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スティールヘッド編  --第135話--

再度トンプソンへ

アトランティック・サーモンの釣りに没頭してから4年が過ぎた1993年。私はもう一度スティールヘッドを釣って見たくなり、10月のカナダに向かった。今回は大勢のツアーでなく、サーモン・フィッシング同様、マリアンと2人だけだから釣りに没頭できる。暫く離れている間に、キャンベル・リバーやトンプソン・リバーはどうなっただろう。同じような状況だとしたら、4年間のサーモン・フィッシングによって、私は以前とどのくらい違う釣りができるだろう。釣り場の佇まいを思い出しながら、あれこれ想像している内に、その時がやってきた。

計画ではトンプソンを5日間、その後にキャンベル・リバーを3日間釣る予定であった。
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川沿いの小道から見下ろすトンプソン・リバー。ここから河原に降りるだけで一仕事。

我々はバンクーバーでレンタカーを借り、一路トンプソン・リバーへ向かった。数時間のドライブの後、我々は予定通りスペンセス・ブリッジ近くのドライブインに着いた。ここでブルースと落ち合う筈だったが、彼は何時になっても現れない。夕方まで未だ数時間あるので、少しばかり竿を出してみたかったが、それも叶わず、彼の到着を待つしか無かった。
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降りるルートと、ポイントの範囲を確かめる。

日が暮れて暫く経った頃、ブルースが現れた。彼は我々を早く出迎えるため、街道沿いに車を止めて待っていたそうなのだが、その道は我々が走ってきた道では無かったため、もちろん会うことはできず、仕方なく暗くなるまで釣りをしていたと言うことだった。

この年もスティールヘッドの遡上は芳しくなく、我々が到着した時点でも900匹に満たない有り様だった。魚の数が少ないからといって我々がそれを修復する術はないのだから、そのまま受け入れる他ない。問題はそうした状況下で大きな成果を上げるには、どんな取り組みをすべきかだ。その晩、私は翌日から始まる釣りをどんな計画に則って進めるか、時差ボケの中で考え続けたために、睡眠不足のまま夜明けを迎えた。
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河原はなだらかで釣りやすかった。

この年のトンプソンは10年に一度ほどの渇水であった。前回はほほ平水と言われていたが、その時から見ると、確かに河原が広くなったように思えた。その結果、川幅が狭まった場所は、岸の傾斜が更にきつくなり、遠浅の場所は、更に遠くまで浅い流れが続くようになっていた。

早朝、我々はスペンセス・ブリッジを渡り、ニカラ・ジャンクションから数キロ上がった左岸で、初日の釣りを始めることにした。
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良さそうなポイントが見えるが、そこに降りるルートを探すのが大変だ。

トンプソンの周辺は砂漠と言われるだけあって、植物が少ない。川沿いに延びる細い道から見ると、川は荒涼とした急斜面の下を流れていた。河原に降りる踏み分け道があるから良いようなものの、そうでなかったら水辺まで降りるは困難だ。

急傾斜のガレ場を慎重に降り続け、帰りの登りはさぞかし大変だろうと思い始めた頃になって、我々はやっと谷底に到達した。直ぐ後ろを歩いていた3人連れの釣り人が、上流に見える巨岩帯に向かったのを確かめると、我々は下流側に伸びている長いプールを目指した。そこは一見単調な流れに見えたが、水面の乱れから察するに、大きな岩がいくつも沈んでいるように思えた。
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急斜面の下ではスペイキャストで岸際を狙う。

ブルースは瀬頭、その下にマリアンと私がそれぞれ50mほどの間隔を開けて入った。広大なプールは流れも単調で、特に気になるような地点は見当たらなかった。私はただ規則正しく2m置きにラインを投げて釣り下った。釣り始めて30分ほど経過した頃、行く手にこのプールの開きのような流れが見えてきた。淵から瀬というように、流れ方が明確に変化している訳でなく、だらだらと続く緩い流れが終わりに近づいて来たように見えた。


-- つづく --
2015年10月21日  沢田 賢一郎