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スモールフライで釣るビッグトラウト  --第6話--

対策

狙いが上手く当たったのはこの上なく嬉しかったが、心配していたこともその通り起きてしまった。私が結んでいるのは小さなシングルフック一本だけだ。しかも流れが緩いところでラインを手繰っている。それに大型のシートラウトが襲いかかり、次の瞬間、宙に舞っている。外れないのが不思議なくらいだ。

一体どうすれば確実なフッキングが出来るだろう。

前年のロシアでの学習、そしてこの夏のノルウェーでの工夫によってフッキングの確率は格段に向上した。余程運が悪くない限り、もうフッキングで苦労することは無い筈だった。その自信が僅か二日間で崩れた。
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昼近くになると、夕方に備えて誰もが川から上がる。賑やかだったプールも、人気が無くなる。

釣りが終わってから、私はフッキングに失敗する理由をあらためて考えてみた。フックが変形してしまったり、肉切れを起こしてしまうのは、サイズが小さいことが大きな原因だ。そのため、小さなサイズで大きな魚を釣りたかったら、ダブルやトレブルフックを使う。これが最も効果的な解決法である。しかしここエムではシングルフックしか使えない。シングルの場合はサイズを大きくすれば良いのだが、困ったことに、今は魚がそういう大きなフライを食べてくれないし、重いフライはこの緩い流れの中で魅力を失う。
 
ここはリスクを覚悟の上で、軽くて小さなフックを使わなければならない。

小さなフックでもしっかり掛かればかなりの力を発揮するものだ。そのフッキングの状態を良くするには、時間をかけてフックを魚の口に深く刺すことだ。フックがベンド(bend)の部分が隠れるまで刺さるか、或いは、皮を突き抜ければ、フックが伸びてしまったり、肉切れを起こす可能性が少なくなる。決め手はフッキングに時間を掛けることだ。魚の当たりがあったら出来る限りラインを送り、ゆっくり、そっとフッキングするよう心掛けよう。

それ以外に、昨日までの二日間の釣りではっきりしたことが二つあった。

一つは、夜行性のシートラウトだが、釣りようによっては昼間でも釣れること。そしてもう一つは、殆どのアングラーが朝と晩に一生懸命釣るため、その時間帯は釣り場の選択が自由にならない。ところが日中は諦めて帰ってしまうから、川には誰も居なくなってしまう。私の見たところ、この渇水の状況で唯一、可能性があり、しかも最大のポイントであるホームプールを自由に釣るには、昼間しか無いと言うことだった。
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陽が陰ったホーム・プール。一度引き上げたアングラーが戻ってくる頃だ。

グリーン・フォックス

シートラウトを狙う釣りの三日目が始まろうとしていた。前日、私が大型の雄を釣り上げたことは、もうすっかり川中に知れ渡っていて、我々が川に着くと、会う人達すべてから祝福された。
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4番のグリーン・フォックス。ラインを手繰る度に、スクィレル・テールが微妙に揺れる。

我々はゆっくり支度を済ませ、様子を見るため橋の上に向かった。気のせいか、水位が更に下がっているように見える。時計の針は既に10時を回っていた。こんな時刻にやって来るのは我々くらいなものだ。他の人達は夜明けから釣っているから、この時間になると土手に座って休んでいる人が多いし、釣りをしている人の様子もどことなく緊張感に欠けているように見えた。

我々はゆっくり上流に向かい、パイク・プールを一流ししてから橋に戻った。予想通り、既に帰り支度を始めている人が何人か残っていたが、川に入ってロッドを振っている人の姿は見えなかった。

私がリーダーとフライを点検している間に、残っていた人達も我々に手を振って帰って行った。また二人きりになった。我々にとって、彼らが戻ってくる迄が勝負だ。
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渇水がいよいよひどくなり、池のようになったパイク・プール。

私は土手を下りると流れ込みに向かって静かに歩き、流れの脇に顔を出している大きな岩の手前に立った。その日、フックキーパーには4番のグリーン・フォックスを掛けて置いた。私は改めてそのフライを点検すると、前日と全く同じようにラインを引き出した。リールの回転音がゲームの開始を宣言するように、ホーム・プールに響き渡る。ラインの大部分を引き出し終えた時、岩のすぐ向こう側を走っている溝で水柱が立った。ロッドの先で叩ける距離である。唯でさえ緊張しているのに、この水面の爆発によって、私の頭に一気に血が上ってしまった。

