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高原川編  --第77話--

夜明けのセッジ

1987年は梅雨が早く明け、早々と暑い夏がやって来た。雪代後の美しい流れが長くは続かず、7月の後半ともなると、まるで渇水期のような様相を呈してきた。
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腹のふくれた大ヤマメ。その中身は。

高原川は海抜の高い所を流れているため、日中がどんなに暑くても、夕方には涼しくなるのが常だが、この年は日が暮れても熱風が吹き続けていた。この季節、本来なら大物を狙うイブニングライズが、最もスリルに富む季節なのに、夕方になってもライズは無く、あれほど飛び回っていたセッジも、その姿を見ることが殆ど無くなってしまった。

一見、川から魚の姿が消えたようだった。魚はいったい何処に居るのだろう。何時、何を食べて生きているのだろう。我々アングラーは、自分の行き付けの川が芳しくなくなると、他に移動してしまう。夏になればより海抜の高い所に出かけるし、秋になればまた里の川に戻ってくる。しかし魚は人間のように自由に川を行き来できない。それでは真夏の渇水期、彼らはどんな生活を送っているのだろう。
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明け方の佳留萱。夏は、ここまで明るくならない内にセッジが消える。

こんな時、私がいつでも参考にしたのは、長い期間釣り続けた忍野や桂川であった。忍野のように限られた流域に何年間も通い続けると、しばしば思いがけない発見をする。春先、未だ周囲が雪で覆われていると言うのに、セッジが飛べば夕方でも激しくライズする。初夏になって昼間、夥しい数のメイフライが川面を流れても、大型魚は全く姿を見せず、夕方のセッジにだけ襲いかかる。そして8月の前半、一年中で最も暑い時、夕方になってもセッジの羽化が無くなると、彼らは気温と水温が最も冷える明け方に活動する。確かにその時間帯にだけセッジが飛び回る。高原川でもそれは同じだろう。イブニングライズを諦めて、明け方に狙いを絞ろう。

7月の下旬、私は栃尾からずっと下流の葛山に向かった。この付近は大きな石が点在していてポイントが判りやすいことと、川が道路から近く、薄暗い時でも間違わずに釣りが出来た。午前3時、私は土手の上に車を止め、ライトを消した。辺りは突然闇に包まれた。私は暫く外を見ながら目を慣らした。5分ほど経つ内に周囲の様子が次第に見えてきた。空は良く晴れていたが、月が無いのに見える星の数が少なかった。夜明けが近い証拠だ。
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大ヤマメ。普通のヤマメにはこんな風に見えるのだろうか。

私は車から降りるとロッドを繋ぎ、ラインを通し終ってからライトを着けて確認し、フライを結んであるリーダーを繋いだ。それ以外、一度もライトを着けずに支度を終えると、ゆっくり土手を降りた。

目がすっかり慣れたせいで、川原を歩くにも不自由なかった。私は見覚えのある大きな石を目標に水辺に近づき、水面を見つめた。水の中は全く見えないが、流れの様子が僅かに見て取れる。東の空がうっすらと黄色みを帯びてきた。そろそろ良い頃合いだ。

私は目印としていた大きな石の脇に立つと、下流の対岸側にフライを投げた。対岸側と言っても、川幅はほんの3mほどしかない。そこは石に挟まれているため流れが速いが、その下流は緩い流れのプールとなっていた。
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ピーコック・キング。イブニング、及び湖に強いフライとして知られるようになった。

この時間帯、魚は開きでなく流れ込みにいるはずだ。夕方、プールの開きに出てきた魚が、夜明けには流れ込み周辺に戻っていたことを、私はそれまで何度も経験していた。今は水が少ないから、流れ込みと言えばここしかない。

フライはほんの数秒で流れを横切ってしまった。私は一歩だけ下流側に移動し、対岸に向けて同じようにフライを投げた。4.5秒経ってフライが流れの真ん中付近に差し掛かった時、ゴツンという当たりがあった。ロッドを上げるのと同時に、魚はゴトゴトと頭を振りながら私の足下にある石の下に潜り込もうとした。私は魚に潜られないよう、水際で身体を乗り出しロッドを対岸側に向けた。すると今度は落ち込みの泡の下に潜り込もうとする。
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ヤマメはマス類の中でも、かなり貪欲な魚だ。

