www.kensawada.com
サクラマス編 • 第1ステージ  --第37話--
ff-37-1

渇水

四月の末からゴールデンウィークを避けたため、五月の2週目になって再び九頭竜川を目指した。2週間経つうちに東京は初夏のような陽気に包まれていた。この分なら北陸の雪も消え、水も今度こそ落ち着いているだろう。そう思いながら夜中の高速道路を走り、夜空が白む頃、幼稚園前の土手に着いた。東の空が明るくなり始めているから、間もなく夜が明ける。眠るほどの時間は無いので、私はゆっくりと支度を始めた。

身支度を整え、15フィートのランドロックを繋ぎだした頃、周囲がうっすらと見え始めた。

「水よ引いてくれ、お願いだから平水になってくれ」そう念じながら川を見ると、何やら様子が変だ。未だ暗さが残っているせいではっきりしないが、白い河原が広がっているように見える。川はどうなっているのだろう。
ff-37-2
すっかり水が引いた幼稚園前プール。広大な河原の大部分が露出している。

白い河原

目を凝らして見つめている間にも周囲は刻々と明るさを増し、やがて景色がすっかり明らかになった。私はまたまた自分の目を疑った。川が無い。白く見えたのは川底が干上がったためだった。幼稚園前は見渡す限り河原が広がり、水は対岸近くにだけ辛うじて流れていた。

余りの予想外の景色に気が動転してしまったが、とにかく川に向かうべく支度を済ませ、土手の上を歩き出した。

私は前に来た時に一度歩いて降りた場所を見つけ、同じように土手を降りた。夜明けだというのに、草が乾いている。頬をかすめる風も時々生温かい。

密生した草むらを抜け、河原に出た。石の上に着いた土が白く乾いている。水が引いてから何日経っているのだろう。私は記憶を頼りに前回立ち込んだ場所を探した。草むらからさほど遠くないところに、見覚えのある草が並んで生えている。何と言うことだろう。前回、私が立ち込んだ場所どころか、フライを投げた場所ですら干上がっている。
ff-37-3
池と化した機屋裏のプール。フナ釣りに良さそうな景色だ。

私は月の上を初めて歩く人間のような気分で、あちこち見回しながら河原を歩いた。幼稚園前のプールは既に水溜まりのようで、水がろくに動いていない。どのくらい水深があるのだろうと遠くから眺めていた場所が、随分と平らで浅いことも判った。上流を見渡すと、遙か先に瀬が見える。流れ込みが機屋裏の近くまで引いてしまった。

私は水際に沿って上流に歩いた。降りてきた土手を振り返ると車が小さく見える頃になって、川は漸く瀬となって流れていた。水量が余りに少ない。今なら岐阜の高原川の方が多いのではないかと思えるほどで、これからサクラマスを釣ると言った気分が湧いてこない。水温を測ると16度もあった。サクラマスはここに居るだろうか。恐らく私が川から遠ざかっていた間に、ずっと上流に行ってしまったのではないか。
ff-37-4
機屋裏から上流に延びる水路もこの有様だ。ここが急流だったことが信じられない。

ウェットフライ

瀬の中程に立ってフライボックスを開けてみたものの、準備してきた大型のフライを結ぶ気にはとてもなれず、急きょ持ち出したウェットフライ用のボックスを開いて、6番のピーコッククィーンを結んだ。フライまで高原川と同じだ。

3投ほどした時、グングンといった当たりがあった。全く期待していなかったから驚いたが、軽いのでサクラマスではなさそうだ。

手繰ったラインに引きずられて足下に寄ってきたのは30センチほどのウグイだった。ここにはウグイも居るのだ。そう思ったのは最初だけ。それからと言うもの、次から次へとウグイが掛かる。投げたフライが流れを横切る間に数回の当たりがあり、必ずと言って良いほど毎回ウグイが釣れてくる。最初は岸際で当たったが、そのうち流心でも頻繁に当たるようになった。流れの中心でウグイがやって来ると言うことは、そこにそれ以上の魚が居ないことを意味する。私は最も水深のありそうな部分まで釣り下ったところで、ラインを巻いてしまった。
ff-37-5
減水すると、石に付いた水垢が乾いて白くなる。

一体どうしたことだろう。あれほど平水になるのを願っていたと言うのに、あの溢れんばかりの水は何処へ消えてしまったのか。この水位では恐らく何処を見ても無駄だろうと思ったが、川底の様子を知っておくには絶好のチャンスだ。私は車に戻ると上流の機屋裏を目指した。

機屋裏の広大なプールも水溜まりと化していた。左岸のコンクリートブロックは乾き切って川岸に広がっていたが、その内の幾つかが未だ水中に転がっている。少し下流側の流心近くにも大きなブロックが一つ顔を覗かせている。これは平水なら絶好のポイントになるに違いない。

流れ込みはさすがに急な瀬となっていたが、左岸側の溝が切れた場所から上流は浅くてサクラマスが居着くことはないだろう。

私は下流も見たくなって道路に戻った。そこで失われた水を発見した。道路脇の水路に水が流れていた。それもかなりの量だ。鳴鹿の堰堤で取水された水がこれほどの量とは想像していなかった。

こんな時ばかりは我が儘釣り師に早変わりして、この水を川に戻して欲しいと願ってしまう。
ff-37-6
ここが送電線下のプールと気づく人は少ない。平水だと岸のテトラは水の中。

送電線下のプールも哀れな水溜まりになっていた。ここにも幾つかのテトラが沈んでいるのが見えた。しかも流れ出しの直ぐ上にある。ここも平水なら絶好のポイントとなるだろう。

私は更に下流に向かい、土手や橋の上から幾つものポイントを眺めた。驚いたことに、殆どのプールに岩やテトラポットが点在していた。水さえあれば魅力的なプールが沢山ある。そうしたプールを見ると、この渇水が本当に恨めしい。

周囲の山には既に白いかけらが一つも残っていないし、この日中の気温からして、シーズンが終わってしまったのは明らかだった。

私は仕方なく無人の河原を後にし、通い慣れた道を岐阜に向かった。

こうして挑戦一年目は終わった。唯の一度もまともな釣りができなかったから、どうやって釣ればよいのか、どんなフライが良いのか、シーズンの最盛期は何時かと言った、凡そ釣りにとって欠かせない情報は何も得られず終いだった。それでも、たった一人でだれも居ない広大な河原を歩き、太い流れに浸かりながらフライを投げる気分は格別だった。カナダに出掛けてさえ、翌朝に釣るポイントの心配をしなくてはならないと言うのに、ここでは見渡す限りの水が全て自分の自由だ。

-- つづく --
2002年01月27日  沢田 賢一郎