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洪水と日照り  --第13話--
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何という明るさ。水に潜って魚が居るかどうか調べたくなる。

岸際

未だ午前9時だというのに、昼下がりのような陽射しに白い河原が眩しかった。ラインをインターミディエイトに変えてから2時間、魚の姿も見えず、何事も起こらなかった。

私が流れ込みから少し下った所に居た時のことだ。その辺りは未だ川幅が狭く、流れの中心は対岸に沿って流れている。私はその流心にフライを落としながら釣り下っていた。今まで見たこともないほど水が澄み切っていると言うのに、空は余りに明るく、魚が釣れそうな気配を感じることも無くなっていた。

諦めかけていた時、50mほど下った対岸すれすれの所で水飛沫が上がった。サーモンが居た。もう少し水位が下がると、その辺りに居着くサーモンを何度か見たことがあった。

もう居着いているのか、それとも岸沿いに遡上しているのだろうか。私には未だどちらか判らなかったが、飛沫の上がった付近を注視していると、そこから20mほど上った所で再び同じような飛沫が上がった。

遡上している。しかも対岸に沿って泳いでいる。私は急いでラインを手繰ると、たったいま飛沫が上がった場所から10mばかり上の水面に向け、ラインを伸ばした。距離は30mあるかどうかだ。バックキャストを思いきり高く上げてから投げ下ろしたため、ラインは上空から真っ直ぐ水面に向かい、流心と岸の間の隙間にフライを叩き込んだ。

うまくいった。私は投げ終わると同時にロッドを高く差し上げ、ラインを張った。同時にラインの向こうで水飛沫が上がり、少し間を置いてリールが激しく逆転した。サーモンは6kgを少し越えた、このサイズには珍しい雄だった。光が強く、水が澄んでいたものだから、泳ぐ姿を美しくビデオに収録することができた。

それにしても、余りにうまく事が運んだ。こんな事ができるなんて、今まで夢にも思っていなかったから、私は思わず笑い出してしまった。これは凄いことだ。

30mそこそことは言え、流心を跨いでその先の魚を釣ったのだ。それも狙い撃ちにして。フライが水面に落下してから魚がそれに飛びつくまで、凡そ3秒くらいだった。

フライを姿形よく水面に落とすことさえできれば、魚は瞬時に反応する。これで流心の向こうが釣れる。まだまだ改良しなければならないが、長年持ち続けた夢を遂に実現できる時が来たのだ。
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水晶のように澄んだ水。北アルプスの源流帯でイワナを釣っているような気にさせる。

夜中のヴィンスネス

我々がガウラに戻ってきてからもう10日間が過ぎようとしていた。空は毎日判で押したように抜けるような青さで、気温は上がる一方だ。それに連れて川の水位も下がり続け、いよいよ渇水の様相を呈してきた。

ノルウェーのこのガウラが流れる辺りは、夏至の頃になると一日中暗い時間がない。時刻に関係なく、天気の悪い時が暗い。すっかり晴れ渡ると、真夜中でも明るすぎて困るほどだ。それが7月の半ばともなると、夜が再び訪れる。午前0時から3時までが最も暗くなるから、天気のよい渇水時にはその時間帯が絶好のチャンスとなる。

暗いと言っても、雨さえ降っていなければ、明かりなしで糸を結べる。イブニングライズの時間にマスがよく釣れる、あの最も刺激的な暗さが数時間続く。

二日後、我々に夜中の12時からヴィンスネスを釣る機会がやって来た。暗くなって貰わないと魚が釣れる気がしないから、我々は何とかこのチャンスをものにしたかった。ビートに着いた時、水温は未だ16度もあった。それまで釣っていた人達は、当たりも跳ねも、魚が居る気配は全く無かったと言いながら帰っていった。
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この条件でよくぞ釣れた。対岸すれすれでローズマリーをくわえた雄のサーモン。

釣り始めるのと同時に、辺りは急に暗くなってきた。減水によって干上がった河原が下流に広がっている。乾いた石が白く光り、そこだけが昼間のようだった。

山と対岸はすっかり黒く霞んでいる。その中に幾つか明るい色をした見覚えのある岩が点々と並んでいる。私は昼間ほどではないが、水に浸かっていた。辺りは暗くても、川底にある白っぽい石が良く見えるから、歩くのに困ることはなかった。

長いプールの流れ込みから三分の一を過ぎた辺りで、川幅が広がり始める。流れの中心は未だ対岸側だが、この付近から少しずつ岸から離れ始める。渇水時はこの辺りから下流にかけて、岸沿いに居着くサーモンが見られる。

私は前回の経験から、フライさえうまく投げ込めば、居着いていようが遡上していようが、流心の向こう側の魚を釣れると確信していた。未だ居着いている魚独特の静かな跳ねを見ていないし、その気配も感じられない。だからといって、絶対に居ないとも言えない。私は万一に備え、同時に練習も兼ねながらバックキャストを高く上げ、フライを対岸すれすれに勢いよく投げ込み続けた。
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夜中の12時。暗闇の中で何かが起こりそうな気配がする。

対岸が遠くなるに従い、フライを投げる方向がダウン&アクロスから正面の対岸側に変わってきた。その方が対岸すれすれにフライを投げるのは易しくなる。しかし落下したラインが流心をほぼ直角に横切ってしまう。

私はラインを投げると同時にロッドを持ち上げ、ラインにドラッグが掛からないようにし向けた。難しい場合は、そのうえ更にロッドを煽ってフライを動かした。その投げ方を続けていく内、フライは水面に落下と同時に泳ぎ始め、平均で4秒くらい良い姿勢を保った。やがて対岸にある一際大きな岩の前にやって来た。

-- つづく --
2003年02月23日  沢田 賢一郎