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-- FLY FISHER`S GREAT CONTRIBUTIONS

幼年期の終わりに----グランプリ受賞に寄せて

内田 政彦(Masahiko Uchida)
2000グランプリ・ドレッサー/ 2000 Grand Prix Winner of the Fly Dressing Competition

Shower of Stars (Ken Sawada) dressed by Masahiko Uchida

コンテストを意識し始めた頃

98年の夏、私がサーモンフライに真剣に取り組み始めたのはこの頃でした。一通りの釣りを経験し、自分の釣りをもう一段レベルの高いものにしたいという気持ちからでした。

そのころ、私がホームグラウンドとしていた川からの帰路にフライショップ・タイトラインがあり、オーナーの相地さんがマインドアングラーのフライドレッシング・コンテストに参加していたのを知り、立ち寄ってフライを見てもらうことにした。相地さんはサーモンフライのべーシックなプロポーション、使用したフックの特性などを説明した後、「コンテストに出されるんですか?」と一言。氏の下にフライを持参するのはエントリーを目指す人が大半であっため、私もその一人と思ったのだろう。実はその言葉が私に初めて「コンテスト」を意識させたのだった。

そして10月、「せっかく教わったのだから…」と締切間際に巻いた一本をコンテスト事務局宛に郵送した。その後、フライのことは暫く忘れてしまっていた。

初回、佳作入選

 結果が届いたのはその年の暮れだった。書留を開けると、返却されたフライと佳作入選の通知が入っていた。その時はコンテストの主旨も佳作の意味もよく分かっていなかったので、ただ漠然と嬉しかった。

コンテストの入賞者には、翌年春のコンペティション参加の権利が与えられる。軽い気持ちで参加した自分がコンペティションにまで出品するのは気が引けたが、目標に向かって集中することで自分が急速に上達することを実感していたので、やってみようと決意した。そしてマテリアル集めに取りかかっていたところ、相地さんに「今後のためにも一度、沢田さんに会ってフライを見てもらってはどうか。」と言われ、事前に連絡を入れて、プロショツプサワダにフライを持参したのだった。

締切まではあまり時間も無かったが、沢田氏のアドバイスに従ってできるだけ多くのフライを巻いていった。そして、締切の3日程前に提出用のフライを巻き、郵送した。

Green Highlander (Pryce-Tannat) dressed by Masahiko Uchida

落胆

1カ月程たった頃、沢田氏に直接フライについてのコメントをもらうべく、プロショッブサワダに出向いた。エントリーした自分のフライを見せられた時、作った直後とはかなり違った印象を受けた。作品の提出後もサーモンフライは巻き続けていたし、時が経って冷静になり、フライに対する見方が変わったからかもしれない。さらにその後マインドアングラーに載ったフライの写真は、実物では分かりにくい不自然さを強調して伝えているようで、少し落胆してしまった。

次回からは時が経っても色褪せないフライを巻けるようになりたいと思い、1/0から3/0くらいのフックにスタンダードパターンを巻き続け、日々を過ごしていった。

苛立ちと焦りと

それから次のコンテストが終了するまでは、新たな知識の習得と練習に多くの時間を費やした。休日は専ら釣りに出ていたため、平日の朝と夕方に時間を作って手を慣らしていった。プライス・タナットの"How to Dress Salmon FIies "、ケルソンの"The Salmon FIy"を時間をかけて読み、新たな発見があろうものなら、頭上にミネルヴァの梟でも舞い降りたかのように大はしゃぎし、バイスに向かっては、やりたいことと出来ることのギャップに落胆したりの繰り返しだった。努力し続けることによって技量を伸ばすことは出来ても、調和を欠いた手と頭と心は良い結果を生み出すはずもなく、苛立ちが募るばかりだった。どんなに刺激的な知識や技術であっても、機が熟していなければ真に自分のものとして定着できないことも思い知らされた。

 そして2回目のコンテスト参加は、直接フライを持参し、その場で沢田氏にコメントをいただき、エントリーを終えた。

翌年のマインドアングラーの発売日、写真を見てまたもや溜め息。この頃には、自分の描いたイメージと巻き上がったフライが少しずつ一致しはじめる時期でもあったので余計にそう思えたのかも知れないが、「サマになっていないな…」と感じた。以後も沢田氏にフライを見ていただいた時に指摘されたことだったが、技術的な部分にこだわり、捉えるべきものを捉えていない自分がそこにはあった。

この日からは自分の意識を変えてドレッシングに取り組んだ。

迷いが吹っ切れたとき

数ヶ月後、コンペティションの期日が迫り、最終的に「雪豹」、「発芽期」、「星降る夜」の3本をドレッシングすることにした。今回は表現するキャンバスの大きい9/0指定のパターンばかりを選んだ。沢田氏のアドバイスと自身の描く生命体のイメージをたよりにドレッシングに取りかかった。3本とも、意外なほど手応えも感じず、あっさりと巻き上がってしまった。ほぼ思い通りの仕上がりとなり、不思議とそうなるのが当然のように感じられた。少し戸惑いながらも、この3本をパックして締切の2日前に郵送した。

その後は解放感もあったせいか、チューブフライやスベイフライを大量に巻き込み、パワーウェットに没頭してしてまった。

期待通りの朗報を手にして

私が頻繁に通うことのできる地元の川では、今期は渇水の日が多く、思うように結果を出せず、あれこれ考えながら悶々と日々を送っていた5月の下旬頃、帰宅すると小包が届いていた。送り主は(株)サワダとなっていた。暴れ出す期待感とそれを押さえようとする冷静さが入り混じった訳の分からぬ心境で荷を開けてみると、グランプリの賞状とりボンのかかった緑色のラッピングの袋が出てきた。中には、"Grand Prix Winner"という文字と自分の名前が刻まれているゴールドのハ二カムリールが入っていた!

私が誕生日を迎える2日前のことだった。

受賞後、フライショップタイトラインにて

通算して4回目の参加で、私にはグランプリという素晴らしい評価が与えられました。しかし、自分の中にドレッシングに関しての課題がなくなったということではありません。また、今後もそのようなことは起こらないでしょう。賞状と共に送られてきたコメントの中には、私の追求し続けるべき目標が示されていますし、私自身も自覚しています。このタイトルは新たな次元に向けて歩み出して行く探究者への門出の祝いであり、扉を開けるべく贈られた鍵であると思っています。丁度、幼年期を終えて外の世界に歩み出すように、私も扉の向こうへ踏み出しました。

今は目を開けても、閉じても何も見えませんが、応援し続けてくれたタイトラインの相地さん夫婦、そして導いていただいた沢田氏に感謝しつつ、ゆっくり歩を進めて行くつもりです。この文章が皆さんの目に触れる頃には、周囲の光に慣れ、自分の立つ場所が少しずつ見え始める頃かもしれません。