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高原川編  --第69話--

スーパードリフト

傾斜のきつい普通の渓流でウェットフライを使う機会が増えるにつれ、私はその釣り方に適したロッドの必要性を感じていた。忍野や湯川といったチョークストリーム風の川でなく、落差の激しい渓流を釣る場合、近距離のポイントにフライを投げる回数が相当多くなる。ウェットフライはドライフライより大きく重いのが普通だ。特に高原川のようにセッジの多い川ではそのような大型のフライを使用する傾向が強くなる。
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シーズン初期の昼間、ドライフライが最も楽しくなる。

大きなフライを簡単に投げられる性能を有した上で、長く軽くしなやかなロッドが欲しい。バンブーロッドの場合、しなやかさは充分であったが、長くすると重くなってしまう。当時のカーボンロッドは軽い上にパワーは全く申し分なかったが、しなやかさに欠けた。しなやかさを保ったまま丈夫で長いロッドを作ろうとすると、全体がしなりすぎて近距離のキャスティングが巧くできない。それではトップ側を柔らかくすれば済むかというと、今度は近距離しか飛ばなくなり、トラブルも増える。

私はこの問題を解決するロッドを早く作りたいと思っていたのだが、1984年までの数年間、私はもっぱらキャスティング競技用のロッドと、それを魚釣り用に転用したロッドばかりデザインしていた。つまり極限のキャスティング性能を持ったロッドの製作に没頭していた。しかし私自身1984年の世界選手権に出場したのを区切りとして、再び多くの時間を魚釣りに向け、翌1985年になって漸くウェットフライ用ロッドの試作を開始した。
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葛山の上流域、浅い瀬が何処までも続く。

当時、カーボン繊維の種類は今日のように多くなく、性質の違いによって選べる範囲は限られていた。どうしてもデザインによって様々な問題を解決しなければならない。私はカーボンのシングルハンド・ロッドと言えば、2ピースしか考えられなかった時代に、あえて3ピースを採用した。3ピースにすることによって、全長の3分の2を無理なく柔らかくすることができる。そうすれば性能を落とすことなくカーボンの硬さを緩和できるのではないか。

このアイデアは成功を収めた。その年の初夏に完成したスパードリフトという一連のロッドは、当時の標準より長くてしなやかなロッドに仕上がり、しかも軽くて操作性に優れていた。それから18年経った今日でも、SD(スーパードリフト)シリーズの4種類のモデルが生産され続け、各地で活躍しているのは本当に嬉しいことだ。

SDシリーズの完成から数年後、1980年代の終わりになって、ウェットフライの理想的なアクションを実現できそうな、新しいカーボンマテリアルが手に入ることになった。私は早速その新しい極めてしなやかな素材を使用し、1991年、3ピースのアイデアを更に進めた完璧とも言えるアクションのロッドを得ることができた。今日SFと呼んでいるシリーズがそれである。このシリーズのロッドはSDシリーズのロッドに比べ、更に長くしなやかになったため、フッキング性能を大幅に向上できただけでなく、ウェットフライを意のままに操ることができるようになった
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今見の下流域、シーズン初期はプールで多くのライズが見られる。

兼用ロッド

しかしSFシリーズが完成したからと言って、それまでのSDシリーズが消えることはなかった。ウェットフライを使いこなす上で、どう考えてもしなやかなSFシリーズの方が優れているのは、万人が認めていることだ。但しSFシリーズはウェットフライの釣りに特化しているため、それ以外の使い方ができない。できないと言うのは言い過ぎかも知れないが、ドライフライを結んだら、釣り続ける気が起こらなくなるのが普通だ。

それに対し、SDはデザインこそウェットフライ用に作ってあるが、素材そのものは特殊なものでない。その結果、図らずもドライフライの釣りを行うのに、何の不自由も感じなかった。SDシリーズが今日でも引き続き生産されている理由がそこにある。

ドライフライからウェットフライに変えようとしたとき、SDシリーズならロッドを変えなくて済む。ドライフライで釣り上がってから素早くウェットフライに変えて釣り下ろうと考えたとき、これは大きな利点であった。そのため1991年にSFシリーズが完成した後、確かに私自身もそれまでのSDシリーズを仕舞い込むことはなかった。
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4月になると銀色の魚が増える。

細流の尺ヤマメ

SDシリーズが完成してすぐのことだった。私はその中の一つであるパワースペイという8フィート6インチのロッドを持って夕方の川原に降りた。場所は高原川の釣り場としては比較的下流にあたる葛山地区、栃尾からは8kmほど下流にあたった。この辺りは釣り人の姿が少ないので、上流が混雑した時によく出かける場所だった。

イブニングライズが起こる時間には未だ間があったが、川原に降りたとき、辺りは既に夕方の気配に包まれていた。私は12番のワイルドキャナリーをリーダーの先に結んで釣り上がった。数日続いた晴天のせいで、高原川は広い川原の中を浅い瀬となって流れている。栃尾や神坂周辺から見ると、川相が優しくなだらかなため、大物が居そうに見えない。しかし魚の数が少ないために成長が早くなるのか、梅雨時を過ぎる頃には結構なサイズの魚が釣れた。
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4月の蒲田川。間もなく雪代のシーズンを迎える。