背中を誰かに押されているかのように、私は夢中で残りのラインを引き出すと、トラブルを起こさないことだけを考えながら、ラインを下流の対岸に向けて伸ばした。幸い対岸は傾斜が急だ。私は向こう岸の際、本当にぎりぎりところにフライを落とした。フライラインは予定通り大岩の陰に沈み始めた。ゆっくり手繰り始めると、昨日と同じ感触が伝わってくる。上手い具合にフライが溝を横切っている。
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13.58kg。真珠のように輝くフレッシュ・フィッシュ。

僅か2投目。ドスンと言うショックと共にラインが止まった。もう来てしまったのだ。私はラインが緩まない程度に軽くロッドを持ち上げた。魚がゆっくり下流に動いている。左手で持ったフラットビームが指の間をすり抜けて、その動きに合わせるように伸びていく。手繰っておいたラインが全て出ていってしまうと、今度はリールが静かにさえずり始めた。かれこれ15m程のラインが出ていったところで、私は初めてリールを押さえると、静かにしっかりとラインを張った。

ロッドがしなり、フッキングが完了した。これで良いはずだ。私はそう信じてまともにファイトを続けた。魚は走り、潜り、一転してジャンプしたりと、プールの中を暴れ回ったが、急に観念したように浮上した。私はすっかり大人しくなった6kg程のシートラウトを抱きかかえ、左の顎にガッチリと掛かっていたフライを外した。フッキングは大成功だった。
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黒っぽいイメージのシートラウトとは随分違った魚だ。

炸裂

昨日と同じだ。始めて直ぐに当たりがあった。そして今日は逃さずに釣り上げた。未だ2回しか投げていない。ホーム・プールの核心部、入り江の前の最深部には未だフライを投げていない。

私はヌルヌルになったフライを流れに漬けて濯ぐと、今しがた立っていた場所へ真っ直ぐ向かった。下流の対岸に入り江が口を開けている。私はその位置を確認すると、再びラインを引き出した。

1投目は少しばかり距離が足りなかった。私はラインを更に3回引きだしてから、再び入り江に向けて投げた。上手くいった。昨日と同じようにフライラインが流心を越え、フラットビームがその上を跨いでいる。

私は10まで数えてからラインを手繰り始めた。静かに、そしてゆっくり手繰っているのに、胸はどきどき、身体中が緊張のあまりカチカチになっている。今か今かと待つうち、手元までフライラインが戻って来てしまった。思わず溜息が洩れる。
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この口に小さなシングル・フック一本。胃が痛くなるようなファイトが続く。

もう一度、そしてもう一度。最初の地点から2mほど下った所で同じようにラインを手繰り始めた。心臓はますます激しく脈打ち、ロッドを持つ手はまるで金縛りにでもあったように動けない。ただ左手だけが静かに動いている。間もなくフライラインが水面から顔を出す。フライが流心を横切る頃だ。

突然ロッドが引ったくられるようなショックが伝わってきた。当たりと言うには余りに乱暴な引き方だった。そしてそのまま間髪を入れずに、魚は猛烈なスピードで下流に走った。手元に手繰ってあったラインが、ロッドという鉄砲から打ち出された弾丸のように飛び出していく。直後に悲鳴のようなリールの回転音がプール中に響き渡った。何という速さだ。このままではバレットプールはおろか、数秒で海まで帰ってしまう。

ホーム・プールから下らないでくれ。私は祈るように流れ出しを見つめた。その時、銀色を通り越してまるでパールのように輝く物体が、水面を突き破って空に舞った。水面からの高さとその速さは鱒離れしていた。まるでセールフィッシュのジャンプを見るようだった。
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私のトロフィーとなった魚を、ウルフスパーと共に記念撮影。

真珠色の魚はプールの開きで立て続けに2回ジャンプすると、急にこちらに向かって来た。大急ぎでリールを巻いてもラインが弛む。魚は私のことなど眼中にないのだろう。目の前を通り過ぎると、上流に向かい始めた。

前日に釣り上げた雄のように、溝の中を伝って上っていく。ラインが藻を切り、その藻がラインにぶら下がったまま動いている。まるで魚の進路を告げるかのように。

私はラインを張る力を少しずつ増やしていった。浅瀬に突き当たった魚は、遂に上るのを諦めて再び下流に下った。それから10分近くに亘ってファイトが続いた。しかし高水温に耐えられなくなったのか、開きの手前で浮上すると、すっかり大人しくなった。

美しい魚だった。私にとって記録的なサイズだったため、ランディングした魚を計測した。何と13.58kgもあった。それはエムの歴史に残るサイズであった。

-- つづく --
2002年06月02日  沢田 賢一郎