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スティールヘッド編  --第107話--

憧れの鱒

1970年秋、カナダから一人の釣り人が日本にやって来た。彼の名はラリー・マックスウェル(Larry Maxwell)。カナダ太平洋航空が企画したサーモン・ダービー・ツアーの宣伝を兼ね、日本の釣り人にカナダの釣りを紹介することが目的だった。

彼がカナディアン・スタイルの釣りのデモンストレーションを、多摩川の上流、御嶽にある管理釣り場で行うことを知り、私は喜び勇んで会場に駆けつけた。当時の私はルアーやフライに夢中で、日本では手に入らないその分野の情報を、喉から手が出るほど欲していた。
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コーホーサーモンとスティールヘッド。1971年、カナダ、カッパーリバーにて。

カナディアン・スタイル

Larry Maxwell が実演した釣り方、そして勿論、彼が使っていた道具も、私にとって初めて眼にするものばかりだった。ロッドは12~15フィートのダブルハンド。今から思えばフライロッドに使えそうなくらいスローなアクションのキャスティング・ロッドだった。それにサイレックスと呼ばれた片軸のキャスティング・リールをセットする。このサイレックスも変わったリールで、大きさも形も今のサーモン用フライリールほど。

異なるのは、スプールの回転を制御するためのハンドレバーが、本体の外側に取り付けてあることだ。これを操作しながら投げるのだが、失敗すれば直ちにバックラッシュしてしまう。しかし熟練者の手に掛かると、軽い重りで投げられるだけでなく、キャスティングのコントロールも、魚が掛かった後のファイトにしても、スピニング・リールよりずっと優れていた。

Larry Maxwellはそのタックルでルアーだけでなく、大きな浮きの付いた餌釣りの仕掛けを巧みに投げて見せた。浮きはコルク製でワインの栓を二つ繋げたほどの大きさがあり、移動式だった。

この仕掛けを30mほど投げ、流れ方に合わせてリールで余分なラインを巻いたり、或いは送り出したりしながら巧みにナチュラルドリフトさせる。要は日本の渓流釣りを思い切り拡大したものだった。

何と理屈にかなった方法だろう。初めて見た釣り方だったが、釣りキチガイの考えることは世界中どこでも同じだと思った。それにしてもここまで大がかりに行うのは、余程大きな魚が相手に違いない。

デモの最中、もし放流されていたニジマスが掛かったら、フライロッドでワカサギを釣るようなものだ。彼はこのタックルで一体どんな魚とやりとりするのだろう。彼が披露した見事なキャスティングを見るにつけ、私の好奇心は膨らみ続けた。
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クリークで虹鱒を狙い、見事なキャスティングを行うラリー・マクスウェル。

スティールヘッド

「そのタックルでどんな魚を釣るのですか?」

デモの後で開催された懇談会で私が訪ねた時、彼は即座に「スティールヘッド」と答えた。私はてっきり何れかのサーモンを釣るものだと思っていたから、一瞬面食らった。「サーモンは釣らないのか」と尋ねると、たまに釣る程度だと云う。

カナダの釣り、それはそのままサーモンの釣り。私だけでなく、それは当時、日本の釣り人にとっての共通認識であったから、その場に居た人々にとって彼の答えは不思議なだけでなく、そのサーモンを差し置いて釣るスティールヘッド、つまり鉄の頭とは一体何だと言うことになった。

Larry Maxwell は持参した8ミリを映しながら、スティールヘッドについていろいろ話してくれた。降海性のニジマスであること。大きくて美しいこと。そして何よりもそのファイトが強烈であること。

彼を始め、スティールヘッドを釣ることに血道を上げる人達はスティールヘッダーと呼ばれており、その目当てであるスティールヘッドのことを、ロケットだのダイナマイトだのと、何とも勇ましい名前で呼んでいた。

大型魚はフッキングと同時に下流へ走り、海に帰るまで止まらないからそんな名前が付いたと言うのだが、それを話している時の彼の表情がそれまでと違って、明らかに上気しているように見えた。その興奮は大物に憧れる釣り人だけが感じる熱気となってその場に広がり、私のスティールヘッドに対する興味も一気に膨れ上がった。と言っても、その当時、渓流でヤマメや放流された虹鱒を相手にフライ・フィッシングを始めたばかりの私にとって、彼の語ることは、まるで天の川で魚を釣るに等しい内容であった。

サーモン・ダービー

翌1971年8月、私は自身初の海外釣行となった、カナダのサーモン・ダービーに参加した。サーモン・ダービーの開催地はバンクーバーからほど遠くない海域で、馬蹄の形をしていたためホースシュー・ベイと呼ばれている湾を基地としていた。参加者は各々小さなモーターボートに乗り込み、主にトローリングでサーモンを狙う。

私にとってその釣りは、当時、日本で親しんでいた湖のトローリングと同じだったから、何の違和感もなかった。しかし海でサーモンを釣るのにルアーだけでなく、大きなストリーマーが効果的だったことは新鮮な驚きであった。

残念ながら我々は大型のキング・サーモンがいるポイントが判らなかったため、釣れるのはコーホー(シルバー・サーモン)、鱈、カサゴなどの脇役ばかり。肝心のキング・サーモンは我々の前に一度も姿を見せなかった。
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1976年、魚野川にスティールヘッドがいるという噂を聞きつけ、早速出かけるも、確認できずに終わる。

ダービー終了後、迎えに来てくれたLarry Maxwellが、我々をバンクーバー・シティーの飲料水となっている川に案内してくれた。そこは彼が冬になると時々釣りをする川で、水道水を取水する源流帯は、日本の渓流ほどの大きさであった。

彼は取水口となっているダムに向かう途中、何度か車を止め、道路の上から川を眺め渡していたが、やがて私に崖下の小さなプールを指差した。そのプールを覗いて私は思わず息を飲んだ。なんと80cmくらいの鱒が定位しているではないか。

「あれがスティールヘッドだ」

彼が囁くのを聞きながら、私は身動き一つできず、その姿に見入った。川の魚と言えば、日本の渓流魚しか釣ったことのない私にとって、その大きさは驚異であった。そして遠目に見ただけで判る形の美しさに目を見張った。

「あれがスティールヘッド」

針掛かりするとロケットのように海まで止まらず突っ走る魚か。

私の眼はプールの中の影に釘付けになったまま、あの魚を釣りたいと思う気持ちが沸き上がってくるのを止めようがなかった。それから私は矢継ぎ早に彼に問いただした。何処に行けば釣れるのか、どんな支度が必要なのか、時間は、費用は。

数時間待つ内に、Larry Maxwell は様々な情報を掻き集めてくれた。

-- つづく --
2014年09月08日  沢田 賢一郎