入渓して間もなく、25cmほどの綺麗なヤマメが、ワイルドキャナリーをあっさりとくわえた。そのすぐ上にも同じようなポイントが広がっていた。ここにも居るだろうと思ってフライを数回投げたが、反応は無かった。そのポイントには少し上流で枝分かれした細流が流れ込んでいた。走れば簡単に飛び越せる程の流れだったが、私は念のため、その浅い瀬にフライを投げた。するとフライの下を何かが下ってきた。何だろう。私の目に大きな尾ビレが元に戻って行くのが見えた。私はもう一度だけフライを投げたが、何も起こらなかった。私はそれ以上投げるのを止めた。
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盛夏のヤマメ。減水と共に身体が少し細くなる。

目の前に長い瀬が続いている。その上にはこの付近で最も広いプールがある。今日はおそらく数匹のヤマメが顔を出すに違いない。私は足取りも軽く釣り上がった。

しかしどうしたことか、さっぱり魚が姿を見せない。最初の魚を釣った場所より、遙かに良さそうなポイントが連続していたにも拘わらず、長い瀬を釣り終わって何事も起こらなかった。私は少しばかり不思議な気がしたが、魚が瀬に出ていないのは、淵に入っているからではないか。目の前に現れたプールは、そう思いたくなるほど魅力的な広がりを見せていた。

大きなプールを前にして、私は使っていたリーダーを仕舞うと、ワレットを開き、ウェットフライをセットしたリーダーを取り出して結び直した。新しいリーダーは7フィート半の2X。ドロッパーにピーコック・クィーンの6番、リードフライにブルー・プロフェッサーの10番が結んであった。

小さなライズ

手前の流れはよく見えるが、対岸側の山肌はすっかり暗くなっている。ライズが起これば水面に白い花が咲くはずなのに、不思議なくらい静かだ。もしライズが起こるなら今、そう思える時刻を過ぎてもライズが無い場合、私はフライを投げ始めるのが常だった。良い時間になれば、ライズが無くても釣れることは珍しくない。それにライズを待ってフライを何時までも投げないでいると、良い時間帯が終わってしまい、気がついたときには手遅れとなる場合も多い。

私はプールの流れ込みに立ち、手前から静かにフライを流し始めた。1投毎に1m程下がって流し続けたが、何の反応もなかった。これほど見事なプールに何も居ない筈はない。私はもう一度流れ込みに戻ってフライを投げ直した。
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晩春の葛山地区。下流域は雪代が出るまで渇水が続く。

数回フライを流し終わった時、対岸側の水面に小さな波紋が広がった。息を凝らして見つめると、また一つ、そして少し離れた場所でも同じような輪が広がった。イワナだろうか。私はリールからラインを更に10mほど引き出すと、最初に波紋の広がった場所に向けて投げた。20m近く離れた鉛色の水面を、ラインが静かに滑って行く。如何にも釣れそうな空気が充満したとき、ゴツンと言った当たりが伝わってきた。
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葛山の上流域に広がるテトラポット。この中にもヤマメが住み着く。

しっかりした手応えがあったにも拘わらず、魚はほとんど抵抗せず足下に寄ってきた。何だか様子がおかしいと思ったら、ドロッパーを飲み込んでいたのは30cmを超えたウグイだった。今が最高の時間と思えたから、私はすぐに気を取り直してフライを投げ直した。直ぐに次の当たりがあった。

それから暫くの間、同じように投げるたびに当たりがあり、その都度、私の足下に魚が寄ってきた。全てウグイだった。5匹ほど釣り上げたとき、私は場所の選定に失敗したことを悔やみ、空を見上げながら、リールにラインを巻き込み始めた。河原はかなり暗くなっていた。残念だが今日はお仕舞いだ。

プールから道路までは僅かな距離だ。河原も草むらにも釣り人の足跡が残っていて、暗くなっても行き先を間違えることはなかった。河原を少し歩いてから、私は釣り始めて直ぐに見た魚の尾ひれを思い出し、立ち止まって考えた。今からでも間に合うだろうか。私の正面に道路のガードレールが白く浮き上がって見える。このまま道路に上がって車を置いてある場所まで歩くか、それとも河原を歩いて車まで戻ろうか。河原を戻れば、あの細流の前を通る。フライは未だ結んだままだし、だめで元々だ。そう決めると、私は白く乾いた石の上を急ぎ足で下った。

一時間近くかけて釣り上がってきた河原を、私はほんの5分足らずで入渓点に戻った。明るいときはそれなりの流れに見えたのに、暗さが増してくると何の変哲もない単調な流れに見える。1時間前、ヤマメが尾びれを翻して消えた細流の前に立ってみたものの、そこはヤマメが本当に居たのか疑わしく思えるほど小さな流れだった。私は念のため周囲を眺め渡した。確かに目の前の流れに相違ない。
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僅かにサビを残した4月のヤマメ。

私はその細流の上流に立ち、慎重にフライを投げた。幅は僅か2m。投げると言っても、ただ静かに落としただけだった。ところがほんの数秒後、フライがいきなり引ったくられた。ロッドを起こすのと同時に、魚は細流から本流へ勢いよく下った。そしてラインを数メートル引き出したところで止まると、今度は大石の間を縫うように走り回ったが、足下へ寄ったところで私の差し出したネットに収まった。薄明かりの中でも、ピーコック・クィーンをくわえたその姿は際だって美しかった。この尺ヤマメは何故あんな細流に居たのだろう。暗くなったら本流へ降りてくるのだろうか。様々な疑問が湧いてきたが、また一つ確かな収穫があった。それは明るいうちに釣り上げることのできなかった魚でも、深追いしなければ後で釣り上げるチャンスが巡ってくることだった。

-- つづく --
2003年11月02日  沢田 賢一郎