に変わる直前のタイミングで、リールが逆転を始めた。最初に数メートルのラインが大人しく出て行った後、突然リ−ルが狂ったように逆転し、同時に40mほど先の水面で魚が水柱とともに宙を舞った。
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フックが小さいため、慎重に引き寄せる。

私はリールに手を触れず、ロッドを起こして魚を走らせた。小さなフライの方が良いような気がしたので、用意したフライの中で最も小さい6番フックに巻いたマドラーミノーを結んでいたのだ。
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フックの掛かり具合が判って、更に緊張する。

キャンベル・リバーを始めとするバンクーバー・アイランドの河川で、私が使ってきたフックは主に 2/0 から 5/0 のサーモンフックであった。例外は4番のストリーマー・フックで、ドライフライを除けば全て大型で頑丈なフックであった。6番のフックが伸びた経験は無かったが、それは今までに釣った魚を相手にした場合である。しかし今その針が捉えているのはトンプソンのスティールヘッドだ。私はブレーキを極力控え、魚の疲れを待った。
フックが伸びなくても、掛かりが浅ければ簡単に肉切れする恐れがあった。

魚は50mほど下った所で動かなくなった。私は慎重にラインを巻き取りながら岸沿いに下った。魚が止まった場所は川幅が急に
広がり、流れが緩くなっていた。ランディングするにはうってつけだ。私は魚を休ませないよう、さりとて過分なプレッシャーを与えないよう努めた。幸い20フィートのスペイロッドはその役割を完璧にこなしてくれた。
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ランディングに成功。ほっとする。

魚は引き寄せられると元の位置まで走って戻ることを何回も繰り返したが、一度浮上すると、その後は急に大人しくなって寄ってきた。サイズは最初の魚より幾分小さかったから、おそらく16-17ポンドくらいだろう。その上唇の端に6番のマドラーミノーがちょこんと張り付いていた。無理をすれば本当に危なかった。
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小さなフライに出たのも、それで釣り上げられたのも驚き。

こうして私にとって初めてのトンプソンは成功裏に終わった。五日間の釣りで、二匹のスティールヘッドが多いか少ないかは別にして、魚の少ない大河での成功は、単に周到な準備の賜だと思った。


-- つづく --
2015年09月06日  沢田 賢一郎