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スティールヘッド編  --第118話--

ピンク・サーモン

3日目、我々はピンク・サーモンを釣るために北へ向かった。どんな川で釣るのかと思ったら、海で釣るのだと言う。この時期、ピンクは未だ川に遡上しておらず、沿岸を回遊しているため、海岸からフライを投げて釣ると言うことだった。場所はカナディアン・インディアンの居留地であるKlickseewy Indian Reserve。
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フロスだけで作ったピンクサーモン用のフライ。

着いてみると、海とは思えないほど大人しく、波の少ない浜であった。そこで接岸するピンク・サーモンを狙うのだが、勧められたフライはフロスだけで作られた馬鹿馬鹿しいほど派手な色合いであった。我々は何の経験もないため、素直にそのフライを結んで海に入った。

幾らも経たないうちに沖合からピンクのジャンプが迫ってきた。最初は凡そ50m沖。次いで40mほど。私は伸びたラインを手繰り、いつでもピックアップできるように身構えた。直後に35m程の距離でジャンプが立て続けに起きた。私のシュートしたラインはその群れを割るようにして飛んだ。着水と同時に手繰ったラインは、すぐさま乱暴に引ったくられた。
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まるで湖のように静かな海でピンクの群れを待つ。

魚のファイトは素晴らしかった。ジャンプと遁走を繰り返し、休むこと無く暴れまくった。おかげでさほど大きくないサーモンは早々と息を切らして足元に寄ってきた。

ピンク・サーモンは表層を泳いでいるらしく、フローティングかインターミディエイトのラインが良かった。よく飛ぶという理由でタイプ2のシンキング・ラインを使うと、立ちどころにカサゴのような得体の知れない根魚が掛かる始末だった。

海で釣るサーモンはピンクであれコーホーであれ、魚のナブラが見えるような時は、フライが届きさえすれば良かった。ラインを手繰ってフライを泳がせば、立ちどころに食いつく。
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海のピンクはサイズに似合わず、過激なファイトをする。

しかし、ナブラが立たないような状況では、どれほど工夫しても、反応は一切ない。要は、魚が居れば釣れる、居なければ釣れないと言う真に単純明快な釣りだった。居るのに食わない魚を何とかして釣り上げようと、ありったけの手練手管を用いる淡水の釣りとは、全く違っていた。

失敗した合わせ

ピンクサーモンの釣りを楽しんだ翌日、我々は一日休ませたキャンベル・リバーへ戻った。その朝、私は再度アッパー・アイランド・プールに向かった。

朝の8時頃だったと思う。私はダブルハンド・ロッドにフローティング・ラインを通し、流れ込み付近から釣り始めた。結んだフライは2/0のフックに巻いたシルバー・ドクター。下流側から差し込む朝日が水中を明るく映し出したため、所々に黒い大きな岩が沈んでいるのが見えた。
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群れが来れば入れ食い。去ったら何もなし。

釣り始めて5分ほど経過した頃、流芯の手前に投げたシルバー・ドクターに、突然現れたスティールヘッドが襲いかかった。フライを投げた場所が至近距離だったため、私にはその一部始終がはっきり見えた。フライをくわえた魚が見えなくなるのと同時に、私はロッドを起こした。同時にリールがけたたましい勢いで逆転したかと思うと、40mほど下流で大きな水柱が立った。また釣れてしまった。何というプールだ、ここは。ところが喜びを噛み締める間もなく、張り詰めていたラインが弛んだ。

何で、何で、何で?

それまでの魚は数十メートル先でフライを捉え、その衝撃はラインを通してロッドに伝わってきた。そのため魚がフライを口に入れた正確なタイミングを知ることはできなかった。しかしそれにも拘わらず、4匹全ての魚のフッキングは万全であった。
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遡上前のピンクは美しくパワフル。

今度は魚がフライを捉える瞬間がまともに見えたと言うのに、外れてしまった。一体何が起きたのか。私の頭の中に数々の疑問が生まれ始めた。あの魚は落下して間のない、未だ半ば流れのままに流下しているフライを捉えた。私がその一部始終を目撃したのだから間違いない。そしてフライをくわえたまま沈んだ。

ラインが未だ張っていなかったから、私がその出来事を知ったのは現場を見たからであって、ロッドに伝わる違和感からではなかった。そして私はロッドを大きく煽って合わせた。勿論、ロッドに違和感を感じる前に。本来なら、当たりを感じてから合わせたそれまでの4匹より、更に良いフッキングであった筈なのに、それが外れた。
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朝方、流れ込みから釣り下る。

この時より10年近く前、日光の丸沼でニジマスを釣った時、水面のドライフライをくわえた魚が、反転して見えなくなるまで待ってから合わせると、その後の外れがないことに気づいた。

その経験もあって、私はスティールヘッドがフライを捉えた瞬間ではなく、姿がすっかり見えなくなるのを待って合わせたのだが、それでも早すぎたのであろうか。

この出来事を検証しようと思ったが、同じことはそう簡単に起こらない。何とも納得できない結末のせいで、その魚はそれ以降ずっと私の記憶に留まることになった。
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直ぐにフッキングも、あっさり外れる。

しかし結論から言うと、この魚からフックが外れた原因は、第一に合わせ方、次にそのタイミングの悪さにあった。本当は魚の姿が見えなくなっても竿先に当たりが伝わるまで動いてはいけなかった。そして当たりが伝わって来た後、ラインが充分に引き出され、ラインを引く方向と魚との位置関係が充分良くなるまで待ち、最後に針先が魚の口を引っかかないよう乱暴に合わせることをせず、静かに強くラインを張るべきであった。

勿論、そうすれば100%確実にフッキングすると言う保証はないが、少なくとも10倍以上の確率でうまくフッキングできたはずである。私がそのことを理解し実践できるようになるまで、この時から10年以上の歳月を要した。
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フライを捉えるのは見えても、フックの位置までは、魚に聞かないと判らない。

「あの時、今の知識と技術があれば」という台詞を私は何回口にすれば済むのだろう。フライフィッシングを始めて以来、私が最初にそう思ったのは1970年、忍野太郎と対峙した時だった。私は為す術もなく敗退したが、後になって考えれば釣れなかったのは当たり前であった。

腕前が進歩したからこそ、釣れなかった理由が理解できるようになったのだが、その時にはもう同じチャンスは巡ってこない。

そうした意味で、このフックを外したスティールヘッドは私の腕前を上げるために天が遣わした魚だったのかも知れない。そして、それを克服した時、また新たな魚が現れる。まったく終わりのない世界だ。

-- つづく --
2014年12月13日  沢田 賢一郎