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スモールフライで釣るビッグトラウト  --第5話--

流れ込み

下流に広がるパイク・プールには未だ二人のアングラーが残って居たため、我々は森の中を迂回してホームプールに戻り、橋の上から様子を眺めた。周辺には朝より大勢のアングラーが集まっていたが、釣りをしているのはほんの数人で、残りは帰り支度をしていた。朝早くから釣りをするので、昼になると食事のために一度川を離れるのが習慣となっている。彼らは夕方に戻ってきて、また釣り始める。

よく晴れ上がった日に忍野や湯川を釣るのと似たようなものだから、太陽が高くなったら昼寝でもしていた方が利口なのだろう。我々は用意してきたサンドイッチを取りだし、プールを眺めながら橋のたもとで食べ始めた。
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渇水、緩やかな流れ、強い陽射し。水温は遂に20度を超えてしまった。

真夏のような太陽が容赦なく照りつけている。計ってみると、岸辺の水温は22度まで上がっていた。我々が食事を終える頃になって、ホームプールに残っていた人達も帰って行った。確かに釣れそうな気配は皆無だ。夜に備えて昼寝をするのが得策と言うものだろう。

私が16フィートのロッドを担いで水際に立った時、エムに残っていたのは我々だけとなった。対岸の釣り人を気にせず自由に釣りができる、私にとって絶好のチャンスが訪れた。

私は予めホームプールの流れ込みを両岸から観察して置いた。橋の下の浅い瀬は左岸に寄ってプールに流れ込んでいる。流れ込みには巨大な岩が点在していて、初日の開始早々に魚をフッキングしたポケットを作っていた。その直ぐ下流側は深い溝となっている。ウルフスパーに尋ねたところ、この水位でも3m以上あるはずだという。問題は大岩の背後が突然深くなっていることだ。そのためずっと上流側にラインを投げ、流しながら沈める方法が使えない。
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掛かった。走った。次の瞬間、宙を舞う。

私は流れ込みの左岸側にある入り江に注目した。その入り江は増水時に水路となるようだが、聞くところによると、そこも同じくらいの水深があるそうだ。

私が考えたのは、その入り江に向かって、右岸側からラインを投げることだった。35m以上投げなければならないが、入り江の中にフライラインを落とすことが出来れば、フラットビームは渇水のために細くなった流心を跨ぐことができる。つまり下流に流されること無く、ラインを充分に沈めることが可能だ。

そして充分に沈んだ頃合いを見計らって、ラインをゆっくりと手繰る。ラインの沈み方が遅いから、フライにゆっくり流心を横切らせても根掛かりしない。そして潜んでいる魚は、頭の上をゆっくり通過するフライに思わず襲いかかる。

そんな筋書き通りに上手くことが運ぶかどうか、私はどきどきしながら流れ込みの右岸側に入った。
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フッキングした魚は川底を這うように上流に向かった。

怪物の巣窟

初日の釣りを終えたところで、私は道具立てを少し変更して置いた。先ずフックの強度を上げるため、フライのサイズを6番から4番にした。リーダーはフックの強度を考慮すればマイナス2Xで充分だったが、根擦れの損傷を考え、マイナス6Xを10フィートほどにして結んだ。そしてフライラインをタイプ II シンキングにした。深く沈めるには全く不向きなラインだが、ゆっくり引いても沈みすぎない筈だ。
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一転して下流に走る。ロッドの先を高くして根ズレを防ぐが、藻に絡むたびにひやひやする。

私にとってとても都合が良かったのは、丁度フローティングのフラットビームをテストすべく、試作品を持って来ていた。流れが弱い所でランニングラインを長い時間、水に漬けて置かねばならなかったから、フローティング・モデルには大いに助けられた。

私は対岸の入り江の直ぐ上流に向けて、4番のエム・シュリンプを投げ始めた。少しでもドラッグを防げるようフライを対岸すれすれに落とし、ロッドを差し上げてランニングラインを全て空中に張った。ラインの先端が大岩の後ろで殆ど止まっている。そろそろ1m以上沈んだ筈だ。私はラインを他の人達と比べ、かなりゆっくりと手繰った。上手くいっているようだ。充分な時間をかけて手繰っているのに、根掛かりしない。

一度投げる毎に1mほど下流に移動した。その僅か3投目。手繰り始めたラインがドスンと引ったくられた。ロッドを起こす間もなく、またもや流木を釣ってしまった時のようにラインが伸びていく。前日と同じ感触だ。足下に貯めていたラインが全てロッドの先から出終わった時、私はリールに手をかけ、少しブレーキをかけてみた。
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プールの中をさんざん泳ぎ回ると、今度は水面で暴れ出した。