私は仕方なく下流側に数歩移動し、引き寄せた魚を手前の砂浜に刷り上げた。バタバタ暴れる魚を押さえつけ、やっとの思いで上顎に深く刺さったピーコック・クィーンの6番を外したのは良かったが、魚が砂浜で暴れたおかげで、リーダーがぐしゃぐしゃに絡んでしまった。

私は何とか解こうとしたが、リードフライとドロッパーが絡み、ベト付いたリーダーは簡単に解けそうもない。焦れば焦るほど絡んでくる。私はライトを着けたくなかったので、東の空を背景に解いていたのだが、先ほど黄色かった空は既にオレンジ色に変わっていた。時間がない、直すのは後だ。
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大型化したヤマメは小魚をよく食べる。それが自分の子供であっても。

私は絡んだリーダーを丸めてポケットに押し込むと、ワレットから取り出した新しいリーダーを結び、急いで上流に向かった。予備のリーダーにも同じフライが結んである。50mばかり上流にこの付近で最もめぼしいプールがあった。広くはないが、大きな石の間を縫うように溝が通っている。渇水期には絶好のポイントだ。

その狭いプールにフライを投げて3投目。これも水面を横切るピーコック・クィーンをあっさりとくわえた。その先は暫くめぼしいポイントがない。私は狙いが見事に当たったことに気をよくして、ゆっくり瀬を釣り上がっていった。東の空は赤いが、頭上はもううっすらと青くなっていた
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真夏の渇水期、セッジは夕方になっても飛ばなくなる。

霧の舞

ヘッドライトを点灯した車が時折道路を走ってくるのが見える。車を運転するには未だライトが必要だが、暗い時刻から川原に居た私には全く不要だった。瀬を釣り上がっている時、川面に霧か霞が動いたような気がした。気温の変化で光が屈折しているのか、レースのカーテンが風に舞っているようだ。寝不足のせいで、おかしくなったのかも知れない。私は思わず目を擦って見直した。川面には何も見えなかった。
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8月。餌不足で痩せ始めたヤマメ。

直ぐ上流のポイントに移動した時、再びレースのカーテンが風に吹かれて飛んでいくのが見えた。私はリーダーを手で掴むと、身動ぎもせず川面を見つめた。暫くしてまた霞のようなものが、今度は下流から上流に向かって飛んできた。私はその不思議なものを目で追った。その時、朝日の最初の一条が山肌を刺し、その光の中で動く霧が無数の光の粒となって輝いた。
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夏はウェットフライにとっても、夜明けが絶好のチャンスとなる。

川面を舞っていたのはセッジの群れだった。夕方になっても姿が見えず、川から消えてしまったと思っていたセッジの群れが、川面を舞っていた。水温と気温が最も下がるこの時間に活動していたのだ。それに目がない美食家のヤマメも、この時間に食事をしていた。

私はその幻想的な光景に見とれていた。セッジの群れは草原の上を舞う鳥のように、右に左に揺れ動きながら川面を飛び回っていた。そして朝日に当たると同時に忽然と消えてしまった。それから10分経って、川原にすっかり朝の気配が満ちた時、幾ら目を凝らしても、一匹のセッジも見えなかった。まるで夢か幻のようだった。

朝日が熱く感じられた。このひんやりとした世界も瞬く間に灼熱の川原と化すだろう。私は2匹のヤマメと共に宿に戻った。後から釣れたのは29cm、最初の魚は32cmだったが、腹が異常に膨らんでいた。押さえると妙に硬い。何か怪しげなものを食べているに違いない。

ヤマメもイワナも、膨らんだ腹の中を見るのは少しばかり勇気が要る。思いがけないものが頻繁に出てきて驚かされることが多い。このヤマメの腹は普通ではないから、中身も普通ではないだろう。私は半ば怖いもの見たさに駆られて、腹を割いてみることにした。
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夜明けに釣れる魚には、青みがかった色のものが多い。

ほんの少し刃を入れただけで中身が直ぐに現れた。私はそれを一目見ただけで絶句してしまった。切り口から綺麗なパーマークが覗いていたのだ。取り出したヤマメは長さが15cm以上もあった。自分の身体のほぼ半分の大きさのご馳走を飲み込んでいたのである。

真夏の渇水期、渓流は餌不足になる。私は過去に同じ経験をしたことがあったが、もっと小さい稚魚を食べていた。その時もヤマメだった。一般に悪食と言われるイワナの腹からイワナが出てきたのを見たことはない。厳しい環境に閉じ込められて居るイワナは、絶滅を避けるために共食いしないのかも知れない。

-- つづく --
2003年12月28日  沢田 賢一郎