www.kensawada.com
渓流編  --第5話--

渇水の下佐谷

真夏のひどい渇水と言うと、いつも思い出すのがこの谷だ。1980年代の前半、この高原川の右岸に流れ込む支流を良く釣った。例によって陽当たりの良い谷で、つまり暑い渓だが、私は敢えて真夏に入るのが常だった。春に入らないのは、単に渓が餌釣りの人達で賑わっているからだ。夏になって高原川本流が渇水となり、昼間の釣りが芳しくなくなった頃、私はその時間帯を過ごすため、しばしば出かけた。真夏の炎天下だから、他の釣り人に会うことが全くなかった。
ff-5-1
真夏の高原川本流、杖石付近。この少し下流で右岸から下佐谷が流れ込む。

8月のお盆の頃だったと思う。昼食を済ませてから渓に向かった。入り口にある発電所の直ぐ上から河原に降りると、強い陽射しと熱風によって、まるで焼かれたフライパンの中に降りたような気分である。暫く雨が降っていなかったため、渓は随分と可愛らしい流れになっている。私は既にこの時期の定番となっていたキラービーを結んで釣り上がった。水通しの良い流れを選んでフライを投げると、白っぽくなった鰭を金魚のようにユラユラと動かして、ヤマメがフライを飲み込む。この時間帯に瀬に出ている魚は、皆あっさりとフライを捕らえるのが常だった。

やがて渓がその傾斜を増し始めた頃、この渓を釣りに来る度に必ず魚が出るポイントにさしかかった。手前の大岩に取り付いて奥を見ると、流れの筋に沿ってユラユラと動く影が見える。身体のくねらせ方からして、このポイントでいつも釣れる魚より大きそうだ。私は落ち込み近くにフライを慎重に落とした。フライは流れの筋に乗って影の方に向かった。出てくるかどうか心配する暇もなく、影は一直線にフライに近づき、バッサリと飲み込んだ。本流と違って走り回るスペースが少ないから、魚は間もなく足下に寄ってきた。体高があり、ほんのりピンクがかった尺ヤマメだった。その日はすぐ上でもう一本の尺ヤマメを釣り上げるほど、魚の出方は申し分なかった。
ff-5-2
合流点付近で釣れたアマゴ。小さいが美しい色だ。

渓の両岸が狭まってくるとぽつぽつイワナが混じるようになる。その辺りから沢水が伏流し始め、唯でさえ少ない水量がいよいよ寂しくなってくる。最初の直瀑が近づく頃になると淵は水たまりの様相を呈し、水は殆ど流れなくなる。やがて巨大な岩が覆い被さった淵に着いた私は、慎重に様子を伺った。広い淵の大部分は岩の影になって見えないが、陽が当たっている部分は川底の砂まですっかり見える。

暫くして、私は向こう岸の岩盤の下に妙なものを見つけた。それは沈んだ木ぎれのようであったが、一方の端が綺麗に3角形になっている。まるでヤマメの尻尾のようであった。更に目を凝らすと、それから少し離れた所に、背鰭のような形が見える。頭に相当する部分は輪郭がはっきりしない。もしや魚では、と疑って見たが、それは底に沈んだまま動く気配さえなかった。偶然にしては似たようなものが有るものだ。私はあちこち淵の中に目をやったが、他に何も見えない。もう一度その木ぎれのようなものに目をやると、先端がますます尻尾のように思えてくる。しかし、その物体が魚だとしたら、40センチを優に越えているだろう。この水の少ない沢にそんな魚がいる訳ない。しかしもし魚だったら。そう考え始めると急に胸騒ぎがして来た。
ff-5-3
下佐谷下流の発電所の放水。この上から渓が始まる。

よし、試してみよう。私はリーダーを手繰り、その先に結んであるキラービーを点検し終わると、10メートルほど先の対岸際にフライをぶつけないよう慎重に、そして静かに落とした。魚である訳がない。偶然形が似ているだけで、目の錯覚に決まっている。そんな思いと、もしやと言う期待が交錯する中、その木ぎれが動いた。水面のキラービーに向かってゆっくりと、まるでスローモーションを見るように浮上している。本当に魚だ。私の目はその動く木ぎれと水面の小さなフライに釘付けになった。その距離は瞬く間に縮まり、ついにその木ぎれが大きな口を開けてフライを飲み込んだのが見えた。息を詰めてその時を待っていた私は、慎重に合わせた。ところがどうしたことか、フライがそのまま抜けてきた。

何故だ。

魚が開いた口を閉じるところまで確かめたのに。魚をキャッチする筈だったキラービーは足下に落ち、水面の木ぎれは浮上したときと同じように静かに沈み、岩盤の影に消えてしまった。

何と言うことだろう。記録的なサイズのヤマメだったことは間違いない。よりによってこんな時に針が抜けてくるなんて。なんてついてないのだろう。
ff-5-4
陽当たりの良い中流部で釣れた尺ヤマメ。沢の魚らしく、身体がずんぐりしている。

暫くの間呆然としていた私の目に、いつの間に出てきたのだろう、一匹の小さなヤマメが泳いでいるのが見えた。20センチを越えた程度のサイズだが、それ以外に魚影が見あたらないので、私は気を取り直し、そのヤマメの後方に静かにフライを落とした。フライが岸近くに落ちたためか、ヤマメはそれに気づかずに泳いでいる。やがて淵をほぼ一周してこちらに向かって来るのが見えた。私は身動き一つせずその時を待った。

ヤマメはフライの手前1メートル程の所に差し掛かったところで、気が付いたのだろう。急に向きを変えフライに突進した。私がロッドを起こすと、ヤマメは走りもせず、ただ水面で暴れていたが、やがて水気のない岩の上を引かれて私の足下までやってきた。それを見て私は驚いた。足下で暴れているヤマメは間違いなく30センチを越えている。25センチあれば上々と思っていたのに、目分量が大きく狂っている。そうだとすると、あの木ぎれは一体何センチ有ったのだろうか。私はもう一度気が遠くなりそうだった。
ff-5-5
陽当たりの悪い大岩の陰から出てきた尺ヤマメ。

私は当初、なんて不運な出来事だろうと感じていた。あの巨大なヤマメがフライをくわえる迄の一部始終を、私は鮮明に思い出すことができた。ヤマメはフライの直前で大きな口を開き、フライを飲み込むと静かに口を閉じた。開閉した口の色まで憶えている。それらを確かめた上で合わせたのに、フライは何の抵抗もなく抜けてきた。18番のフライを使っている時に何回か経験したことがあったが、今回は14番のフックである。

後で判った事だが、これは不運ではなかったのだ。うまく掛かれば幸運と言えるけれど、掛からなくて何の不思議もないことなのだ。魚のサイズが大きければ14番もミッジになるし、フライをくわえて反転しない魚なら尚更と言う、当たり前のことにやっと気が付いた。

それからというもの、私は「確実なフッキング」に人一倍強い関心をもつようになった。

-- つづく --
2001年04月15日  沢田 賢一郎