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渓流編  --第3話--
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行く手を塞ぐようにそびえ立つ明星山の谷底を、渇水の小滝川が流れる。

小滝の水たまり

1975年の夏、金峰山川から始まった御影石の河原巡りは上越にまで広がっていた。姫川の支流に小滝川という美しい渓谷があった。本流との合流点のすぐ上手に明星山という山がある。岩登りでは有名な山だそうで、小滝川の河原から一つの巨大な岩の固まりとしてそびえ立っている。その人を安易に寄せ付けない姿が、この渓の荘厳な景色を形作っている。この辺りは有名な翡翠の産地で、気のせいか、青くすんだ淵が翡翠が溶けているように美しい。

現在は通行止めになっているが、その当時は川沿いの林道を使って、ずっと奥にある発電所まで車で行くことができた。林道の終点で川は二つに分かれている。私は当初、右手から流れてくる東の又を釣るのが好きだった。理由は単純で、白い石が多く、川が明るかったからだ。この渓の奥は夏でも深い残雪に覆われている。私は安全のため、いつも梅雨が明けてから訪れるようにしていた。

7月の末に出かけたときのことだった。私は早々と渇水の様相を呈していた東の又に入った。広い河原の真ん中を、澄んだ水が申し訳なさそうに流れている。私はそのころ既に定番となりつつあったブラックコーチマンの10番を、落ち込みの際に投げ始めた。川に入って二つ目の小さな淵で、40cm近いイワナが大きな岩の陰から飛び出した。釣り上げたら魚の口元にフライが見えない。10番のドライフライをすっかり飲み込んでしまっている。
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砂の上を転がって足元までやって来たイワナ。
彼らの生息範囲は計り知れない。

そんな調子で5、6匹程のイワナを釣り上げた時、砂防堰堤に着いた。こんな山奥にどうしてこんな無駄なものを造るのだろうと思いながらも、その日は周囲を注意深く調べた。いつもはこの堰堤で引き返すのが習わしだったが、その日はどうしてもその上に行って見たかったからだ。

堰堤の下の溜まりで、来る度に必ず数匹のイワナが釣れる。しかし堰堤から水が流れ落ちている訳ではない。水は地下から浸みだしているだけだ。堰堤はすっかり土砂に埋もれているのだろう。地図によると、この先1キロ程の所に取水口があるようだ。その上にはきっと水が沢山流れていることだろう。

私は左手の山肌に取り付いた。少しばかり急な斜面を登ると、送電線の鉄塔を建てたときに作った道を見つけ、それを伝って河原に降りた。堰堤の上はただ石ころが散乱しているだけの、乾ききった世界が広がっていた。その砂漠のような河原の先に急な岩肌が見える。渓相が変わるあの辺りにきっと取水口があるのだろう。水気の失せた河原を暫く歩いてその急な斜面に近づいたとき、小さな水たまりが見えた。堰堤の下と同じように、水が浸みだして来ているのだろう。私は斜面の登り口を探しながらその水たまりに近づいて、思わず足を止めた。その水たまりの中にイワナが泳いでいるのが見えたのだ。それも1匹や2匹ではない。かなりの数のイワナが直径5メートルにも満たない水たまりの中を群泳している。どうやって生きているのだろう。水たまりは完全に独立していて、流れ込みも流れ出しもないのだ。
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渇水の川に架かる雪の橋。8月の景色とは思えない。

私はしばしその不思議な光景に見入っていたが、やがて我慢できずにフライを投げてみた。フライラインは乾いた石の上、リーダーとフライだけが水の上に落ちた。その瞬間、数匹のイワナがフライに向かい、一際大きい魚がフライを捕らえた。私は水たまりから10メートル程離れて立っていたが、それ以上近づきたくなかったので、仕方なくラインを手繰った。イワナはバタバタと暴れながら、身体じゅう砂だらけにして足下にやってきた。次のイワナも、又その次のイワナも砂まみれになった。めぼしい大きさの魚が見えなくなったのを機に、私は水たまりに近寄って見た。残った数匹のイワナが身を隠そうとして、右往左往している。しかし水たまりの中にはイワナが姿を隠せるほど大きな石は一つも無い。ところが30秒程の間にイワナの姿が消えた。水たまりの水深はせいぜい膝くらいまでだ。私は面白がってその中に入り、魚が隠れていそうな辺りを歩いてみたが、姿が見えない。本当に消えてしまった。私は阿部武さんから聞いたイワナにまつわる不思議な話を思い出した。彼らは地下水が湧き出てくる水脈を伝って、地下に消えてしまったのだ。もしかすると、今頃、下流の堰堤下の水たまりにいるかも知れない。

