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スティールヘッド編  --第120話--

鮎釣り

キャンベル・リバーを釣る最後の晩、私は再びアッパーアイランド・プールに入った。過去2回の釣りでこのプールの特徴は凡そ読めていた。だからこそスティールヘッドは必ずやって来るという確信があった。
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暴れる魚をいなしながら、徐々に引き寄せる。

私は当初、スティールヘッドは海から遡上してくる魚だから、河川に遡上した後も海の魚としての行動をとるはずだと思っていた。体力の続く限りひたすら上流を目指し、特定の場所に居着いたり、食料を採るために移動することなどないと思っていた。

それは私の勝手な思い込みなのだが、鱒は河川で生まれ、河川で成長し、死ぬまで河川で生活する。しかし河川で生まれたことに違いはないが、稚魚のうちに海に下り、そこで成魚まで成長したスティールヘッドは鮭と同じだから、河川に遡上後、そこで生活するためにマスと同じ行動を採るはずがないと信じていたのだ。
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魚の向きに合わせてロッドを操作する。

ところが、このプールに居るスティールヘッドの多くが、昼は流れ込み側に定位し、夕方になると餌を採るために渕尻に出てくる。まるでこの川で育ち、生活している鱒と同じ行動をとっていた。

陽が山に隠れ、プールは夕方の気配に包まれた。広大な開きを見渡しながら、私は数日間考え続けていた事を実践するチャンスを求めてフライを流し始めた。真横の対岸に大きなメイプルツリーがある。魚が何時来てもおかしくない。
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遂に水面まで引き上げるも、急に反転して走る。

それはわずか10投ほどした時だった。ゆっくりと流れを横切っていたラインが押さえ込まれた。初日の晩は何が起こったのか判らなかった。根掛かりを疑ったりした。しかし今は違った。これは間違いなく魚の仕業だ。スティールヘッドがフライを捕らえたのだ。
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無理をせず再び引き寄せる。

私はゆっくりとロッドを起こした。フラットビームが宙に張り、大きな振動を伝え始めた。この魚とじっくりファイトをしよう。そう思っただけで幾分か気持ちが落ち着いたような気がした。初日の晩はとても考えられなかったが、魚の動き、大げさに言うと魚の気持ちが、張り詰めたラインを通して伝わっているような気がしていた。

頭を振る動作が次第に大きくなり、ロッドが揺れ動いた。初日の晩、針がかりしたら海まで止まらずに突っ走るという魚に対し、私は負けてはいけないと必死で身構え、ラインを1cmでも引き出されないよう頑張った。しかしそれが間違いだったのではないか、と思い始めていたため、私は魚の動きが大きくなり、力が強くなるのに合わせてラインを緩めた。するとどうだ。魚の動きが急に大人しくなった。私は静かにロッドを起こし、ゆっくりとポンピングをしてラインを巻き始めた。魚は抵抗しながも寄ってくる。暴れ方が強くなるのに合わせてラインを緩めると、ほんの数メートル走っただけで止まった。それを繰り返すうちに、遂にフライラインの後端が目の前に見えてきた。針がかりした魚は流石に危険を察知したのか、20mほど素晴らしい勢いで流れを下ったが、そこで止まった。
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水面に引き上げ、魚の残った体力を確かめる。

ファイトは振り出しに戻った。少なくとも第一ラウンドは無事に過ぎた。私は最初と同じように魚を引き付けた。魚の反応は針がかりした当初より判り易く、抵抗するか従うかが、その動作にはっきり表れていた。

ファイトの第2ラウンドは第1ラウンドより短い時間で終了した。私は僅か5mほどの距離まで魚を引き寄せた。さすがにそこで反転して下流に走ったが、その速度も距離も、明らかに魚の力が弱くなっていることを如実に表していた。

私は走った魚が落ち着くと、間髪を入れずに第3ラウンドのファイトに突入した。魚は頭を振って抵抗したが、その力は弱く、遂にリーダーの継ぎ目がロッドの先端に近づいてきた。
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魚にもう力がないことを確認した上で、リーダーを掴む。

下流の水面下で左右に揺れる魚の姿が見えた。私は当初の計画通り、岸辺に移動して魚を引き上げることを考えたが、ものは試しとばかり、その場所から一歩も動かずに魚を取り込むことにした。それは鮎釣りなら別に珍しいことではない。しかし相手は鮎とは桁の違うサイズの魚だ。更に決定的な違い、それは私が魚を掬うネットを持っていないことだった。そんな無謀なことができるだろうか。

この魚が私にとって初めてか2匹目の魚だったら、そんな馬鹿なことは考えなかっただろう。しかし何匹も釣った後に、直ぐそばの水面で揺れ動いている魚、しかも少し小さめの魚体を見た時、私の考えは決まった。
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タイミングを見計らい、チャンスを逃さずハンド・ランディング。

私は更にラインを巻取り、ロッドを思い切り起こせば魚に手が届くまで引き寄せた。そして魚の動きを見ながらタイミングを測り、一気に引き寄せて左手で尻尾を掴んだ。

上手く行った。尻尾は少々持ちづらかったが、何とか逃げられずに済んだ。私はロッドを小脇に挟むとスティールヘッドの口からフライを外し、静かに流れに戻した。本当に子供の頃から長年親しんだ鮎釣りのようであった。

この日の出来事は、私にとってその後の釣りに大きな影響を及ぼすこととなった。キャンベル・リバーにはそれから数年間通うことになったのだが、この日以降、私は掛かったスティールヘッドに下流の瀬を下られることが一度も無かった。

-- つづく --
2015年01月04日  沢田 賢一郎