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スモールフライで釣るビッグトラウト  --第3話--

夕暮れのホームプール

その日の午後、エムに来て初めて間近にシートラウトを見た。一人のアングラーがホームプールの頭で釣り上げたのである。60cmを少し上回るくらいのサイズだったが、ジャンプしたり走ったり、元気な魚だった。ウルフスパーの言っていた、最も釣れる可能性の高いサイズだ。

夕方近くになると、魚がフライを積極的に追い始めるのか、そう期待したが後が続かない。結局その魚は、我々の滞在中に他のアングラーが釣った唯一の魚になってしまった。
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左岸側から見たホーム・プールの流れ込み。
このなだらかな水面の様子から、起伏に富んだ川底の様子を窺い知ることはできない。

陽が陰ると何処からともなくアングラーが現れる。本当に湯川や忍野のようだ。皆、夜行性のシートラウトが動き出すのを待っているのだ。
 
我々が橋の上からその様子を見ていると、どういう訳かホームプールが空になってしまった。昼間でもライズが見えるため一日中人が詰めかけるが、夜が近づくと、もっと岸近くの小さなスポットを狙う人が増えるようだ。

私は初めてホームプールの右岸に入ってみた。このプールは流心が左岸側を流れている。その流心で魚がジャンプするのだが、左岸から見ると本当に目と鼻の先で跳ねる。大物が跳ねた時など、飛沫が顔にかかりそうに思える距離だから、大部分のアングラーは左岸側から釣っていた。

私はこのプールを一目見た時から、右岸から釣った方が良いと思っていた。その右岸を、他のアングラーがウェーディングするのを何回も見ていたので、安全のため、私も同じコースをなぞるように釣り下ってみた。歩くコースは比較的平らな川底の端に沿っていた。その直ぐ先は川底が見えない。どのくらいの深さか判らないが、流れの中心は深いクレバスとなって下流に伸びていた。
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ホーム・プールの中程で重い魚をフッキングした。

やがてプールの中央付近までやって来た時、水色が少し明るくなっているのが判った。この辺りから少し浅くなっているようだ。私はタイプ II のシンキングラインを使っていたので、根掛かりを心配したが、相変わらずフライは何にも触らず流れてきている。更に数メートル下ると水面に藻の先が見え始めた。日が陰ってきたためはっきりしないが、そこから下流は浅くなって藻が多く生えているようだ。

その時、私の直ぐ下流側で水面が大きく動いた。音も飛沫も上がらなかったが、大きな波紋が周囲に広がった。私は数歩下ってから、フライを今までと同じように下流側に投げた。

たったいま波紋が起きた辺りを、私のフライが通過し始めた。見た目より流れが緩くなっているのだろう。ラインの動きが随分と遅く感じられた。このままでは今度こそ根掛かりしてしまいそうだ。私はぎりぎりまで待ってからラインを手繰った。5回くらい手繰ったろうか。そのラインがドスンと押さえ込まれた。
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魚はラインに引かれていることなど気にも掛けないで下り始めた。
まるで子牛に引かれているようだ。

追跡

魚だ。ラインを引いていたものだから、自動的に合わせたことになってしまった。フッキングの状態が気になったが、今さら心配しても始まらない。

魚はゆっくり下流側に移動している。スピードは速くない。先程の魚と同じようにゆっくりと、しかしどうにも止められない重さでもって動いている。私の足下に手繰ってあったラインが出て行ってしまうと、今度はリールがゆっくりと回転を続けた。何処まで下るのだろう。先程の根擦れの感触が蘇ってきて、何とも厭な気分だ。

魚はプールの端に到達すると、水面から顔を出した岩に沿って泳ぎ始めた。私は何とか上流に引き寄せようとしたが、魚はラインのことなど全く無視しているようだ。私はもっと強い力で引き寄せたかったのだが、躊躇していた。魚の顎を捉えているのはたった一本のフック。それも緩い流れに合わせて選んだ6番と言う小さなサイズだったからだ。無理をすれば簡単に伸びてしまう。一か八かの勝負をするには未だ早すぎる。
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浅いプールの開きに沿って走りだした。ラインで切れた藻が水面に浮き上がる。

並んで突き出た岩に沿って泳ぐうち、魚の引き方が次第に荒っぽくなってきた。自分がどういう状況に置かれているか、漸く気が付いたらしい。岩や藻の中に頭から突っ込み始めた。先程の二の舞だけはまっぴらだ。私はなるべく高い所からファイトするため岸に上がった。

