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サクラマス編 • 第2ステージ  --第65話--

開拓

解禁日に居着きの魚を釣り、その一ヶ月後、雪代によって遡上してきたばかりの魚を釣り上げることができた。季節や状況の移り変わりにあわせて釣り方や釣り場を変えていくことに成功した結果だった。

初めて九頭竜川を釣ったときその大きさと懐の深さに呆然とし、未知の魚を釣るのに何処から手を着けて良いものか途方に暮れた。それが今ではポイントの様子も釣り方もかなり判るようになり、当てずっぽうでフライを投げることがなくなった。狙いが当たれば当たるほどもっと釣りたくなる。サクラマスは魚体も釣り方もフライも釣り場も、その全てが美しかったから、2匹目を釣った後も直ぐに3匹目を釣りに行きたかった。
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ところがサクラマスを釣れば釣るほど、私は自分の釣り場を狭めることになってしまった。釣ったポイント、釣り方、使ったフライ、それを選んだ理由、状況の違いに対処する方法など、私は川の名前以外、サクラマスを釣るのに必要な情報を全て隠さずに発表した。その結果、私が釣りをしたい場所には何時も人が居るようになり、いくら的確な予想をしても私がそのポイントで自由に釣りをすることが難しくなりつつあった。

私が私の情報を頼りにサクラマス釣りを始めた人と、場所の取り合いをしても始まらない。後からやって来る人のために、私は何時までも九頭竜川に通うべきでないと言う想いが日に日に強くなってきていた。
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長大な河口堰が川を遮断している。魚にとってさぞかし迷惑なことだろう。

私は雪代と共に遡上したフレッシュランを大勢の人の前で釣ったため、そのニュースは瞬く間に広まった。翌週、それまで見たこともない程の釣り人が九頭竜川に集まったと言う知らせを聞いたとき、私は予定していた釣りを取りやめ、未知の川に行くことを真剣に考え始めた。

北上

九頭竜川へ出掛けるようになってからも、私は全国各地のサクラマスに関する情報を集め続けていた。直ぐにでも行ってみたい川もあったが、九頭竜川に通っているうちは行けないでいた。漸く他の釣り場を開拓する時がやってきた。そう思うと九頭竜川へ初めて行った時のように、何かしらときめくものがあった。

3月23日、私はかねてから気になっていた宮城県の北上川へ向かった。北上川は岩手から宮城に向かって東北地方を北から南へ流れる珍しい川だ。ずっと以前、盛岡市の周辺を釣ったことがあったが、季節が夏に近くなることと海から遠いために芳しくなかった。できればもっと早い時期に下流で釣ってみたい。そう思っていた矢先だったから、海に近い場所を釣るのが楽しみだった。
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海の近くだけあって、下流域はどちらが上流だか判らないような流れが続く。

朝早く私は石巻からさほど遠くない所にある河口堰の下流へ着いた。付近の流れは九頭竜川の下流部と同じで、海に近い大河川に共通したあの何とも掴み所のない様相を呈していた。ボートでトローリングをするか、暇に任せて宛所もなくルアーを投げるしかない。そんな単調な流れだった。

河口堰

本来ならフライで釣るような場所ではないのだが、そこに巨大な河口堰が作られていた。海から何の障害もなく上ってきた魚にとって、この無粋な建造物は否応なしに止まらなければならない関所となっている。そのおかげで釣り人にもチャンスが訪れる。何とも複雑な気持ちにさせられるポイントが私の目の前に広がっていた。
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この時初めてプラスティック・チューブでサクラマスを釣る。

川は透明度の低い雪解け水を含んで両側の土手いっぱいに流れている。右岸は傾斜がきついため、釣りは専ら左岸からとなる。下流域だけあって川岸はコンクリートですっかり護岸されているから、流れに立ち込むこともない。まるで多摩川で鯉を釣るか、或いは海の防波堤の上からアジやメジナを釣る気分だ。

確かに私が川に着いたとき、既に10人近くの釣り人がルアーを投げていたが、ブーツや運動靴を履いていてとてもサクラマスを釣っているようには見えなかった。

河口堰から下流、暫くの区間が禁漁区になっていた。その下流側の境目から人が並んでいる。話によると、禁漁区に近い、つまり上流側の方が良いポイントだそうだ。
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時間が経つにつれ釣り人の姿が消えていく。

