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渓流編  --第14話--
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ドライフライを使うと接近する魚が見えることから、早合わせを起こしやすくなる。

魚の口にフライが入らなければ針掛かりしない

下流側のプールでそれまでと全く同じように3匹のイワナを得た私は、もう一度上流側のプールに戻った。スレっからしのイワナ一匹しか居ないと思っていたプールから立て続けに、無邪気なイワナが飛び出してきた。全く恥ずかしい実験であったが、この出来事は私のその後の釣りに限りなく大きな示唆を与えてくれた。

魚が針掛かりするのは針が口の中に入るからで、口の中に入らない、或いは僅かしか入らない針で魚をフッキングするのはどだい無理な話だ。フッキングを良くしたかったら針が口の奥深く仕舞われるようにすればよい。それには魚がフライをバッサリと飲み込めば良い。目指すは触っただけで掛かるフライではなく、魚がバッサリと飲み込むフライだったのだ。ただし、魚がバッサリ飲み込むフライは、フライの姿形だけで決まるものではないから、釣り方の全てが関わってくる。

私が初めてシャルル・リッツのア・フライフィシャーズ・ライフを読んだ時、「魚が食うか食わないかは、フライのパターンよりもプレゼンテーションの方が大きく影響する」という一節を見つけた。当時、そうした意見は懐疑的に扱われていたが、この実験を経験した私には、正に膝を打つ言葉だった。私がフライを巻くことだけでなく、キャスティングに熱中し、そのシャルル・リッツに教えを乞いに行ってしまったのも、その後、様々なタックルの改良に携わったのも、全てはプレゼンテーションを良くしたいの一心から始まったことだった。そしてそれは今日になっても際限なく続いている。
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水晶のような水が流れる金峰山川、西の又。
フライにゆっくり近づくイワナを目にすると、待ちきれずに合わせてしまいやすい。

フライにじゃれる魚

魚がフライに飛びつく時の動作は、魚の種類によってかなりの差があるように思う。一種類の魚だけを長い年月釣っていると、釣り方がその魚にふさわしいものに変わってくる。特に合わせのタイミングについては、魚の種類だけでなく、釣り方、使用するフライ、平均的な魚のサイズ、釣り場の環境などによってかなり変化するから、特定の異なった釣りをしている人同志の議論はしばしば食い違う。対象と釣り方が違うのだから、単にフライを使っているという共通点だけでは割り切れないものがあるようだ。
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魚がフライに飛びかかるスピードには個体差がある。
遅くても速くても、フライが消えるまでしっかり見届けることが必要。
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北アルプスの源流帯、イワナの多くがのんびりとフライに近づく。

ヤマメは毛針でそれを狙っている多くの人にとって、もっとも俊敏な魚との印象が深い。電光石火という形容が最も多く使われる魚だ。本当にそれほど速いものだろうか。一般的には速い速度でフライに飛び出す魚と言うことができると思う。しかしそれはサイズの小さい魚に限られるのではないだろうか。大型のヤマメを釣った時、素早い魚と思った経験が私には唯の一度もない。むしろ焦れったくなる程にゆっくりした魚と思っている。

フライに出てくる素早さという点からすると、オイカワ(ヤマベ、シラハエ)の方がヤマメよりずっと速いように思えるのだが、これは魚本来のスピードだけでなく、その姿がかなり大きく影響しているような気がする。色彩や形が見にくい、つまり保護色の魚はフライに接近する姿を発見するのが難しいから、気がついたときはフライの側にいるか、既に飛びついている。こういう魚は素早い魚として扱われることが多い。一方、姿がよく見えると、フライに接近する前に見つけることができるから、その魚がどんなに速いスピードでフライに飛び付いても、時間的に余裕を持って合わせられる。こうした魚はすばしこく見えない。

魚の姿がはっきり見えすぎると早合わせ、気がつかないでいると遅合わせ、それが魚のすばしこさと混同されている節が多いと思う。
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10番のフライに向かって蛇のように浮上し、すっかり飲み込んでしまったイワナ。

ところで、魚には速度だけでなく、フライを捕らえるときや、接近するときの動作に違いが現れる。ヤマメはサイズが小さいうちはフライによくじゃれる。まるで子猫のようだ。明らかに食欲以外の理由でフライに戯れる。成長するにつれ、彼らには鮎並の縄張り意識が芽生える。すると目障りな侵入者を排除する。相手が魚でなくても、同じ行動をとる。更に不思議なのは、食べられないことを承知の上で噛みつくことがある。木の葉や砂粒、小枝などをくわえたり、時にそのまま飲み込む。芦ノ湖の大型ニジマスが煙草のフィルターを幾つも飲み込んでいるのを見て、彼らにはその程度の識別能力しか無いのではと言ったことがあったが、もしかすると、食べ物でないことを承知の上で飲み込んでいたのかもしれない。本当のところは魚に聞かなければ判らないが。
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金峰山川、大堰堤のイワナ。フライの流れ方によって別の生き物のように反応する。
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南アルプスにある直瀑。水中が暗くて見にくいと、魚の動作に惑わされることがなくなる。

じゃれている魚がフライに噛みつくこともあるが、多くは鼻先で突いたり、体当たりしたり、飛び越したり、尻尾で叩いたりする。そのスピードが速いから、経験を積まないうちは、フライを食べにきた魚との見分けがつかない。間髪を入れずに合わせても針掛かりしないのを見ると、未だ合わせが遅いのではないかと思い、更に早合わせに拍車をかけてしまう。多くの人が一度は経験することだ。ところが諦めて合わせないでいると、フライがそのまま浮いていたりする。やっとの思いで合ったと思ったら、フライが横腹に掛かっていたりして、初めて魚の行動が読めてくる。

飛び出すヤマメと止まるイワナ

フライにじゃれる魚でなくても、彼らは釣り人をしばしば惑わす。フライに速い速度で飛び出した魚が途中で気が変わった場合、或いは初めからフライを食べる気がない場合、ヤマメはそのままフライを飛び越すか、直ぐ脇を通過する。ニジマスの多くは直前で反転し、イワナは急停止するといった具合だ。これを見破るには更に多くの経験が必要だが、フライだけに焦点を見据えて、魚の動きに惑わされないようにすることが大切だ。魚が水面を割って飛び出そうが、フライに向かって突進して来ようが、そんなことに構わず、ひたすらフライと魚が接触し、フライが視界から完全に消えるまで合わせないことだ。一度止めた魚が、再び気が変わって直ぐさまフライをくわえることはそう珍しいことではない。けれども、もし、最初に合わせてしまったら、そのチャンスは巡ってこない。

-- つづく --
2001年07月22日  沢田 賢一郎