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スティールヘッド編  --第132話--

1989年

トンプソン・リバーで初めてスティールヘッドを釣った翌年、私はそれまでより多くの人々と共に、再びバンクーバー・アイランドに渡った。参加者は全てスティールヘッドが初めてだったため、私は必然的にガイドのような役割を、それまでより強くこなすことになってしまった。平たく言えば、殆ど釣りができない状況に陥ってしまった。それは出発前から凡そ見当が付いていたのだが、この年は新しく全く予期しない邪魔が入ってしまった。
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何時もより早起きし、人の来ない内に釣り始める。

どのような経緯で盛んになったのか知らないが、カナダではバード・ウォチングの向こうを張ってフィッシュ・ウォチングなるものが流行していた。海でのスキューバ・ダイビングと同じようなことを河川で行うのだ。
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騒々しい昼間の時間はフィッシング・スクールに費やす。

水に潜って魚を見たい人にとって、産卵のために河川に遡上する鮭は格好の相手である。大きいし、余り人を怖がらないから、至近距離で観察できる。我々が出かけた9月の中旬は、丁度それらの鮭が河川に遡上する時期にあたっていたため、キャンベルリバーには多くのにわか愛好者がやって来ていた。魚を観察するのに早朝や夕方は光線の具合が悪いため、昼近くになると多くの愛好者が川に集まった。
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夕方、川に再び静寂が訪れる。

私が数人の人達と共にサンディー・プールを釣っていた時である。上流から何やら不思議な形をしたものが流れてきた。まるで枯れ枝の塊のように見えたが、それはウェットスーツに身を固めた数人のフィシュ・ウォッチャーだった。彼らは百メートルほど上流に架かっている丸木橋から川に飛び込み、ここまで流れて来たのだ。彼らは我々がフライを投げている場所の直ぐ上流に差し掛かると、いきなり水面に逆立ちし、勢い良く水中深く潜った。10秒ほど経過した時、一人のスイマーが数分前に私のフライが泳いでいた場所で浮上し、立泳ぎをしながら我々に向かって大声で叫んだ。


「オーイ、ここに魚が居るぞ。大きいのが何匹も固まっているからチャンスだ。速く投げて釣ったほうがいいぞ」と、親切に教えてくれた.
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昼間、ダイバーのメッカとなったサンディー・プール。

その場に居合わせた我々は何と返事をして良いか、途方に暮れた。ご親切は有難いが、一刻も早く他の場所に移ってくれるよう願うばかりであった。ところがそうしたグループが一日の内に何組も上流から流れてくる。彼らが泳ぐ場所は最早釣り場ではなくなってしまった。


フィッシュ・ウォッチャーが大挙して押し寄せてきたせいだろうか、それまで見ることが無かった地元の子供達も、川遊びに興じるようになった。それも釣り人が居る場所をわざと選んで川を泳ぎ下る始末だ。結局、まともに釣りが出来るのは早朝と夕刻だけになってしまった。
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最終日の朝にチャンスがやって来た。

フィシュウォチャー以外にも問題が生じてきた。私がキャンベルリバーを中心にバンクーバー・アイランドの河川を釣り始めた当時、他の釣り人に遭遇することは滅多になかった。それが年を重ねる毎に変化し、釣り場は年々窮屈になってきた。
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最終日の朝にチャンスがやって来た。

狭い河川は他に釣り人が居ない、つまり独占状態なら快適と言えるが、それが崩れた時は悲惨だ。他に釣り人が居るのが当たり前になった時、釣り場は広ければ広いほうが助かる。そうした理由から、私はそろそろバンクーバー・アイランドの河川に見切りをつける時がやってきたことを感じた。



-- つづく --
2015年09月14日  沢田 賢一郎