私は支度を済ますと空いている場所に入った。上流側に10人ほど居る釣り人は揃って正面の流れにルアーを投げている。私は多少間隔を空けて入ったが、そこから動くことができない。そのうえフライを投げる場所は自分の正面以外にない。正に混んでいる池の管理釣り場みたいなものだった。

私はラインを引き出しながら流れの様子を観察した。岸近くの流れは緩く単調だが、沖は少し速く流れている。はっきりした境目がある訳ではないが、何となく流心らしく流れている部分だ。そこまで凡そ30メートルほどだろうか。水面に現れる僅かなヨレから判断するに、その幅は10メートルくらいありそうだ。

私はすっかり定番となった35ミリのウォディントン・シャンクに巻いたアクアマリンを取りだした。水の色に合わせて、グリーンの方を結び、取りあえず正面の流れに投げてみた。流れは想像していたより遅く変化もなかった。フライが沈むのを待ってからラインを手繰っても、その間にラインが下流側に流される距離は幾らでもなかった。
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河口堰の下流はこうして広い範囲に亘って護岸されている。

数回投げてみたが、流れの遅いのが気になりだした。ウォディントン・シャンクは沈みすぎるようだ。動きも良くない。ラインを速く手繰れば良くなるが、この遅い流れにその速度は不向きだろう。

私はフライを外すと、ウォディントン・シャンクの代わりにプラスティック・チューブに巻いた、同じグリーンのアクアマリンを結んだ。この辺りの水深がどのくらいあるか全く見当が付かなかったが、フライが水面下1メートル程の所を泳いでくれば不足は無かろう。本当に管理釣り場で釣っているようだった。

釣り始めてものの10分もしないうちに、上流でルアーを投げていた釣り人の一人が魚を掛けた。しかし流心近くの水面でバシャッと水飛沫を上げただけで、その魚は外れてしまった。ところがそれから間もなく、その直ぐ下流にいた釣り人も魚を掛けた。水面に姿を現すこと無く足下まで引き寄せられた魚は、隣の人の差し出した大きなネットに収まった。小さいが紛れもなくサクラマスだ。

魚が居ることが判ると急に元気がでる。私は旅の疲れを忘れ、フライを沈める深さやラインを手繰る速さを少しずつ変えながら投げ続けた。
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まさかサクラマスの写真をコンクリートの上で撮るとは思わなかった。

群れ

それから20分程の時間が過ぎた。凡そ40メートル先に投げたラインが沈むのを待って、私は幾分速めにラインを手繰った。引き始めて数回目、ラインの重さが判るようになったときグンッといった当たりがあった。

私はロッドを静かに持ち上げながら更にラインを数回手繰った。紛れもない、あのサクラマス特有の振動が伝わってきた。両隣に人が居るため私は魚が上下に走ることを心配したが、幸いにも沖に向かって泳ごうとするだけだった。

強く抵抗しない魚ほど寄せてきた時、針が外れやしないか心配になる。私の立っている場所はすっかり護岸されていて水にも入れないし、魚を岸に刷り上げることもできない。私は魚に水際で暴れられないよう少し時間を掛けてファイトし、十分に大人しくなった頃合いを見計らって引き寄せた。サクラマスは私が差し出したネットにすんなりと入った。さすがに海の近くだけあって、ネットから鱗が落ちるほどフレッシュな魚だった。

驚いたことに私が釣り上げた直後、上流側で釣っていた人にも魚がやってきた。暫くやりとりしているうちに外れてしまったが、かなり多くの魚がこの付近に居ることが判る。何時まで釣れるのだろう。この先、何回当たりが来るだろう。

この世界、捕らぬ狸の何とやらを始めたが最後、当てが外れるのが常だ。サクラマスの大群がやって来たと思いきや、それ以降はぱったり。気が付いた時には20人以上居た釣り人が一人帰り、二人帰りと、櫛の歯が欠けたように釣り場から去って行った。全員がこれ以上粘っても無駄なことを知っているかのように。

-- つづく --
2002年11月17日  沢田 賢一郎