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スティールヘッド編  --第133話--

アトランティック・サーモン

1989年を最後に私は暫らくスティールヘッドの釣りから離れた。その後の3年間はもっぱらアトランティック・サーモンのフライを製作することと、その研究のため、制作したフライを実際に使用して鮭を釣るべく、釣りの舞台がカナダからスコットランドに移った。
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自然の中で、自分の釣りに没頭できる。それがプライベート・ビート。

これは釣りの対象が、スティールヘッドからアトランティック・サーモンに変ったと言うことになるが、もう一つ言い換えることができるとすれば、釣り場がパブリック・ウォーターからプライベイト・ビートに変ったことを意味する。
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リバー・テイー、マースリー・トップの広大なビート。考えるのは魚のことだけ。

日本で釣りをしている限り、釣り場は基本的にパブリックである。つまりだれでも自由にそこで釣りができる。そこで他の釣り人を差し置いて真っ先に釣りをしたければ、誰よりも早くその釣り場に向かえば良い。基本は早い者勝ちである。しかし真っ先に釣り始めた直後に、直ぐ目の前に他の釣り人が入るのを止めることはできない。自分にはその権利が無いからだ。

しかるにヨーロッパの主要な釣り場はプライベイトである。特定の釣り場で釣りをしたかったら、その釣り場を管理している個人、又は団体に申し込んで、その特定の日時に釣りをする権利を前もって買わなければならい。それは物凄く面倒なように見えるが、逆に、その権利を手に入れれば、安心して釣り場に向かうことができる。自分が寝坊しても、或いは状況を見た結果、早朝でなく昼から釣りをしたいと思っても、それを邪魔する人は居ない。
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リバー・スペイのキャロン・ビート。年代不明の景色が続く。

そうしたプライベイト・ビート(個人向けに管理されている釣り場)で釣りをする時は、自分の予想や作戦に則って釣りをするのが可能だ。しかしパブリックでは自分が幾ら状況に合わせた作戦を考えても、予期せぬ他の釣り人のせいで自分の計画が水疱に帰することが多発する。つまり運が良い時だけ計画通りの釣りが出来るが、全て運任せだ。
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スペイのタルカン1。広くても釣り人は一人。

スコットランドのサーモンビートは殆どプライベイトだから、自分たちの釣りを邪魔されることがない。作戦を考えた時、少なくとも人為的な理由で、それが制限されることがない。隣のビートがどんなに良くても、そこに移ることができない代わりに、自分のビートが良い時、他人がやって来ることはないので、安心して釣りを楽しむことが出来る。
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リバー・ツィード。現代と判るのは高速道路だけ。

サーモン・ビートに外国人の釣り人が多いのは、その殆どがプライベートとなっているせいだ。快適な環境で釣りができることが保証されれば、海外の釣り場でも安心して出かけられるが、行った先々で場所取りに明け暮れるようでは、外国の釣り場に向かう気が失せる。
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スペイ・タルカン2・ビート。一人が釣り、一人のギリーがそれを見守る。

しかしヨーロッパのプライベート・ビートには限りがある。良いビートも悪いビートも当然あるし、良いか悪いかと言った評価も、川の水位や季節によって目まぐるしく変化する。それらを見極めるには、それなりの経験や情報が欠かせない。更に厄介なのは、良いビートが見つかったとして、そこの予約が取れるかどうかだ。安定して釣れる良いビートは、そこで釣りたい人が多くなるため、予約競争が激化する。その解決法として古くから採用されているのがリピーター優先と言うシステムだ。
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釣り場は用意されている。後はどのようにして釣るかを考えるだけ。

サーモンビートは通常、1週間単位で売りだされる。ある時、あるビートで釣りをした場合、望めば翌年の同じ週に釣りをする権利が自動的に発生する。そのビートの定員が仮に4人だとしよう。楽しい釣りができたため、その4人全員が翌年も釣りをしたいと言ったら、翌年の同じ週は新規の釣り人に対する空きがないことになる。もし4人の内の一人が来年はそこで釣りをしないと言えば、一人分の空きができ、予約を申し込んでいた人の一人が、その権利を手に入れることになる。
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スウェーデンのリバー・エム。国内唯一のプライベート・ビートがある。

現実はどうかというと、良いビートは多くのリピーターで埋まっており、新規に申し込んでも何時になったら釣りができるか判らない。スウェーデンのリバー・エムは、あのシャルル・リッツでさえ10年近くも待たされた。我々が出かけた時も、平均して5年待ちだと言われた。更に凄いのは、同じビートを親子二代、又は三代に亘って釣り続けている人達までいる。こうなったらその釣り場が開くのを待っても無駄となる。

こうした状況下で釣りをするには、釣りと釣り場を長い目で見る必要がある。釣り場である川との付き合いも、それなりに長いものとなる。我々とノルウェーのリバー・ガウラとの付き合いは、この原稿を書いている2014年が21年目と言う長さだ。しかし、毎年ガウラに来ている釣り人には、我々より長い人が幾らでもいる。


-- つづく --
2015年09月27日  沢田 賢一郎