それがいけなかったのかも知れない。魚は浅い流れ出しに向かって一直線に走った。私は桟橋の上に立ってぎりぎりの所まで堪えたが、その魚は水飛沫を上げてホームプールを後にし、アンカークローナの岩の中に落ちていった。

いつの間に駆けつけてくれたのだろう。私の後ろでファイトを見ていたウルフスパーが、下流に進むルートを指図してくれた。おかげで私は魚の下流側に回り込むことができた。

アンカークローナ・プールは渇水のため、辺り一面に岩が顔を出していた。既に陽が落ち、辺りは薄暗くなっていると言うのに、岩が黒いため川底の様子が全く掴めない。私はウェーディング・スタッフを頼りに魚に近づいた。
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ホーム・プールの中程にある桟橋。まさかこの上からファイとすることになろうとは。

魚は岩の間にできた溝の中を飛沫を上げながら走り回っている。やがて大きな岩の影に入ると動かなくなった。私はラインを絡ませないよう、慎重にその岩の後ろに近寄った。驚いたことに、水面から巨大な三角形の尻尾が突き出ている。魚は正に頭隠して尻隠さずと言った体で動かないでいるではないか。

私は更にラインを巻き取りながら近づいた。もう尻尾に手が届く。そこまで近づいて困ってしまった。過去にあまり経験のないことだ。充分にファイトして引き寄せた魚なら、尻尾を掴んでランディングできる。しかしこの魚は尻尾を掴まれて大人しくしているほど疲れていない。しかもその尻尾の大きさからして、力ずくで押さえ切れるようなサイズではない。
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ホーム・プールの開きに並ぶ岩。魚はここを越えて下流に落ちていった。

バレット・プールのファイト

案の定、私がその尻尾に触れた瞬間、魚は水飛沫と共に岩の隙間から飛び出すと、今度は下流に走った。下流にはバレットプールが広がっている。バレット・プールならもう少しファイトし易い。ところが私の立っている場所の直ぐ下流に桟橋があるため、もうこれ以上、下流に歩いて下ることができない。どうしてもここで勝負しなければ。

困ったことがあった。私の立っている場所は目の前が速い瀬となって、下流のバレットプールに流れ込んでいる。その瀬に逆らって魚を引き上げるのは不可能だ。魚にどうしても瀬のこちら側に来て貰わなければならない。

私は瀬の頭に入り、ロッドを思い切り対岸側に向けながら魚を引き上げにかかった。流心の対岸側は浅くて流れが緩い。ここで何とか瀬頭まで引き上げ、一気に流心を横切らせて足下に引き寄せる作戦を採った。それ以外の方法は考えられなかった。
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昼間のアンカークローナ・プール。
渇水のため藻が水面から露出している。魚はこの岩の間を縫うように泳いだ。

暫くファイトを続けたため、さすがに疲れてきたのだろう。魚は次第に大人しくなってきた。私は対岸に沿って可能な限り引き上げた。大きな背びれと尾びれが、黒いシルエットとなって水面を切り裂きながら上流に向かっている。もう腹が川底を擦っている。

私はすかさずロッドを返し、右岸側に引き寄せた。下流側から引かれたため、魚は反転すると目の前の瀬を横切り始めた。何という重さだ。もうフックの強さを心配しても始まらない。私はここが勝負とばかり寄せ続けた。
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サーモンかシートラウトか。どちらにせよ巨大な魚だ。

外れた。6番のフックは少しばかり変形して戻ってきた。私は川岸に詰めかけた大勢のギャラリーとウルフスパーに挨拶して夕暮れの河原から戻った。ウルフスパーの見たところ、あれはかなり大きなサーモンではないかと言うことだった。私はここエムに居るのは全てシートラウトと信じていたから、意外だったが、そう言えば水面から突き出た尾びれは確かに先端が尖っていた。

この一部始終はパワーウェット・フィッシング・ビデオのパート5「スモールフライで釣るビッグトラウト」の冒頭に出てくるシーンだ。本当はその後も釣り続けたかったが、秋の陽は正につるべ落としだ。瞬く間に暗くなり、足下も覚束なくなる。もちろん撮影はできないので、引き上げることにした。

-- つづく --
2002年05月12日  沢田 賢一郎