イワナよ、目を覚ませ

ひとしきりイワナと遊んだ後、私は急なガレ場を草付きを頼りによじ登った。その先に取水口が見える。水を取らなかったら、川は見事な滝となって流れていたに相違ない。やがて取水口の上に出た。驚いたことに、目の前に下流の3倍もの水が流れている。私は期待に胸を膨らませて釣り上がった。魚のサイズは二周りくらい大きい。最も小さいものでも30センチを越えている。ただ数は少なく、良いポイントに1匹ずつしか入っていない。
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一年中サビが取れることがないのか。
まるで煙で燻されたような肌をした大きなイワナ。

二つ目のカーブを越えたとき、私は思わず立ちつくした。巨大な雪渓が渓を塞いでいる。近寄ってみると何とか越えられそうである。私は慎重に雪渓の上をその端まで歩いた。雪渓の上流側はちょっとしたプールになっていた。岩盤に覆われた川底を覗くと、一際大きなイワナが見える。私はすぐさまフライを投げた。1投目、2投目、イワナは眠ったように動かない。3投目、フライが頭上を通過したとき、イワナは初めて動いた。身体をくねらせ、僅かに下流に移動した。4投目、フライが落下するや、川底から一直線に浮上し、白い口を大きく開いてフライを飲み込んだ。水量が豊富なせいで力は強かったが、形も色も、まるで薫製にした魚のようだった。
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崩れた雪渓が河原を埋め尽くし、行く手に立ちはだかる。

雪渓から降りた私は今しがたイワナがいたプールを越えた。すると前方に又もや大きな雪渓が見える。今度は下が開いているので潜ることにした。川の中を歩きながら雪渓の下に入ると、土砂降りの雨のように、冷たい水が天井から滴り落ちて気持ちいい。けれども、この雪渓も何時か落ちると思うと、涼しいのを通り越して寒気がしてくる。再び明るい陽射しの元に出ると、辺りを覆っている、まるで蒸し風呂のような熱気に包まれる。歩きながらザラ瀬の中で一匹のイワナを釣り、カーブを曲がると、行く先に更に巨大な雪渓が現れた。渓を完全に塞いでいる。ざっと見たところ、奥行きは50メートル以上あるだろう。

私は越えられるものかどうか、越えたその先はどうなっているのを知りたくて近寄ってみた。間近で見上げる雪渓はまるで人間の進入を阻んでいるかのように、渓を埋め尽くしていて、簡単に越えられそうには見えない。それに山肌との隙間がクレバスのように大きく口を開けていて、滑り落ちたら最後、自力では出てこれないだろう。しかもその先の山の具合からして、これより奥は更に大きな雪渓で埋まっているように見える。これは引き返した方が無難だろう。そう思いながら、周囲の様子を伺っていると、足下の雪渓から何かが飛び出ている。木の枝にしてはおかしな形をしていると思って雪の固まりを退けると、カモシカの顔が現れた。先程からマムシのようなにおいが微かに漂っていたが、このせいだったのだ。一体このカモシカは何ヶ月前に落ちたのだろう。足を滑らせたらこうなるぞと山に警告されているようで、私は上ってくる時の数倍の慎重さでもって渓を下りた。
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東の又のイワナ。一年中冬眠しているように見える。

それから一ヶ月程経って、私は左手から流れてくる西の又の奥を目指した。西の又は黒部の北の又と同じ分水嶺から流れ出す沢で、奥は深いが、意外と平坦だと言われていた。途中の急斜面を迂回するため一時間ほど山道を歩くと、話に聞いた通り、高地を大人しく流れる川原に下りることができた。しかし8月の半ばを過ぎたと言うのに、崩れた雪渓が河原のあちこちに転がっていた。それでも河原の風景が異様なことを除けば、なかなか快適だった。陽射しは相変わらず強かったが、山の上はそよ風が吹いている。それが雪と氷の間を抜けて来るものだから、気持ち良いことこの上ない。更に魚は全てのポイントに群をなして泳いでいる。おそらく釣り人など殆ど来ること無いのであろう。数が多過ぎるせいか、大型魚が見あたらないのが残念であったが。

そんな状況だったから魚はもちろん良く釣れたのだが、どうも腑に落ちないことがあった。魚が眠っているように見えることである。東の又は魚の数が少なく、それほど気にならなかった。西の又はフライに全く反応しない魚が沢山居た。正確に言うと、フライをしつこく投げない限り、無視する魚が多かった。初めはフライが合っていないためかと思い、数種類変えてみたが、大きな差は無かった。結局最初から結んであったブラックコーチマンに戻してしまったのだが、後で考えてみると、ピーコックのボディを持っていたのはこのフライだけだった。

-- つづく --
2001年03月19日  沢田 賢一郎