その途端、魚は急に走り、次の瞬間大きく空に舞った。シートラウトだ。そしてもう一度大きく回転しながら水面高く跳ねた。褐色の身体に鮮やかな黒い斑点が散っている。それがはっきり見えた時、空中に張りつめていたラインが勢いよく戻ってきた。私は慌ててそれを避けた。

凡そ6kg程だったろうか。あっさりフライに食いつき、あっさり逃げていった。

私はフライを点検し、そのまま釣り下った。対岸のやや下流側に入り江が広がっている。その奥に向かって思い切りラインを伸ばした。入り江が深いため、フライラインの全てが流心の向こうに着水した。私は15まで数えてから静かにラインを手繰り始めた。

ラインは投げた時と殆ど同じ方向に伸びている。流心を跨いでいたおかげで、下流に引かれることなく沈んでいる。10回ほど手繰ったから、そろそろフライが流心に差し掛かる頃だ。私はそのまま一定のペースで手繰り続けた。間もなくフライラインが見えてくるだろう。その辺りでフライが流心を通り過ぎる筈だ。
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数分かかってやっと近くまで寄ってきたが、何時までも岩の下に潜り込もうとする。

黒い鼻曲がり

ラインが止まった。私がゆっくり持ち上げたロッドの先から、何かが動く振動が伝わってきた。魚だ。また来た。私は魚の動きに合わせて手に持ったラインを慎重に送り出した。一度下流に向かった魚は、急に向きを変えると上流に泳ぎ始めた。浮上する気配は無い。ひたすら川底を這うように上流に向かっている。
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漸く岸近くの浅場に誘導した。

私の立っている場所から上流には例の大きな岩が乱立している。魚はその隙間を縫うようにして上っていく。上れなくなると向きを変えて再び上る。岩を迂回しながら流れ込みの瀬まで上ったところで、遂に溝が行き止まりになったのか。またもや反転すると、今度は下流に向かって猛スピードで走り、水面から勢いよく飛び出した。

随分と黒い色をしたシートラウトだ。2回目のジャンプをした時、顎が曲がっているのが見えた。大型の雄だ。フックは大丈夫だろうか。私はまるで腫れ物に触るように慎重にファイトを続けた。

幸い魚は下流に突っ走る気はないようだ。その代わり川底を這い回っていて、引き上げようとすると、猛烈な力で抵抗した。私は直ぐ側にあった岩に上り、ロッドを高く差し上げてラインが水中の岩に触れるのを防いだ。魚は長い距離走らないし、私は思い切り引き寄せもしないから、互いに何時までも疲れない。随分長い時間ファイトし続け、シートラウトは漸く水面に浮き始めた。
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岸にずり上げることができないので、最後は手で持ち上げる。

私の後ろには藻の生えた浅場が広がっている。私は慎重に魚をその浅場に誘導し、やっと抱き上げた。

下顎が鈎のように折れ曲がり、尻尾の付け根が太い。重さは10kg近くあるだろう。見事な雄のシートラウトだった。私は顎の縁に付いたエムシュリンプを外した。フライはいとも簡単に外れた。慎重にファイトして良かった。サーモンのつもりで引き寄せたら、この魚にも逃げられていたろう。

気が付くとホームプールの周囲に数人のアングラーが居た。そろそろ夕方の釣りに備えて戻って来たのだろう。私は既にプールの中程に居たから、開きまでは残り僅かの距離しかなかった。このままもう数回フライを投げてみよう。私は急いでラインを引き出し、藻が生えた開きの対岸に向かってラインを伸ばした。流れが遅いから落下したラインが幾らも流されない。私は同じように15迄数えてからラインを手繰った。

同じことをほんの数回繰り返しただけで、また同じ当たりがやって来た。一体ここには何匹の魚が入っているのだろう。3匹目の魚は軽かった。と言っても4kg近くあったから、本来ならとんでもないサイズである。この川で釣っていると魚のサイズに対する感覚がおかしくなる。4kgのシートラウトが小物だなんて言える川は、世界中探したって他に見つからないだろう。
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下顎が鈎のように曲がった雄のシートラウト。10kgを少し下回るくらいか。

魚が小さかったせいで下流に下られる心配はなかった。私は針が外れないことだけを考えて慎重にファイトした。ところが、この魚も示し合わせたように、突然走ってから2回続けてジャンプした。もっと跳ねたのかも知れないが、そこでまたラインが戻ってきてしまった。

ホームプールを取り囲む人が更に増えたため、私はその魚を最後にプールから上がった。待望のシートラウトが釣れたのは嬉しい。しかしまた2匹も逃がしてしまったのが何とも悔しかった。

-- つづく --
2002年05月26日  沢田 賢一郎