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スティールヘッド編  --第115話--

転回

3匹目の魚もラインを強く張るのと同時に走った。リールが激しく鳴り響き、ラインが下流の水面へ猛スピードで吸い込まれていった。ところがその時、私の左側、メイプル・ツリーの根元で見物していたハイカーの直ぐ目の前で、大きな魚がジャンプした。続けて2回、上流へ向かって水面高く跳ねた。

「ステールヘッドだ。あんな所にも居たのか」

そのジャンプが終わると同時に下流へ走るラインが急に遅くなった。「もしや、あの魚は?」
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またやって来た。対岸から歓声が上がる。

その「もしや」だった。私はロッドを起こしながら少しずつラインを巻き取った。すると下流へ伸びていたラインが水面を切り裂き、ジャンプの有った対岸に向かい始めた。魚は上流へ走っていたのだ。暫く巻き続けるうち、ラインは対岸に向けて一直線に張った。川底に張り付いている魚の息遣いが伝わってくる。これからどうなるのだろう。私には予測が付かなかった。

何時も下流へ向かって走る魚がこともあろうに上流へ走ったのだ。こんなに都合の良いことはない。恐らくあの魚はフライを捕らえて流心へ戻る時、下流側へ流れたラインに引かれ、驚いてその反対の上流へ向かったのだろう。

私があの魚の下流側に伸びていたラインを手繰りきってしまったから、今は私が直接下流側から引いていることになる。しかし少しでも魚が下れば今度は上流から引くことになってしまい、あの魚は下流へ走ってしまうだろう。それを防ぎたいからと言って、まさか私が下流へ向かう訳にいかない。私はどう対処して良いか判らず、魚の出方を待つしか他に術がなかった。
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再び定位置まで下って引き寄せる。

その魚は1分近く対岸側に張り付いていたが、ゆっくりと下流へ動き始めた。やがて激しく頭を振ったかと思うと、急に身を翻して下流へ走った。それから先は前の2匹の魚と同じだった。サイズはこれも10ポンドほどに思えた。

水紋

時計を見ると8時半を少し回っていた。ブルースに尋ねると9時近くになったら銘々が川から上がることになっているという。あと20分ある。これまでの成果で私は大満足だったが、未だ20分残っているとなると気持ちが変わった。3匹目を釣った時点で、私が未だフライを流していない場所がプールの開きの4分の1ほど残っていた。そこを釣るだけなら20分で充分だ。
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いよいよ暗くなってきた。最後のチャンス。

私は再び大急ぎで流れを遡り、3匹目を掛けた場所に戻った。開きはもう僅かしか残っていない。私は直ぐにフライを流し始めた。10分ほどで私のフライは残されたフラットを何事もなく泳いだ。ここから下はプールの開きと云うより、下の瀬の始まりと言った方が適切だ。ああ遂に終わった。私は流れきったラインを巻き始めたが、直ぐにその手を止めた。開きの終わりは水面の乱れ、つまりその下にある岩で判断していたのだが、最初の水紋の下流側に3mほどのフラットが一つ残っていた。あれに投げてからでも遅くないだろう。

私はラインを手繰りながら3メートルほど下ると、水紋の下流へフライを送り込んだ。フライラインが水面の乱れを越えた。間もなくフライも通過する。これで終了だ。私はロッドを持ち上げ、リールを巻き始めた。数回巻いた所でラインが止まってしまった。しまった。うっかり気を抜いてしまったおかげで根掛かりしてしまった。欲張って岩の間なんかにフライを通すのではなかった。
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ここはスティールヘッドの巣窟か。それとも夢か?

私はラインを張ったまま思い切りロッドを高く持ち上げた。そのロッドが引き倒された。

「嘘だろう、魚だなんて」

私は岸に向かって合図した。ブルースは一瞬、それを冗談だと思ったようだが、本当だと判った途端に獣のような叫び声を上げた。

何という日だろう。初めての川、それも夕方だけで憧れのスティールヘッドを4匹も釣り上げてしまった。こんなことはよく起こるのだろうか。それとも2度とない出来事なのだろうか。私は暗くなった山道を登りながら、とんでもないことをしたように思えてならなかった。

-- つづく --
2014年11月14日  沢田 賢一郎